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アッパードルパ(Upper Dolpa)トレッキングへのチャレンジ [秘境アッパードルパのトレッキング]

この2年間カラコルムに行ったので、今年はヒマラヤを考えていた。行く先は悩みに悩んでアッパードルパに決定。8000M級の山を肉眼で見るというチャレンジはシシャパンマを除いて一応終えているので、今回はダウラギリ・ラウンド、マナスル、あるいはマカルーも考えたが、結局はドルパに落ち着いた。その理由はヒマラヤでも秘境の地として残されたエリアであり、5000Mを越えるパスを何回も乗り越して行かなければならない、しかもロングな日程を必要とし年齢からして体力の低下のリスクがあるので、今が最後のチャンスと言うことだった。

いつものダワさんをガイドに頼んだ。彼からもらった予定表の地名は地図に記載のない地名が多く、地図を辿ってもイメージが湧かない。

途中で引き返す最悪のケースも考えて、普通の順路から言うとジュファールが起点になるらしいが、逆のジョムソンをスタートにした。理由はダウラギリの北部を回遊するルートだからスタートすれば途中で断念してもダウラギリをしっかり見届けることが出来るというわけ。ダウラギリは以前ムクチナートからジョムソンに下る時に美しい容姿を拝んだことがある。

それとこのエリアは河口慧海がチベットに潜入したルートと言われているエリアだ。今でもマナンには慧海がチベット人になりすますために、チベット語の学習と仏教を学んだ家が記念館として残っている。

今までにない長丁場なので計画を完遂出来るのか不安だが、帰国後に紀行をアップする予定にしています。
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アッパードルパ(ドルポ)トレッキング [秘境アッパードルパのトレッキング]

昨年企画したアッパードルパ・トレッキングだが、断念の憂き目にあった。障害は単独では入山許可証が下りないと云うことだった。今年もパートナーを見つけることが出来無いのでなんとか単独でも許可証を取得する方法を模索しなければならない。ネパール政府に知人が居るという伝手も使ったが、無力だった。
ところがある筋から二人分の入山料を支払えば行けるとの情報が入って、知人ガイドのダワさんにその旨伝えて政府筋に確認を頼んだ。なんて云うことはない、結局はそうすれば問題無いことがわかった。これで計画の実現性は一気に進んで、日程調整を始めている。
*これはイリーガルな行為で、問題がないということではなかった。後日談。

当初はダワさんから初冬に近くなると雪深いので9月はどうかとの打診があったが、撮影環境を考えるとモンスーンからある程度時間経過があった方が良いのではとのやり取りをした結果、10月中旬の出発となった。
KTMからネパールガンジに飛び、そこからジュファールへ飛ぶ。問題はネパールガンジからのフライトだ。10月ともなると若干シーズンオフになるのでフライトが不安定になるそうだ。この点は早急にフィックスしたい。

ポクスンド湖を経由し、5000M超の峠越えを5カ所と厳しいトレッキングとなることだろう。このトレイルは映画「キャラバン」で撮影された地方を歩く。ネパールの秘境と云われるエリアで、チベット文化が色濃く残っているそうだ。おそらくチベットが中国に占領されてチベット文化がどんどん中国化してしまっているので、当地の方が古来のチベット文化が継承されているのかもしれない。その点はしっかり見聞してみたい。トレッキングの中盤は河口慧海がマルファでの修行を終えてチベットに潜入した経路になると云われている。その感慨深い歴史を顧みる余裕があればと念じている。ジョムソンがトレッキングの最終地点。3度目のジョムソンだが、もう一度そこから昨年周回したダウラギリを拝みたい。

ようやく手に出来たD800Eでの撮影も楽しみだ。思い出に残る写真が何枚撮れるのか。

雲行き怪しいアッパードルパ 1 [秘境アッパードルパのトレッキング]

3度目の正直を祈って企画中のアッパードルパ・トレッキングの雲行きが怪しくなってきた。1度目は単独での入山許可の問題、2度目はスタート地点のジュファールに入るフライトがキャンセル、今度は全てのリスクをクリアしたつもりで8月決行を計画していた。ところが数日前ガイドからのメールで現地の飛行場が修理中で今夏は欠航と云うことらしい。ガイドからはジョムソンからスタートするルート変更でリスケ中とのこと。良い便りを待っている。映画「キャラバン」の世界がまた遠くなってしまうのか。すでにBKKまでのフライトは購入済み。夏だとほとんどのヒマラヤエリアはモンスーンのまっただ中だから他のコースへの変更は難しい。さてどうしよう。

アッパードルパ(ドルポ)トレッキング  2その後   [秘境アッパードルパのトレッキング]

相変わらず霧のなかだ。ガイドと連絡を取り合っているが、現時点ではJuphalの飛行場は工事中でフライトはキャンセルらしい。そこでルートをジョムソン出発に変えてJuphalから先を飛行場のある町まで歩くことでリスケ中。追加の日程は4日間らしい。それと気になるのがこの円安でコストアップになることと、このトレッキングでは秘境であることもあってチーム編成にかなりの費用が嵩むことだ。有名なエリアでのトレッキングの倍は掛かりそう。でも止むを得ない。どこもかしこも確実に開かれたヒマラヤになっている。Upper Dolpaは秘境として残る数少ないエリアなので、今のうちが最後のチャンスかもしれない。最後の粘りで何とか実現したい。
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アッパードルパ(ドルポ)トレッキング  3その後  [秘境アッパードルパのトレッキング]

相変わらずの現地情報。出発を1ヶ月後に控えているのに霧のなかだ。知り合いのネパール人にも現地情報を探って貰っているが確かに工事中らしい。いつ終わるかが問題だが、日本のように期日管理がしっかりしているはずもない。

多少の朗報だが、ジュファールからのフライトがない場合の対応策としてデュナイからベニに下りるトレッキングが考えられるそうだ。確かにwebで検索するとローワードルパのトレッキングルートを見つけることが出来る。6日間の行程だ。ベニはダウラギリに行った際に出発点として泊まった町だ。

フライトが飛ばない場合の最悪を考えてこの行程も考えておこう。
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アッパードルパ(ドルポ)トレッキング 4プロローグ  [秘境アッパードルパのトレッキング]

ヒマラヤの秘境アッパードルパに向けていよいよカウントダウン。数日後には機上の人となるが、本日ドルへの両替を終えてあとは食材の追加購入をしてそろそろパッキングを始めないと。帰路ジュファールからの飛行機の目処は相変わらず不透明との連絡が現地から入っている。

最終的なルート決定は現地入りして地図を見ながらの打ち合わせとした。今回は8000M級の山が望める場所はなく、4000~5500Mを何回もアップダウンする古きチベット文化を巡るルートで、前半では河口慧海の辿ったルートを辿り、その先は映画「キャラバン」のロケ地にもなったポクスンド湖を目指す。

*河口慧海(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E5%8F%A3%E6%85%A7%E6%B5%B7)は明治時代に鎖国下にあったチベットで修行を目指し、ネパールでその下準備をしたのがジョムソンの南にあるマルファだ。以前に行ったことがあるが今でも記念館がそこに残っている。河口慧海はジョムソンからダウラギリの北側を西に向かい、諸説あるがマリング・バンジャン(パス)を越えてチベット入りしたと言われている。

今回はそのトレイルを辿りながら、その先ポクスンド湖に向かっていくいくつかのルートがあるが、どのルートにするのかはガイドのダワさんとカトマンドゥで決めることになっている。

