自衛権行使「新3要件」公明が原案 自民案装い、落としどころ 西日本新聞より [思いのまま]
2014年06月20日(最終更新 2014年06月20日 03時00分)
公明党の山口代表は首相との1対1の会談後、72年見解について「尊重しながら議論する」と記者団に述べた=19日
公明党の山口代表は首相との1対1の会談後、72年見解について「尊重しながら議論する」と記者団に述べた=19日
集団的自衛権の行使を可能とする憲法解釈変更の閣議決定は、19日に行われた安倍晋三首相と公明党の山口那津男代表の党首会談で最終局面に入った。
解釈改憲の核心は、自民党の高村正彦副総裁が提案した自衛権行使の「新3要件案」だ。特に「他国に対する武力攻撃が発生し、これにより国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される恐れがある」という集団的自衛権行使に絡む文言をめぐり、自公間で調整が続く。
だが、実はその原案は、公明党の北側一雄副代表が内閣法制局に作らせ、高村氏に渡したものだった。解釈改憲に反対する公明党が、事実上、新3要件案の「下書き」を用意したのだ。
「私が考える新3要件というものの、たたき台を作ってみました」
13日の安全保障法制整備に関する第6回与党協議会で高村氏が突如A4サイズの紙を配った。「集団的自衛権の行使はできない」と結論付けた1972年の政府見解の一部を引用し、行使を認める逆の結論を導き出す私案だった。「この紙を見たのは初めてだ」。協議会後に北側氏は明言した。だが、事実は違う。
政府関係者によると、その数日前に公明党執行部がひそかに集合。解釈改憲で対立する首相と山口氏の「落としどころ」を探るためだった。連立維持を優先させ、解釈改憲を受け入れる政治決断の場でもあった。
山口氏が「憲法解釈の一番のベースになっている」と尊重してきた72年見解を援用する形で、限定容認と読み取れる原案を内閣法制局に作成させる。北側氏がそれを指示していた。
原案に自公協議の焦点となる「恐れ」があったかどうかは分からない。しかし、自民党関係者は言い切る。
「新3要件は自公の『合作』だ」
■「平和の党」連立に固執
公明党が17日に開いた安全保障法制をめぐる会合。
「被爆国として個別的自衛権の範囲でやりくりしながら、不戦の誓いを守ってきたのではないか」(中堅議員)
「同じ1972年見解から逆の結論を導き出して論理的な整合性が保てるというのなら、きちんと説明してほしい」(若手議員)
「政府が示した事例で集団的自衛権が必要だと主張する議員が一人もいないのに、なぜ行使容認の閣議決定案の議論に入るのか」(ベテラン議員)
19日の会合でも「高村私案には地理的制限がない」といった異論や慎重論が相次いだ。新3要件の高村私案は、党執行部が「下書き」を指示したものだったとは、一般議員は知らない。
執行部が限定的ながら解釈改憲を受け入れた以上、党内会合はガス抜きの場になりかねない。政府筋は「公明党幹部から『まだ騒ぎますけどすみませんね』と言われた」と打ち明ける。
だが、安倍晋三首相に譲歩した執行部と、反対を続ける一般議員の溝は埋まっていない。この状況に最も苦しんでいるのが、党内で解釈改憲に最も強く反対してきた山口那津男代表だ。
弁護士出身であり、防衛政務次官を経験して安全保障政策に精通する。もともとは72年見解を盾に「憲法解釈を変えるなら論理的整合性などを保つ必要がある」と訴えてきた。連立維持のためとはいえ、解釈改憲受け入れの決断を余儀なくされ、じくじたる思いが募る。複数の関係者によると、山口氏が「俺が辞めればいいんだろ」と漏らす場面もあったという。
しかし、党関係者の一人は言う。「代表辞任は許されない。辞めれば党が『筋を曲げた』と認めることになる。ますます党員や支持者に説明がつかなくなる」