いずれにしても今回はジョムソンから一気に4000M超に上り詰めるので最初の高度順応が難しい。その後もほとんどが4000M超、最高地点で5500Mの移動になるのとしばしば積雪に遭遇する事もあるそうだ。それと徒渉する際の困難度がどの程度なのか不安一杯だ。日本人の入山記録もほとんど無く、ガイドもこのエリアは初めてと言っている。未知の世界を歩く緊張感と魅力が交錯する。

アッパードルパはNHKの報道にもあったが、冬虫夏草の産地で金山ならぬゴールドラッシュが起きているらしい。秘境であり続けられるのは時間の問題かもしれない。

スタート地点ではダウラギリ、アンナプルナ山群、ニルギルと高名なピークを望めるが、その後の山岳風景はどんな状況か、狙いたい写真としての被写体があるのか、楽しみでもあり、不安でもある。

一番の気掛かりは終着地点のジュファールの飛行場が工事中という事。8月末に終わっていればそのまま機上の人になれるのだが、その可能性は4分6分か。そうなるとドュナイからさらに1週間ベニに向けてトレッキングになる。そうなると体力の限界を超えてしまうのではと不安一杯だ。

下山してからのバスタブが心待ちになる。ポカラではいつもはホットシャワーだけのホテルだったが今回はバスタブ付きのホテルを手配して貰った。
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アッパードルパ(ドルポ)トレッキング  5ジョムソン→エクロバッティへ [秘境アッパードルパのトレッキング]

7月29日羽田0時30分BKKに向けて出発する。いつもの通りBKKでのトランジットを経てその日の午後12時25分KTMに到着する。順調に入国もし荷物も何のトラブルもなく手にしてガイドのダワさんが待っているはずの外に出るが見あたらない。途方に暮れて20分以上待つ。立ちん坊をしていると次から次と声が掛かる。タクシーは?ホテルは?友人を待っているので、と振り払う。そのうちにようやくダワさんが慌てふためいて近づいてきた。いつもならタクシーを使うのだが、友人が車を出してくれたと言うことで、もしかしたら時間調整に戸惑ったのだろう。詮索はすまい。ただいつもにないことがあるともしかしたら日を勘違いしているのではと不安になっていた。

ダワさんからはUpper Dolpaへのパーミッションで苦労話を聞いた。2人以上が前提条件なので実際に行くかどうかは別としてもう一人の相棒を準備しなければならない。たまたま直前までダワさんがガイドで同行していた日本人にその役割をお願いしたとのこと。
*ドルパはドルポとも呼ばれている地方だが、ドルパはチベット語でドルポはネパール語。ここからはドルパで統一して呼称する。

結局その彼は出発前に急病で急遽帰国の途についてしまった、と言うシナリオだ。Upper Dolpaへの入山料は他地区に比べて高額な上に二人分を支払うわけだから懐が痛むのはやむを得ない。因みにUpper Dolpaが500ドル、Lower Dolpaが20ドルの二人分だ。
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入域にはジョムソンから入るルートとジュファールないしはジュムラから入るのが普通らしい。しかし今夏はジュファールの飛行場が工事中と言うことで入域するトレッカーはかなり減少しているようだ。それでも入域するトレッカーはへりを使って現地入りするケースがある。私個人では負担に耐えられない金額なので考慮外だ。

ジュファールの工事の進捗が不透明ではあるが、辿り着く頃にはひょっとしたらという一縷の希望を託してジョムソンを出発地にジュファールを目指す日程にする。それは同時に河口慧海僧が明治時代にチベット入りをしたルートに一部被る事も理由だった。

7月31日(水)
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翌日にはポカラまで飛行機で飛ぶ。ポカラではレークサイドにあるホテル「ランドマーク」に泊まる。このホテルは一流だ。伝統的なネパール建築でバスタブのある部屋に通される。夏場はシーズンオフでもあり、さすがのポカラも閑散としているが、この数年中国人の進出がめざましく、町を闊歩しているのは中国人か韓国人。以前に我が物顔で闊歩していた日本人の陰はほとんど失せてしまった。

ここでカメラポーターのラクパさんと合流する。彼はダワさんの奥さんのお姉さんのご主人。ダワさんはドルパ地方は初めてなのでドルパ地方の経験豊富なラクパさんのサポートを依頼したそうだ。
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明日はジョムソンまで飛行機になるのだが、この路線は天気の影響を受けてしばしばキャンセルになる路線だ。今までに2回チャレンジしているがいずれもキャンセルだった。だからキャンセルも想定の上スケジュールを考えなければならない。その翌日の見通し如何ではキャンセルを前提に、寸断されている道をバスで向かうことも想定する必要がある。飛行機だと30分もかからないのに車だと道が寸断されて何回も下りて歩かなければならないし、途中タトパニで一泊しなければならない。

8月1日(木)
ポカラとジョムソンの気象条件は飛行可能であったのだが、途中の気流が悪く結局は10時にはキャンセルとなってしまった。早い時間のキャンセルだが、カリカンダキ・コーラに沿って昼前から夕方まで強風が吹き上げるので天気如何に関わらずフライトは困難になる事情があるからだ。この先が賭になる。結局ダワさんの読みは明日飛べないリスクを勘案して確実に明日にはジョムソン入りが可能な車での移動を選択した。ちょうどムスタングに向かうフランス人8人のトレッカーがいたので彼らと合同してバスをチャーターする事になる。
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タトパニ(熱いお湯=温泉を意味する)に5時に到着。今日は当地泊まりで翌日ジョムソンに向かう。タトパニはバスが開通するまではトレッカーや交易商の宿泊場所として賑わっていたが、道路が開通してからは閑散としている。タトパニには地名の理由になっている河原にプール状の温泉があるのだが、興ざめするような温泉で今回はパスだ。以前トレッキングの帰路にこの温泉で汗を流したことがあるが、今日はまだそんな気分にはなっていない。
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走ってみて道路の傷み方は尋常ではない。跡形もなく流されたところもあり、今年の冬のハイシーズンに修復が間に合うのか心配だ。

8月2日(金)
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7時に出発。タトパニから先は狭い峡谷から広い河原が広がる明るい世界。それでも何カ所か道路が崩壊して歩かされる。1時にジョムソン(2720M)に着く。
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ここで先発していたコックさん、ドルチさんと再会する。彼とはダウラギリサーキットの際に素晴らしい料理を作ってくれた相棒だ。彼はダワさんと父親同士が兄弟だ。他にキッチンボーイ2人、ポーター3人と合流する。ようやく全員の顔合わせになる。キッチンボーイのダワさん(ガイドのダワさんとは別人)と一緒するのも2度目。もう一人がヌルさん。ポーターは3人とも青年達だ。21才と19才が二人。全員ダワさんの故郷(マカルー)に地縁があり、ポーターの一人もダワさんの兄の子供。全員気心の知れたチームだ。ジョムソンでドルチさんの手料理の昼飯を済ませて早速出発する。
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カリカンダキに沿って遡上する。ジョムソンを出て直ぐに右岸から左岸に吊り橋を渡る。ムスタングからの大河は広い河原を走っている。負担にならない程度の登りでエクロバッティ(2740M)を目指す。途中右手からのコーラが増水で徒渉も難しい。それを幸いと農業用のトラクターが待機している。ダワさんが全員の料金を支払い乗り込む。
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さらにしばらく歩いて4時15分にエクロバッティに着く。その手前には右岸に渡る吊り橋があった。翌日その橋を渡っていよいよ本格的なトレッキングが始まる。日中は汗ばむような暑さだったが、上流に向かって強風も吹き、気温も下がって肌寒いぐらい。取り敢えず今日は良い天気だった。
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アッパードルパ(ドルポ)トレッキング 6サンタ(3700M)へ・そのⅠ [秘境アッパードルパのトレッキング]