限定容認論では一致した自公だが、「限定」の範囲をめぐっては、なお大きな溝がある。公明党が最後の抵抗をみせるのが、集団的自衛権の行使による海上交通路(シーレーン)の機雷除去だ。
戦闘状態での機雷除去は武力行使に当たる。首相は輸入原油の8割以上が通るペルシャ湾のホルムズ海峡を念頭に、日本の生命線である原油確保のため、集団的自衛権による機雷除去が必要だと主張する。
これに対し、公明党の井上義久幹事長は「首相は国会答弁で『武力行使を目的とした自衛隊の海外派遣はしない』と述べた。矛盾ではないか」とかみつく。
自民党は、機雷除去を含め、政府が示した集団的自衛権行使の8事例について「新3要件案で全て対応できる」と譲る気配はない。公明党は、自分たちが「下書き」を用意した新3要件案によって、自縄自縛に陥る可能性がある。
=2014/06/20付 西日本新聞朝刊=
矛盾だらけの集団的自衛権 [思いのまま]
平和を希求する良識があった [思いのまま]
初ゼミ [思いのまま]
今朝遅まきながら初ゼミの声を聞く。なんとミンミンゼミだ。例年ならニイニイゼミが先導して蝉の世界が始まるはずだ。ところが昨年もそうだったがその声を聞くことが少なくなった。幼少時の思い出では蝉の順位付けがあって、最下位にあったのがニイニイゼミで、アブラゼミが次ぎ、ミンミンゼミを網に捕獲できたら小躍りしたのを思い出す。ここにも季節の流れが変化しているのを感じる。我々にとっていいことなのか、不幸なことなのか、それは時代が証明してくれる。
STAP細胞 [思いのまま]
マスコミの異常な下世話的取り上げ方に研究一筋で生きてきた方だけに耐性が無かったのか。いや普通に生活をしている人間でさえ、というか我が身に置き換えてもどれほどの絶望感に追い込まれてしまうだろうことは想像に難くない。
以前金融界で禄を食みバルブ崩壊の渦に飲み込まれた際、何人もの友人が死を選んでいたのと彼我の差はあるがある意味同じ状況ではないだろうか。
今回の事件で思うことは、世論の大方は笹井氏や小保方さんへの非難に終始しているようだが、その裏にある背景にメスが入っていないように思える。それは理研の有り様だ。ここからは個人的な想像でしかないが、組織的行動の特質には個人の思いとか夢とかとは違った人間を変質させる偏執的行動を要求されると言うこと。理研の権威・権力の強化=研究費の導入、関西と関東との抗争、京大対東大も探る必要がありそうだ。
同じ状況は医学の世界では相変わらずの医局講座制が脈々と継承されており、一人の医師としての魅力と教授としての振る舞いを見るとき極端な落差を感じることしばしば。魅力を感じる一医師でありながら医局という組織を背負った時にはヤクザと紛うような発想になっているのを垣間見ることがある。理研も医世界の一翼だ。そんな価値観の延長に今回の事件があると思うのは見当違いだろうか。
福島・いわきの現在(震災の後遺症と原発) [思いのまま]
いわきは津波の激甚被災地でもあり、福島原発の影響をもろに受けている双葉郡はすぐ真北にある。常磐線は竜田駅で折り返しになっている。竜田駅は楢葉町にあり、住民は避難しているため人ッ気は全く無い。駅前のポストも封印されて、放射線測定値が表示されていた。0.234マイクロシーベルト(22日19時現在では0.45)を示し、東京の一桁以上、上になっている。この先北に向かうと帰還困難区域。先週通行可となった6号線を北上すると大熊町、双葉町、浪江町と表示板には見慣れた地名が次から次と。