8月3日(土)
今日も天気は良さそうだ。2日掛けてサンタ(3700M)を目指す。途中2ヶ所のパスを越える。初日は途中のカルカでキャンプになる予定。7時過ぎに出発。昨日左手に見た吊り橋まで戻って橋を渡る。
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8時40分バーレックの集落に入る。まだ人里の延長だ。この集落は予想外に大きい。人の行き来も盛んだ。建物はすでにチベットの影響を受けていて、ドルパへの入り口であることを示している。バッティーで一休み。ファンタを一気に飲み干す。集落の道は迷路のようになっていてどれがトレイルなのか見極めが付かない。だがガイドはまるで毎日通る道のように草の茂る道をかき分けて先に進む。

しばらく行くと正面の山を右手に向かってトラバースのトレイルが視界に入る。この一帯はぱらぱらと低草木がはえているだけで牛が草を食む姿も見られる。10時過ぎに早めのランチとなる(3200M)。この先水場がないためだ。ドルチさんの相変わらずの料理には敬服する。巻き寿司にキャベツとニンジンのマヨネーズ和え、ウインナーとキャベツを油で炒めた物。デザートはマンゴーだ。フルコースの料理に食べ過ぎてしまいそうになる。12時にはランチを終える。
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不思議なことがあった。珊瑚礁で作られた岩が露出している。しかもそこに貝がしがみついている。ヒマラヤが海の隆起で盛り上がった山とは聞いていたが、その痕跡をこれほどはっきり目の当たりにすると迫力だ。
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12時に出発、2時15分にはバンジャン(3700M・乗越で必ずチョルテンが目印に建っている)に達する。1000Mの高度を稼いだのでさすがに高度障害が出てきたようだ。

ムスタング方面に黒い山が見えるが、ガウリチャンという山だそうだ。ヒマラヤには多くの神聖にして汚してはいけない山(登山禁止)があるが、その一つだ。ポカラから見えるマチャプチャレもその代表的な山だ。
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ニルギル、トロンピークが雲間からのぞいていたが、徐々に厚い雲に覆われはじめた。こちらとは対照的な天候だ。バンジャンからしばらくは下りのトラバースを進む。3時には様相が一変して左手からの切れ込みに向かって岩壁に沿った緊張するトレイルに変化する。ここではじめて10人の女性中心のチベタンと行きちがう。現地の衣装をまとい、軽装で足早に去っていった。3時半には再び穏やかなトレイルに戻る。
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気になるのは多少歩行中にバランスを失うようなこともあり、ムカムカ感も出てきて高度障害が進行していることだ。5時に幕営地に着く。すでにテントも張られていていたので倒れ込むように入る。ポーターが靴を脱がしてくれた。
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そこからは夕飯の準備が出来たという声が耳に入ったが身体は全く反応しない。そのまま朝まで寝てしまった。
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アッパードルパ(ドルポ)トレッキング 7サンタ(3700M)へ・そのⅡ [秘境アッパードルパのトレッキング]

8月4日(日)

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トレッキングとしては5時までの歩行は普通ではない。3時過ぎには幕営地に着くのが普通なので昨日はかなり強行だったということ。その上ここの幕営地は水場が遠かった。ポーター達が何十分も掛けて運んでくる。もしかしたら私の体調も考慮してベストではない場所で妥協したのかも。迷惑を掛けてしまったようだ。

今日は霧で視界は全くきかない。ガイドからは昨晩は満天の星でしたけど、との話だった。
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7時過ぎには出発する。しばらくトラバースの登りがあって8時過ぎに4000Mを超しているバンジャンに着く。山の表情はきわめて穏やかだ。
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高山植物の花が咲き誇っている。いつもヒマラヤには初冬しか来ないので灰色の世界しか知らない。こんなに緑豊かで美しい花が咲き誇っている別世界に驚愕した。しばしば花を踏まずに歩くのが難しいし、気疲れしてしまった。
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なだらかなトラバースが続く。8時40分ルンバというカルカに着く。あとで聞いた話だが、昨日はここまで目指していたそうだ。ただ、私の体調が悪かったので変更したとのこと。
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9時40分バンジャンを通過する。標高は4200Mぐらい。日はさしているが周囲には霧が掛かって視界はきかない。しばらく下ってランチだ。この先水場がないので今日もはやご飯になる。チャウメン(焼きそば)やボイルドポテイト、バナナなど準備してくれたが残念ながら体調は快復していない。高度障害が残っていて食欲がないので少しだけ口にする。

ランチも手作りなのでたっぷり時間をかける。なにしろポーター達の食欲は旺盛でダルバートをどこに入るのか不思議になるほど大食いだ。確かに30kg以上の荷物を運んでいるので当然かもしれない。ドルチさんは私の準備を終えたら彼らの料理を作り、後片付けもしなければならない。たっぷり1時間半以上はかかる。
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ゆるやかな下りが続き、再びゆるやかな上りの先に大きなチョルテンが視界に入る。そのバンジャンを2時40分越えると一気な急降下をする。その先には10数件ほどの集落がある。
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3時40分サンタ(3700M)に着く。近隣はカルカが点在し、牛、羊、山羊が草を食んでいる。ガオンの周りには畑を家畜の侵入から防ぐための石垣が積み上げられている。蕎麦、大麦や小麦が栽培されている。ここはアッパードルパの最初のガオンだ。
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アッパードルパ(ドルポ)トレッキング 8チャルカボート(4110M)へ ・そのⅠ [秘境アッパードルパのトレッキング]

8月5日(月)

次の目的地は四日がかりでチャルカボートを目指す。チャルカボートは411OMだが、その間には5300Mのパスを含めて4つのバンジャン(乗越)を越えなければならない。
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幕営地は学校の前にある草地。右手に流れるコーラ(川)との間に集落がある。普通なら子供達が物珍しげに寄ってくるのだがここではその気配はない。古老と思しき老人がマニを回しながら来てガイドと何やら話し込んでいる。さっき山羊の一段がカルカに向かって出発した。家畜を毎日草地に連れて行くのが日課だ。数え切れない数だが飼い主の家畜がどれなのか耳に目印が付いているので識別が出来る。
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ドルチさんは朝から手の込んだ料理を用意してくれる。私の好物と知っているコロッケだ。きっと高度障害で食欲がない私を気遣ってくれたのだろう。ガスター10を飲んだので胃のムカムカ感は解消してきたので、ちょっと無理をしながらいただいた。

7時には出発する。今日は何度もバンジャンを越えるのでタフですよ、とガイドから脅かされる。高度障害が解消気味とはいえちょっと不安が過ぎる。ガオンを離れると直ぐにコーラに合流する支流を徒渉する。水量が多く、膝までつかるほどなのでラクパさんが背負ってくれて対岸に。ラクパさんに寄れば以前には簡単に渡れるコーラだったそうだ。
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コーラの反対側に石造りの廃墟化した集落がある。そこはサンタの住民もその故事来歴を全く知らない集落の跡だそうだ。集落の周りには耕作可能な土地もあるのにこの貧しいエリアで何故そこに手を入れないのか不思議でならない。何か呪いとか悪霊の話でもあるのか、あるいは村人が全員、疫病に罹患して死んだので誰も近づこうとしないのか。今となってはもっと深く事情を探索すれば良かったと心残りだ。実際には体調もいまいちだったのでそういう意欲も湧かなかったというのが現実だ。
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なだらかな上りのトレイルだ。8時15分右岸に渡る。しばらく進むとそそり立つ岩壁に沿って急登が続く。9時40分厳しい上りも終わるが、その先も多少緩やかな上りが続く。タフな上りが終わってピークに立つ。ここからはコーラに向かって下る。
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コーラまで下り12時左岸に移る吊り橋の手前でランチになる。
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2時には出発。直ぐに吊り橋を渡って水面近くのレベルを移動する。しばらく行くと急登が始まる。息の上がる急登が終わって低木帯に入る。しばらくは上りが続き3時には草地になる。正面右手に2段の滝が目に入る。この一帯は高山植物の花が咲き乱れている。緑の絨毯に覆われて紫、ブルー、黄色、ピンク、白の花が心を和ませてくれる。
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対岸遙か彼方の急斜面を鹿の一団が移動している。なだらかな下りのトラバースの先に平坦な幕営地がある。今日のテント場だ。振り返るとカリカンダキの対岸にあるトロンピークも雲間から辛うじてピークをのぞかせている。その先にはガウリチャンも。登山禁止の神聖な山だ。
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ここで仲間を紹介しよう。ガイドのダワさん、カメラポーターのラクパさん、コックのドルチさん、キッチンポーターのダワさん、ヌルブさん、ポーターはガイドのダワさんの甥(お兄さんの子供)ジャンブー、その友達のチャンバー、兄貴格のダワ(3人目のダワさん)だ。
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アッパードルパ(ドルポ)トレッキング 9チャルカボート(4110M)へ・そのⅡ [秘境アッパードルパのトレッキング]

8月6日(火)

今朝は霧に覆われて視界はきかず霧雨が降っている。5000Mを超すパスを通らなければならないのでちょっと不安だ。7時20分なだらかな上りのあとにフラットな場所に出る。幕営に最適そうな環境だが、昨日ここで幕営しなかった理由は肝心な水場が無かったからだ。その後はジグザグの上りが続き、8時尾根状のなだらかな場所に出る。高山植物の花も少なくなり、専門的な知識がないので正確な説明は出来ないが、板状になった岩がバラバラに崩れたり、岩状に重なっている。
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8時40分ツチェラバンジャン(4890M)に着く。簡易に作られたチョルテンが数多く建てられている。さらになだらかな上りのトラバースを続けていくと、10時にはニワールパス(5420M)に着く。ここでも霧に覆われて視界は不良だ。
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ここからはコーラに向けて下降する。11時、奥地とは思えない広い河原に出る。ここで対岸に徒渉する。ここではドルチさんが背負ってくれる。
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ドルチさんは日本人を中心にトレッカー、クライマーのガイドもする強者。彼がそれなのに今回のコックを引き受けてくれたのは私の要望を聞き入れてくれたから。昨年もお願いしたが既に予定が入っていて適わなかった。今回はドルパということで無理をお願いした。一本気でチーム全体へのリーダーシップ、山岳での判断能力やタフネスさはすでにダウラギリで驚嘆した方だ。そのうえ彼が作る日本人の舌に合うメニューも高山での体力疲弊への強力なサポートになる。なので彼は単なるコックと言うよりダワさんをサポートするサブリーダーと言えよう。

対岸の殺風景な斜面を登る。ここでは薄日も漏れる天気になっていた。トレッキングを始めてはじめての外人トレッカーと行きちがう。彼らはドイツ人の一行だ。ジュファールまでヘリで乗り込んでジョムソンに向かっているとのこと。ガイドのダワさんも口にするのだが、白人は体力が並大抵ではなく、ガイドするのも大変だと感服するほど力強い。私のひょっとしたら2倍の早さで先を進むようだ。
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一気の上りで1時には再びパスに着くが、ここでは小雪が降ってきた。このパスが何処なのか、地図と睨めっこをするが名前が分からない。ガイドにとっても何度も来るエリアでないし、人ッ気があって確認する術もなく、地名もチベット語とネパール語が混在していることもあるらしい。想像の域を出ないが5000Mを超えているというのがガイドの話だった。
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不思議とパスを越える上りはきつく、下りはなだらかなトラバースというペースなのでタフだ。コーラに沿ってなだらかだけど長い長いトレイルが続く。足下に目をやると珍しい石が目に入る。思い出に気に入った石を拾い上げてポケットに入れる。
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    (不思議な石、おそらく苔なのかカビなのか美しい柄を作っている)
今日はめまぐるしく天気が変わり、幕営地に着くやいなや音を立てて雨が降り始める。タフな一日だったので、倒れ込むようにテントに入り、ウインドブレーカーを脱ぎ捨ててシュラフに潜り込む。朝まで一歩も出ずじまいで夕飯もなかで済ませる。
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アッパードルパ(ドルポ)トレッキング 10チャルカボート(4110M)へ・そのⅢ [秘境アッパードルパのトレッキング]

8月7日(水)
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昨晩の雨は深夜には雪になっていたようだ。テントから顔を出すと周りは白銀の世界になっていた。歩行には全く影響は無い。今回のトレッキング日程を詰めるにあたってガイドから9月以降は降雪で移動出来ないリスクがあるので8月中にするよう言われていた。このような雪を見るとそれが正しい判断であることが分かる。
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6時半過ぎには出発する。なだらかなトレイルを行くと7時にヤク・カルカに着く。フラットで広々とした高原状のエリアに簡易テントが張られている。石の囲いにはヤクが放牧されている。ここで新しい事実が分かった。ヤクと言われているヤクは総称として使われているが実は雄がヤクで雌をナクと呼ぶことが分かった。ヤクの放牧に来ているチベタンの一団とムスタングからキャラバンに来ている10名ほどの一団だ。彼らは馬も帯同している。
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ヒマラヤの奥地とは思えない美しい穏やかな景色に一時の安らぎを得た。コックのドルチさんは彼らとなにやらやり取りをしている。物々交換がここでは普通の世界らしい。不必要な物とお互いが希望する物を物色する。結局はお互いのニーズに応える交換は実現しなかった。
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カルカの先でコーラを渡ることになる。急流ではないが、川幅が広い。キャラバン中の連中は馬に乗って徒渉している。羨ましい。私は再びドルチさんの背に負われて徒渉になる。
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周囲の山を見ると新雪に覆われて純白に輝いている。ガイドからは昨日通過したパスは深い雪になっているでしょう、運が良かったですよ、と言われる。
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渓谷沿いのトレイルに移り8時50分には広い河原に出て支流が合流する。ここでは幸い石伝いに対岸に渡れる。10時半再び支流が合流しているが、今度はまたまたポーターの背中に背負われることになる。
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対岸の傾斜地にタルバガン(モーマットとも言う)が顔を出して鳴き声をあげている。多分我々に対する警戒心がそうさせているのだろう。ダルバカンはヒマラヤでも中央から東部ではほとんど見る事がないが、カラコルムでは多く見る事が出来た。ドルパはカラコルムに近いヒマラヤだからだろう。
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しばらく行くとガイドさんから対岸の稜線を見てご覧なさい、アイベックスがいますとのことだった。残念ながら肉眼では確認出来なかったので望遠をつけて写してもらった。
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11時には広い草地に出てランチになる。12時に出発する。ここからはコーラに沿ったトラバース気味のトレイルになるのでハードではないと言われたが、自分自身の体力がかなり疲弊しているのでリラックスするわけにはいかない。
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コーラの水面近くにトレイルが移る。しぶきが飛んでくるようなところもある。1時には岩がトレイルに迫り、コーラとの狭い間を辛うじて歩く状態になる。夏場は水量も多いのでその先はトレイルが一部流出したり、水没している。膝までつかって先に進まなければならない。ここでもドルチさんの世話になる。
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2時に再び支流を徒渉する。ここは石伝いに渡れるので、と主張したが、濡れると面倒ですからおんぶしましょうと言うことになってしまった。
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コーラ沿いのなだらなかで単調なトレイルが続く。その先はじょじょにコーラから離れて平坦な台地状の草地を進む。4時半には右手からコーラが視界に入る。ガイドは幕営地の状況確認もあって先行し、私はカメラポーターのラプカさんとマイペースで歩く。台地上のトレイルは獣道も含めていくつもの踏み跡がある。右手に巻ながらコーラに向かって途中まで下った時、上の方から声が聞こえてきた。幕営は台地状の上になったので登ってくるように、とダワさんからだ。慌てて道なき道を直登する。最後の力を振り絞って草を頼りによじ登る。そこではすでにテントが張られてホットジュースが用意されていた。ところが2人のポーターも我々と同様コーラに向かって下降していた。彼らにも大声で上がるように指示が飛ぶ。
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幕営地は左手のコーラ(そのコーラに沿って移動してきた)と右手から入り込むコーラ(ムスタングから)の合流するその間につきだした尾根の突端になる。切り立った岩壁下左手に立派な吊り橋がある。