国道両側はフェンスによって完全に封鎖されて止まることも許されていない。2輪車は現時点で通行不可となっていた。右手遠くに巨大なクレーンが林立し送電線がそこを目指している先が福島第一原発だ。この一帯は間違いなく将来的にも復旧、復興とは縁のないエリアなのだろう。総理が軽々にアンダーコントロールと叫んで東京オリンピックを誘致したこととこの現実には改めてギャップを感じた。
原発復旧工事は巨額に及び、多くの作業員が全国から当地に来ている。だからいわき市はある意味特需景気に潤っているが、そのために治安が悪化したり、補償で潤った人と古くから居る人とのフリクションもあるようだ。
帰路、いくつかの漁港に立ち寄ったが、漁船は停泊しているものの動いている気配は全く無い。近海漁業は汚染のために試験操業以外は出来ないからだ。のどかに釣り糸をたれている人がぽつんと、その姿に現実とのギャップがあって奇妙だった。
いわきの臨海部は軒並み津波に襲われたが、その痕跡はすでに跡形もなく、区画整理事業の看板が痛々しく建っている。なかにはぽつんと一軒だけ残っている家もあったが、居住はしていない。補償は一線を境に補償がされたり、されなかったり。悲喜こもごもの現実があるようだ。
後輩のお兄さんが中学の教師だったが、その方の記録を拝見すると想像を絶する体験だ。それをそれなりに理解出来ると言ったら失礼だが。そのなかで被災者だから、ということで救援者側に加わらない人もいた、という条にはどちらの気持ちも理解出来るのだが、自分が当事者だったら被災者でありながら救援者として活動に参加していたのだろうかと確信が持てなかった。
いわきの南部にある小名浜港は復興が進んで賑わっていた。製氷工場が再建途上で上部が津波時の避難所になるらしい。みなとオアシスでは物産販売に多くの観光客で賑わっていた。ささやかな貢献と産地を確認しながらお土産を購入する。
当事者であるのかないのか、被災者と救援者、原発被害者なのか享受者なのか、復興復旧が出来るのか出来ないのか、立場によってギャップが生じるのはやむを得ないが、社会との関わりをどのように意識するかが問われるのだろう。
晩秋の身延 [思いのまま]
晩秋の身延。紅葉のピークも過ぎて冬支度の世界。南アルプス街道は身延から広河原そして甲府に通じる山岳道路だが、すでに奈良田温泉から先は閉鎖になっている(閉鎖前も奈良田から先マイカーは入れない)。奈良田温泉は低張性アルカリ高温泉、源泉温度42.2℃、PHが8.6という強度のアルカリ泉で入浴すると肌がつるつるになる。日本中の温泉、秘湯を巡ってきたが、ツルツル度では最高ランクになるだろう。奈良田の手前には西山温泉があってここも秘湯と言われている。2軒の宿があるが、町営の湯島の湯に入る。コテージの傍らに鄙びた木造の露天がある。現在は寒いので囲いがあるが。泉質は奈良田と似ている。この二つの温泉の素晴らしさは正真正銘の掛け流しと言うこと。飲料としても可になっている。
雨畑湖を経由して大井川に向かう林道を目指す。ところが肝心の林道は大雨で崩壊して通行不可になっていた。十数年前にもトライしたことがあったが、その時も越えられなかった林道だ。残念無念の思いで引き返そうとしたら右手の崖から見事な滝が落ちている。見神の滝だ。
そこから引き返す。国道52号線に入る手前に赤沢宿の看板が目に入ったので右折して山道を登る。急坂で狭い道なので気を使う道だ。10頭近い猿が道を過ぎるのが目に入った。上り詰めると歴史を感じる味わいのある建物が集落(重要伝統的建造物群保存地区)を作っている。ここが赤沢宿だ。地の人に話を聞く。ここはいわゆる街道筋の宿場ではなく、身延山(久遠寺)から七面山登詣の道筋にあり、登詣客がここで一休み、あるいは宿を取った宿坊とのこと。信仰篤い日蓮宗信者が列をなして行き来したそうだ。いまでは宿坊も一軒だけ、現役で残っているのは江戸屋だけになった。かつての栄華も今は、と時代の変化を実感し感慨に耽った。