夜には雷が鳴りと雨が降った。幕営地がどこよりも高い場所なので落雷が心配で気がきではなかった。翌朝それを質すとガイドはこのあたりでは落雷は心配ないですよと返ってきた。それにしても何もなくてホットしたのは事実。
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アッパードルパ(ドルポ)トレッキング 11チャルカボート(4110M)へ・そのⅣ [秘境アッパードルパのトレッキング]

8月8日(木)
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チャカルボートはもうすぐだ。ガイドの腹づもりは昨日中にチャカルボートを目指すつもりだったらしい。いずれにしてもチャカルボートでは当初からレストデイの予定だったのでせいぜい2時間の誤差だ。
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7時に出発する。ムスタングに帰るという一人の若者が急ぎ足ですれ違う。ずた袋一つという軽装だ。私が何日も掛けて歩いたところをあっという間に着いてしまうらしい。日常と非日常の違いをまざまざと見せつけられた。
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突き出した台地状で眼下に見た吊り橋に向かって一気に高度を下げる。吊り橋を渡り左岸に移って高巻きしたあとは水面近くのトレイルを下る。右岸にもトレイルが見える。ラクパさんの話では以前は吊り橋がなかったので、右手のコーラを腰までつかりながらの徒渉をしてこのトレイルを歩いたと聞いた。吊り橋が出来たので随分楽になったそうだ。
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9時再び右岸に橋を渡る。ここで旧道と合流する。チャカルボートの町が遠くに見えた。トレイルはコーラに沿って進む。久しぶりに立派なマニ・ウオールがいくつも続く。オム・マニ・ペメ・フム
http://www.tibethouse.jp/culture/omph.html を参照)が石に刻まれている。そこには信者の期待、希求が託されている。たまたまラクパさんは幼少の頃6年間、ゴンパで修行を積んだ経歴があったので詳細の説明があったが、彼の達者な英語でも理解出来るほど生やさしいものではない。今まではチベット語のおまじない程度の理解だったので大変勉強になった。
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直ぐに集落に入るが、家の造りが間違いなくチベットの文化を実感させる異世界だ。しかし廃村みたいに人ッ気のない眠っている感じた。最初に出会った人が小学校の先生だった。確かに知的な感じを漂わせる穏やかな30代の男性。生徒は野外学習と言うことで別の先生が数日がかりで生徒を連れて村を離れているそうだ。彼はデュナイの出身でジョムソンには行ったことがない。この数日何回か通過したパスの名前を聞きたかったのだが残念ながら彼から情報を得ることは出来なかった。
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幕営地は学校の前、おそらく校庭と思われる広場に張られた。学校には30人の生徒が在籍している。卒業するとお金のある場合にはジョムソン、もっと高等な教育を目指す生徒はカトマンドゥに行くそうだ。それは日本の昔を想起させた。
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周りを見回すと11個のチョルテンが視界に入る。このガオンにはラマのいる2つのゴンパがある。廃墟化したゴンパがコーラの対岸にもう一つ。チョルテンは仏塔で、信仰の対象であったラマの死後を祭っている。だからゴンパの近くにはチョルテンが多く見られる。
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トレッキング中にも大げさな作りではないがチョルテンを見かける。多くはバンジャン(乗越)に建てられている。これは仏塔ではあるが、ラマのお墓というのではなく、行き来する人々の安全、多幸を祈願しているものだ。
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チョルテンを語る時に死後の儀式が独特であることを語らなければならない。チベット仏教では死後の肉体は抜け殻として単なる肉体化する。輪廻の思想があるからか、普通の人々は切り刻まれてその肉塊を山にまく。それを鳥が啄む(鳥葬)、あるいは川に流す(水葬)。ラマの場合はその一部をチョルテンに埋葬する。

幕営地は住民にとっても行き来の通路なので、通りすがりにテントを覗いたりしていく。トレッカーの入村、そして外人は物珍しいのだろう。エベレストやアンナプルナではもう起きない現象だ。改めてヒマラヤの秘境に来た実感が沸いてくる。
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昼下がりに学校の先にあるゴンパを訪ねる。ところがゴンパは鍵がかかっていて入れない。ドルチさんが脇にあるドア前で大声で呼びかける。しばらくすると中からラマが出てきた。今、ラマはゴンパに籠もり俗人と交わることが禁止されている時期なのだそうだ。
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人の良いラマは皆さんは遠くから来たのだろうから、と例外的にゴンパ内を御案内しましょうということになった。私が5年ぶりに来た日本人だったからかもしれない。彼は64才のラマで、独身。彼に河口慧海の話を振ったところ、話は父親から良く聞いていた、とのことだった。父親の先代が河口のお世話をしたそのお礼にということで、傘を恵贈された。当時のドルパでは見たこともない傘に驚愕し、家宝として大事にしていたそうだ。ゴンパ内の撮影も禁止なのだが特別許可して貰う。

このゴンパにも修行中の子供が、10歳前後か、数人いるが、外見的には普通の子供でしかない。ラマにそれを質すと当地は冬期とても寒い場所なので長髪を認めています。服装は祈祷の際には正装でのぞみます、とのことだった。今はゴンパの前で普通の子供同様に戯れていた。

河口が入村した当時のゴンパは現存するが廃墟化してコーラの対岸にある。河口慧海の存在が今までは想像の世界でしかなかったのが、リアルな存在として眼前に現れ、100年の時間経過を超越した一瞬だった。
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対岸にある廃墟化したゴンパを撮影するためにガオン(集落)に行く。ラクパさんがお供をしてくれた。彼はお構いなしに人家の門をくぐってゴンパがよく見えそうな場所を探してくれる。私はハラハラだったが、家主が出てきたら私が説明しますから安心して下さい、と言われた。本来ならそのゴンパを間近に見たいのだが、コーラの対岸に渡るには朝方渡った橋まで戻り、ふたたびこの対岸まで下る必要があった。さすがに少々距離がありすぎるので、行くのを諦めてここからの撮影で我慢しよう。
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ラクパさんは以前一緒に働いていた同僚の実家に挨拶に行くので土産を買いに村で一件しかないショッピングセンターという看板のある店に入る。ショッピングセンターとは名ばかりで、裏口に回り家の中を通って店先に入る。店は道に面しているのにそこには出入り口がないという奇妙な作りだ。日本で言えば昔ながらの雑貨屋の品揃え。彼は土産にたばこを買った。そこで私は彼と別れて一人でガオン内を散策しながら迷うことなく無事に幕営地に戻る。
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もう一つのゴンパにも詣でたいとガイドのダワさんと丘上に向かう。4時頃だったか、読経の声が聞こえてきた。ゴンパのラマは籠もっていて出てこないので、内部を見る事は出来なかったが、読経の声が響くゴンパ脇にある修行僧の部屋を訪ねる。
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ドアを開けて中を見ると一瞬真っ暗で何も見えない。不気味に読経だけが聞こえてくる。暗闇に徐々に目が慣れてくるとあどけない顔が浮き上がってくる。手元にはお経本が置かれていて3人が見事に相和して詠んでいる。とても修行僧とは思えない落ち着きとしっかりした鍛錬を感じさせた。

今日は休養も兼ねた一日が終わった。アッパードルパを目指した想いもたっぷりと満喫出来た。感激の一日が終わろうとしている。しかし、明日からまた再び厳しいトレッキングが待っている。
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アッパードルパ(ドルポ)トレッキング 12ドゥ・タラップ(3944M)へ・そのⅠ  [秘境アッパードルパのトレッキング]

8月9日(金)
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7時に出発する。学校とゴンパの右手を登り、なだらかなトレイルに移る。ドゥ・タラップに行くには二日がかりで2つのルートがある。一つはコーラの左岸(対岸)にあるトレイルをチャンラ・バンジャン(南)を越えて行くルートと、我々が進むジャルコイ・バンジャン越え(北)のルートだ。1時間ほどなだらかの登りを行くとコーラが左手に向きを変えて、もう一つのルート(チャンラバンジャン越え)はコーラに沿って西に進むが、我々はここからモーラ・バンジャン(別名チャルカ・バンジャン)(5023M)に向けて一気に1000M弱の高度を稼がなければならない。今日は寒い強風が吹いている。雨は降っていないが、雲が空一面を覆っている。
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先行するポーター達が必至に登っている姿が小さく動いているのが見える。後に続こう。急登も一段落して9時50分に平坦な場所に出る。左手前方を見上げるとタルチョーがはためいていた。そこが無名のバンジャンだ。
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ひたすら登りが続く。10時過ぎに左手の山から落石の轟音がけたたましく響く。目の前に深く切れ込んだ谷が見える。
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10時20分にはランチだ。トゥッパとオレンジ。トゥッパはチベットの煮込みうどんで私の一番好む料理の一つ。食欲がなかったり困った時にはそれにしている。みかんはまだ緑色で酸っぱいが、疲れた身体にはレモンのように元気を与えてくれる。
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12時に出発する。ふたたび急登が続き1時にはモーラ・バンジャン(5027M)に着く。タルチョーに幸運を祈りしばらく一息入れる。反対側からは雲が吹き上げ、小雨交じりになる。慌ててウインドブレーカーを着る。
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なだらかな下りのトラバースが続き、2時40分広大な草地が広がるエリアに出る。コーラを渡るとヤクの毛で作られたテントが数張りあった。牧童とその家族が滞在するテントで夏期の生活の基地だ。ヤクの毛で作られたテントは分厚く、頑丈で防水、防寒機能に優れていて何十年も使えるそうだ。
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このカルカを現地の人はラキャップ(地図ではラジャール・ズムナか)と呼んでいた。その近くに幕営する。ヤクの糞で踏み場がないほどだ。現地の人は決して不快なものとして扱っていない。幕営する際にも気を遣わずにテントを張っている。すいません、入り口の真ん前に糞があるので、と言えば手で掴んで遠くに放り投げてくれた。確かにヤクの糞は乾燥させて燃料にもなるのだから不快な気持ちはさらさら無く、むしろ大事な物として価値があるからだ。そういうことは知っているものの湿気た糞はさすがに近づきたくないのが正直な気持ちだ。
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夕方になるとカルカにヤクやゴートを引き連れて牧童達が戻ってきた。この一帯はヤクとゴートで埋め尽くされた感じだ。
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彼らのテントを訪ねてみる。テントの中では薪がくべられて暖かい。天井に向けて筒があり煙はテント内には充満しないようになっている。中には生活必需品が整然と並べてある。彼らは夏期だけチャカル・ボートから放牧のために上がってきている。ストーブの周りを囲みながら座る。早速チベタンティーで歓待してくれる。チベタンティーはナクの乳に塩を入れて1M弱の筒のなかで棒を上下して攪拌する。ナク乳のこってりした味と塩が見事に調和して元気を甦らせてくれる。私の大好物だ。飲み干すと直ぐに「どうぞ」、と注いでくれる。それが何度も繰り返されるので、もう十分です、といっても遠慮をするな、という感じで追加がある。こんなやり取りも昔の日本を彷彿させる。
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今日は昼時に日差しがあったものの午後は小雨が降り続いた。テントに入ると雨音が聞こえる。明日はドゥ・タラップを目指す。天候が回復して欲しい。
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アッパードルパ(ドルポ)トレッキング 13ドゥ・タラップ(3944M)へ・そのⅡ [秘境アッパードルパのトレッキング]

8月10日(土)

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今日はドゥ・タラップを目指す。相変わらず霧のかかった天候だ。6時には牧童たちはゴートの群れを連れて草地に向かっていく。このカルカにはヤク、ナクも放牧されていてナクの乳を求めてすがりつく子供が愛らしい。子供から解放されたナクには年老いたおばあさんが乳搾りをしている。彼らのテントを訪ねる。ストーブはテント内を暖かく快適にしている。絞りたての乳で作ったチベタンティーをご馳走になる。
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今日の進行方向にはチベットの山が見える。上部には新雪が彩りを添えている。7時半には出発する。なだらかなアップダウンを繰り返しながら、途中にはいくつかのカルカが点在していた。コーラを越すと一気の直登が始まる。8時40分にはリッジに出る。そこからはリッジに沿って高度を稼ぐ。9時15分バンジャンを通過する。さすがに手応え十分だ。
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緩やかな下りが続き9時40分には小さなコーラをよぎりながら先に進む。ドルパの特徴は流れる水が透明で美しいこと。トレッキングで有名なヒマラヤの中央部から東部では氷河を源流にするのでどこでも白濁しているのと対照的だ。
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ふたたび登に移り、いよいよ今日の一番の難関5420Mのジャルコイ・バンジャンを越さなければならない。10時半バンジャンが視界に入る。バンジャンを越えて馬を連れた現地の人が降りてきた。もう一踏ん張りだ。11時20分バンジャンに着く。この先で川口慧海が辿ったルートと分かれて左手の谷に沿って移動する。
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         (珍しいブルーポピー)
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今日は一日中不安定な天候で、日差しが出ることもあるが、曇り時々小雨だ。ジャルコイ・バンジャン(5420M)を越えるとふたたび小雨が降ってきた。しばらく降りるとポーターがホットジュースを持って登ってきた。さすがに2つのバンジャン越えだったので、この飲料は疲れた体にはカンフルだ。
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ポーターは我々の荷物を背負って昼飯を準備しているところに足早に去った。今日はちょうどいい場所には水場がないので、おにぎりとバナナだ。ふたたび日差しが戻りさぁ昼飯を始めようとしたら大粒の雨になる。急に降り出した雨の中昼飯になったのでビニールのシートを頭にかぶりながら頬張る。いつものように食事を準備する予定だったら大変なことになっていた。不幸中の幸いと言うことだ。
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なだらかな下りが続き、ふたたびコーラを徒渉することになる。幸い雨は上がり、前方にドゥ・ラの集落が視界に入る。はじめはドゥ・タラップのガオンではとホットしたのも一瞬、確認したらその手前のガオンだと言うことだった。トレイルはコーラに沿ってほとんど平坦になっているので肉体的には楽なはずだが、底だまりしている疲労が深く、想像以上に辛かった。ドゥ・ラの集落一帯はそれほど大きいガオンではなかったが、久しぶりに生活臭が漂い、コーラでは洗濯や野菜を洗ったり、子供たちが遊んでいる。耕作する平坦な土地もあって、収穫期を間近にした大麦の穂が大きく育っている。
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この最後の1時間は平坦なのに足が重い。4時過ぎにはようやくドゥ・タラップ、今までみたガオンと比較すると圧倒的に大きい。クンブ地方(エベレスト)の中心がナムチェバザールなら、ここはアッパードルパのナムチェという事だ。
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ふたたび音を立てて雨が降ってきたので早速テントに避難する。明日はレストデイなのでゆっくり休養をしよう。まだまだ先はあるのにさすがに不安がよぎる。ここでは行くにしても帰るにしても5000Mを超すバンジャンを越えて1週間は歩かないと人里にはたどり着けない。
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アッパードルパ(ドルポ)トレッキング 14シェーゴンパを目指して・そのⅠ [秘境アッパードルパのトレッキング]