本栖湖を経由した帰路では、闇夜に浮かぶ富士が見事に浮き立っていた。一路東京に。
末期的な安倍政権 [思いのまま]
さらにここに至って安倍晋三首相の本質がさらに露呈してきている。首相応援団である「文化芸術懇話会」での顛末はまさに本性を剝き出しだ。それをかばう総理はその集団が身内である証左。作家の百田尚樹を招致すること自体に本音が覗いているし、沖縄を冒涜し、報道の自由を阻害する発言にも「それが民主主義に反する」と異論が出ない党に成り下がっている。
こんな政治家を誰が選んだのか、戦後「民主主義」のもとに教育を受けた政治家の質が問われる。決して好きではなかった自民党もかつては良識があった党人が多くいた。現に退役した自民党旧幹部からも現自民党への警鐘乱打がなされている始末だ。
「安全保障関連法案」の問題も含めて、それ以上に言論統制、自分たちにすり寄らない者を力尽くで切り捨てる傲慢、言論の自由、立憲主義という我が国の原点を平気で無視する輩の暴走を止めないと日本は破滅しかねない。戦前の悪夢が思い出される所以だ。
見えている事実だけでも、 昨年の衆院選の際、自民党がテレビ各局に「公平中立」を求める文書を出したり、4月にはテレビ局幹部を党本部で事情聴取したりしている。おそらく水面下では権謀術数を凝らしていろいろな圧力を掛けているのだろう。
今回、白日の下に晒されたことは安倍政権が民意を遙かに超えた議員数を獲得して暴挙に至ることを可能にした選挙制度に問題があることだ。暴走を抑制するためには「小選挙区制」を早急に廃止し、民意を正確に反映する選挙制度の確立が喫緊の課題となっている。
断末魔としか思えない [思いのまま]
Contagionを見て [思いのまま]
消費税引き上げ [思いのまま]
ところで消費税引き上げの目的は何だったのか原点に戻って考えなければならない。世界で最大の負債を抱えてしかもGDP比で最悪(先進諸国で)の財政状況を克服するために痛みを受容しなければならないという国民の決断だった。
しかし、税率アップ後も財政は大盤振る舞い、世界のリーダーと錯覚し外遊三昧そして多額の資金提供に励み見栄のために放蕩三昧、その挙げ句に世界の警察国家のお供として一層邁進しようとしている。
それに対し、財政の負担で大きな割合を占める社会保障費は削減の歩みを確実に進めている。国民はやせ細り生活補償の対象者が激増し、かつての日本の象徴であった中産階級はどこへやら。そして福島の原発事故処理に見られるように足下の問題は先送り。
消費税引き上げの理由は社会保障費の負担に充当すると言うことだったはず。
財政健全化へのロードマップがない限り消費税引き上げの根拠はなくなるので、この際再考すべきだ。
自民党総裁選が無風であることからも、見栄に溺れる安倍政権はない袖は振れない状況にもかかわらず放漫財政を継続するだろう。財政健全化はどこへやらだ。
アベノミクスで税収アップと言うけれど実体経済はいささかも変わらずバブルで上がった株価依存。株価が上がり続けるというシナリオの虚構のいく末は誰にも明らか。
このまま行くといつになっても財政破綻解決の兆しは見えず、その先は国家破綻に追い込まれ国民の血が流されることになるだろう。ギリシャが他人事ではないのを心しなければならない。
文化溢れる味わいのある町・近江八幡。 [思いのまま]
秘湯・角間温泉 [思いのまま]
NHKのドラマで一躍話題性を帯びた上田、沼田エリア。1ヶ月前には沼田から川場に行ったが、道には六文銭の幟が立てられていた。そして今回は菅平の近くにある角間温泉に行く。真田の痕跡を辿るパンフレットもあちこちに。
長野道の軽井沢で下りて旧軽を通って白糸の滝へ。雨は上がっていたが日射しもなく、それがかえって風情のあじを出している。