8月11日(日)

今日は一日レストデイだ。それなのに天気は快晴。テント裏の崖上では数頭の馬が繋がれている。キャラバンの準備をしているのだろう。
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移動日の不安定な天候と比べて今日の快晴は悔しい思いも湧いてきたがものは考えよう。レストデイが天候悪いとテント内に監禁されて手持ちぶさたになる。そう考えればレストデイの晴れは歓迎といえよう。

幕営地はコーラの河原で道に面しているので人通りが多い。近くではロッジの建築中で作業人が行き来している。
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天気もよく、仲間たちは洗濯をしたりのんびり寛いだりしている。私はガイドのダワさん、ラクパさんと一緒に丘の上にあるゴンパを訪ねる。ドゥ・タラップは山岳地帯としては広大な耕作地があり、水も豊富なので農業が盛んだ。大麦、ジャガイモ、小麦、そばが青色の絨毯を広げている。
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ゴンパは鍵がかかり中を見ることはできなかった。何度も大声で呼びかけるが全く反応がない。雑草が生い茂り、ここで修行が行われているのかといぶかるほどだ。ゴンパは苔むして歴史を感じさせる。ダワさんになんで人っ気のない状態なのか聞くと、ゴンパはラマ、修行僧たちの祈祷と修行の場であって信者は年に数回お参りする程度とか。そうなのかと頷いた。
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幕営地に戻ろうと集落に入ったら前方から若い女性(10代後半か)が近づいてきた。ラクパさんが気軽に声をかけてなにやらやり取りをしていた。彼女はムスタングから親戚の家に来ているそうだ。様子から想像するとチベタンティーが飲みたいのでバッティーを教えてもらっているようだ。
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そんなやり取りの後、彼女は自分の目的をとりあえず棚上げして親戚の家に我々を案内してくれた。家に一歩を踏み入れると暗闇だ。中に進むと囲炉裏を囲んで家族がいた。早速チベタンティーを所望する。残念ながらここのチベタンティーは薄めで期待したものではなかった。
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今でも分からない、この家がバッティーなのか、無理矢理お願いして普通の家庭に入り込んでチベタンティーを所望したのか、後者だったら申し訳ない気持ちが残った。でもガイドたちの振る舞いからはこのようなやり取りはネパールでは普通なのかもしれないし、貴重な金(300ルピーだった)が手にできるので歓迎なのかもしれない。

時間があるのでドルチさんも思いっきりご馳走を作ってくれる。昼飯はマトン肉を仕入れてタマネギ、ピーマンとの串焼きを作ってくれた。しばらく肉料理はなかったこともあり、格別美味しかった。それとジャガイモのコロッケをとんかつソースをつけて食べる。それに乾麺の冷やしうどんを大根おろしのつゆで食べる。至れり尽くせりの料理だ。

午後は日向でのんびり昼寝をしているとニューヨークからの3人のパーティーが通り過ぎていった。久しぶりの外国人だ。夕食はマトンカレーだった。これも絶品。ご馳走様!
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テント生活が長くなり、枕代わりにしている荷物がどうも合っていないようだ。右首筋が強烈に痛み、目が覚める。テントから出て柔軟体操をする。何度かその痛みが気になって目が覚めたが、疲労が勝って眠りにつく。

8月12日(月)

ドゥ・タラップからコーラに沿って下ると我々がトレッキング後半で目指すデュナイに向かうトレイルがある。そちらからだと、シェーゴンパ、ポクスンド湖を経由しないので(行くとしたら下に下りてシェーゴンパまでの往復が避けられない)我々はこのままコーラを遡上してまずはトキュを目指し、シェーゴンパ、ポクスンド湖を目指す。

シェーゴンパまでは5000Mを超すバンジャンを2回、4900Mのバンジャンを一回越えなければならない、日程を考えるとここを確実に3日で越えたいとガイドからの話だった。無理のないスケジュールだろう。ただこの先2週間のトレッキングという長丁場はなかなかタフだ。昨晩、ダワさんから馬を借りて体力を温存することも検討しましょう、と助言があった。
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体力温存は喫緊の課題だし、ホースライディングも面白そうだ。ということでシェーゴンパまで馬を雇うことにする。朝方ラクパさんがその段取りのために集落に出向く。馬の持ち主と馬子が馬を引き連れて下りてきた。馬といっても力強そうな馬ではなく、ロバといわれても通用するがたいだったので不安になる。ラクパさんにそれを尋ねたが、全く問題ないとのことで一安心。

ところで馬を借りる費用を尋ねたが、なんと400ドルで馬子の食事持ちだった。ここに来て大きな出費になるがやむを得ない。
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あぶみに足をかけるのに苦労する。登山靴なのでサイズが大きく、あぶみになかなか先が入らない。そのうちに馬が突然暴れ出す。馬子という男は俄仕立てで馬の扱いに慣れていないことが判明。むしろラクパさんの方が上手にあしらっている。そういえば鞍をつけるのもラクパさんがほとんどやっていた。
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はじめての馬上からの景色、新鮮な世界だ。しばらくはコーラに沿って平坦なトレイル、周囲は広々とした畑が広がっている。次の大きなガオン、トキュ(4200M)までそれが続く。8時に出発したが、しばらくすると学校に登校する生徒たちが三々五々ユニフォームを着て歩いてくる。当地ではユニフォームもネパールで普通に見られる制服とは違ってチベット仏教を反映したラマの服装に似せている。というかそのものかもしれない。
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   (学校)
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   (診療所)
道筋には仮設のテントが数多く張られている。遠くから出稼ぎで、物販やバティーの商売をしている。ダワさんが突然親しげに近づいていって握手をしていた。なんと我々のパーティーの出身地であるマカルーの人だ。お互いこんな偶然にびっくりしている。そこでチベタンティーを飲んで一息入れる。
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右手丘上にガッカールタンガル・ゴンパがある。ここも草むして荒れ放題だが、声をかけたら若い青年が出てきた。彼はこのゴンパのラマではないが修行をしている最中だ。ラマをしている父親の後を継ぐつもりだと言っていた。鍵を開けてもらい中を見せてもらう。
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9時20分トキュのガオンに入る。町を通り過ぎ町外れでゴンパが左手に見えた。高山特有の強烈な日差しがさして汗だくになる。この一帯では珍しい立派なストゥーパが並んでいる。ここでも中には入ることが出来なかったので9時40分離れる。
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トキュからはトレイルは二つに分かれる。一つはジャンタ・コーラを遡上してサルダンに向かい、ぐるっと回ってシェーゴンパを目指すか、我々が選んだ左手にあるコーラに沿って遡上し、その先でヌマラ・バンジャン(5143M)を越えるトレイルだ。
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このトレイルは最近整備されたルートで、サルダン経由よりは相当楽になっていると聞く。新道は地図によってはマイナー扱いになっていた。旧道では胸まで浸かって徒渉したりもしたとラクパさんが経験談を話してくれた。
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まだなだらかな登りの連続で馬上でも腰や足が痛くなるようなことは無いが、さすがに尻のしびれと汗に悩まされる。高山植物が咲き誇っていて美しい。右手コーラの先には朽ち果てたゴンパやチョルテンが望める。しかし、人気を感じさせない。すでに無人化してしまったのだろうか。