鬼押し出しを経由して妻恋でそばの昼飯、そこから一路上田に向かう。菅平に行くルートを右に見たらすぐに左折して角田温泉に向かう。集落を過ぎて山道を先に進むと山間に味のある秘湯角間温泉・岩屋館だ。左手には垂直にそそり立った岩が、そこには見事な蜂の巣がぶら下がっていた。
角間渓谷に沿っての一件宿。泉質は鉄分を含んだ炭酸泉で久しぶりにいい温泉に出会えた。真田の隠し湯とも言われることが頷ける。
翌日は七味温泉で乳白色の単純硫黄温泉に浸かり横手山を経由し眼下に草津の湯煙をのぞみながら途中から右折して万座に。その先帰りは自然豊かな森林に囲まれたドライブが楽しめる北軽井沢から二度上峠越えで高崎インターから帰京した、
時代は変わる アウトバウンドの時代からインバウンドの時代に [思いのまま]
インバウンドの波はスキー場にも。昨日まで白馬に行ってそれを実感しました。スキー仲間と恒例のスキー行で八方に行ったのですが、年々歳々外人スキーヤー(オーストラリア人と若干の中国人)が増えていたのは実感していたのですが、今年の変化は数段飛びをした感じです。50年近く通い続けた白馬のスキー場は今や国際化が極度に進んで、日本にいる雰囲気ではありません。スキー場はオーストラリア人が80%,中国人が5%そして残りが辛うじて日本人という有様。なまった英語が飛び交っています。さらにカフェテリアに入って昼飯を注文すると作っている人はオーストラリア人、注文も看板にある番号で注文。メニューも明らかに外人を意識したメニューに一本化されています。ひとつ例外は外人の口には合うのかラーメンだけは健在でした。シャトルバスの案内もまずは英語から。ロッジも外人を意識した仕様が散見されます。野沢とかニセコとかではすでに話題として聞いていましたが、今回改めて一部の現象ではないのを知りました。私たちの世代ではアウトバウンドが国際化の流れでしたので、今昔の感は否めません。インバウンドは嬉しい反面、日本人にとっての観光地あるいはふるさとが伝統とか文化を放り出して海外のまねものになってしまうことが危惧されます。クリスマスにはじまりハロウインそして関西の習慣であった恵方巻きが席巻する時代の変化は日本の特色でもあり怖さでもと思えます。日本はどこに向かっていくのか多少不安になったスキー行でした。
ふるさと納税に思うこと。 [思いのまま]
私は以前から飯舘村にふるさと納税をしていたからか、やたらと楽天からメールが送られてくる。
最初の切っ掛けは2011年の大震災だ。津波だけでなく放射能汚染でふるさとを失うまでの未曾有の被災を受けた方々に何も出来ない自分に苛立ちを覚えていた。
その年の3月は私にとっても人生の転機でもあった。自分が創業した会社を壮絶な争いの後追われ退任した年でもあった。その思いで作りもかねて下手な横好きで撮り続けてきた山の写真展を開催することにした。
何も出来ないけどささやかな試みとして、ご覧頂いた方々で多少でも気に入っていただいた作品があれば、飯舘村に寄付を前提に買っていただく事にした。さいわい10万円近い寄付をいただいた。
何故飯舘村か、といえば、俗に言う原発マネーをいっさい受けず、村の文化を守り続けたいという自立の精神を感じたからだ。にもかかわらず、村は放射能の直撃を受けて村は計画的避難区域になった。原発マネーを受けた他の被災地域とは違うのだ。それが理由だった。
当然、当時はふるさと納税でその見返りのお礼は無かったはずだ。
ところが時代の変遷でふるさと納税がとんでもないところに行ってしまった。自治体はお礼合戦で競い、それを目当てにお得情報にありつき節税も、と言う本質を逸脱した制度に変質してしまった。まさに個人ベースのタックスヘブン擬きだ。
こんな浅ましい制度は早急に改善すべきと思う。