馬子は徒渉でしばしばびしょ濡れになっていたが、馬上の私は幸い濡れることはない。
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11時15分にランチそして1時には出発する。だんだん谷間も山が迫って狭くなり傾斜もきつくなる。高度を稼ぐと高山植物が一睡の隙もないほどに咲き乱れて黄色、紫、白色で織られたグラデーションに染められた絨毯が広がった。単調なトレイルが淡々と続き、3時には幕営地のヌマラ・フェディに着く。
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アッパードルパ(ドルポ)トレッキング 15シェーゴンパを目指して・そのⅡ [秘境アッパードルパのトレッキング]

8月13日(火)

今朝は大椿事があったことを聞く。深夜馬が遁走してしまったという話。ラクパさんがふと不安になって馬を見に行ったら消え失せていた。繋いだロープが外れたのだろう。こんな広大な自然のなかでどこにでも行けそうだから探しようもないはずなのに彼は見事に居所を発見し、無事に連れ戻した。動物の習性を熟知しているからできる技。それにしても見つかってよかったと安堵したのはひょっとしたら私だけだったのかもしれない。それにしても馬子は何をしていたんだと怒りを覚えた。彼は所詮雇われの身で馬を熟知した馬子ではないと言うことだ。
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6時45分準備が整い出発する。7時30分様相が一変し高山植物も、草木も生えていない殺伐とした景色に変わる。左手の峰はうっすらと雪化粧をしている。
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登りが急になってくると、馬上も決して楽ではない。鞍をしっかり掴んでないと後ろに放り出されそうになる。腕力との戦いだ。さすがに馬も喘ぎ喘ぎになる。心臓の鼓動が激しく脈打つのが内腿に伝わるし、荒々しい息づかいが痛々しい。息切れして突然停止する。しばらくは馬子もいたわるように静観するが、そのうちに鞭が飛ぶ。気を取り直して歩き出すがすぐにダウン。こんな思いをさせるなら降りてあげたい。しかし急傾斜地では簡単に馬から下りることもままならない。ようやくの思いでバンジャンに着く。8時だ。ここはチッタンダラ・バンジャン(4900M)。左手のコーラに沿って下るとポスクンド湖に行けるトレイルがある。

一息入れあと、反対斜面は自力で下山しなければならない。登りよりはるかに急斜面なので馬上は危険だということ。確かに登りではしがみつけばなんとかなるが、下りになると思いっきり反っくり返らなければならないし、馬の背中も波打って不安定になる。それと騎乗していると膝関節に痛みが走ったり、腿が張ってくるので歩くことはストレッチにもなり快適だ。ようやくコーラに辿り着く。
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ふたたび馬上の人となって次のバンジャンを目指す。左手に聳え立つ山は褐色の箱形で何層にも断層が走り、まるで建物のような様相だ。ローマ時代の建築物を彷彿させる。それを反時計周りで谷に向かっていく。
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ふたたび馬にとっては地獄の急登になる。心臓の鼓動が伝わってくるたびに「ごめん」と声をかける。馬は何度も休憩を取ってようやくヌマラ・バンジャン(5143M)に着く。10時15分だ。
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ここからも馬を下りて自力で下る。まっすぐ沢に降りながら途中から左手のリッジに移る。さてこの辺で今日の昼飯と待ち構えたが、肝心の料理担当のドルチさんとキッチンボーイが見えない。

大声をあげて叫べど何の反応も無い。あのベテランがどこに行ってしまったのか、と不安になったが、ダワさんたちは慌てる様子もなく、ラクパさんが探してきましょうと沢沿いに下っていった。なんときが経っただろうか、下から料理チームが上がってきた。
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さすがトレッキングに精通している仲間の実力発揮というところ。大事にはならなかった。カルカが下部にあってそのトレイルを降りてしまったと言うことだった。12時前にはランチの準備が始まる。

今日は出発時に多少の小雨があったが、さいわい快晴にはならないが安定している。ただ、冷たい強風が吹き荒れて馬上にいるのでなおさら寒さを実感する。
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1時過ぎには出発。リッジの左手にコーラが流れているが、そこを徒渉して左前方の右流れの斜面をトラバースする。いくつもコーラに流れ込む支流を徒渉するが、支流は深い切れ込みをえぐるように流れていたり、なだらかな斜面をゆったり流れたりしている。全般的にのんびりしたトラバースが延々と続く。
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周囲は草地になり、放牧地にもなっているようだ。遙か下、コーラの河原には白いパオと思えるテントが数張り見えた。3時40分に幕営地に着く。
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アッパードルパ(ドルポ)トレッキング 16シェーゴンパを目指して・そのⅢ [秘境アッパードルパのトレッキング]

8月14日(水)

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シェーゴンパまではもうすぐだ。昨晩ぱらぱらと雨が降っていたが今は曇天でとても肌寒い。雨が降らないことを祈る。雷鳥の声を聞いたドルチさんが今日は雨が降るかもしれないですね、と話す。
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いつものように7時に出発する。幕営地左を流れているコーラを徒渉し反対斜面を登る。ガレの連続の登りで馬上も揺れて落馬しいないよう気を遣う。8時20分にバンジャンに着く。ここはセラ・ムクチュリバンジャン(5126M)だ。手がかじかんで手のひらをこする。反対方面から現地人が登ってきた。チョルテンの前で記念撮影。
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ここからはふたたび馬を下りて下山する。なだらかに広がる河原に出る。のどかなトレイルだ。河原に沿って右岸を下る。
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9時半には前方左に断層が弓なりになって幾十にも重層している赤茶けた奇岩がある。その下をコーラが蛇行している。日本の渓流にもありそうな渓谷美は見事だ。今までヒマラヤでは経験したことのない風景にうっとりしてしまった。
赤茶けた岩はチャートという堆積岩で放散虫・海綿動物の堆積で作られた岩では無いだろうか。南アルプスの赤岩岳の由来と類似しているように思える。
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しばらく休憩を頼んで渓谷に戻り写真を撮る。あとでその写真を見ながら残念ながらその再現が全くできてないことが分かり、撮影技術のなさに落胆した。
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その先は徐々にコーラの水面から離れて水平トレイルの移動になる。シェーゴンパ(4160M)はもうすぐだ。左手コーラの対岸の草地には数多くのヤク、ゴートが草を食んでいるのが見えた。11時にシェーゴンパに着く。シェーゴンパの正式名はシェイ・スンド・ゴンパだ。
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シェーゴンパの周辺にはガオンはなく、ゴンパがあるだけ。下ってきたコーラと左手から流れてくるコーラが合流する出会いの右岸上にある。幕営地はゴンパの奥手に広がっている広場だ。ゴンパは後でゆっくりお参りすることにしてとりあえず昼飯になる。
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天気は不順で日差しもさすこともあるが、曇ったり、霧がかかったりしている。また小雨も降ったりする。眼下に広がる河原には夏場に滞在する牧童たちの夏家が数軒建っていて、人が行き来しているのが分かる。
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突然轟音がしてヤクの一団が早足で下の河原に向かって通り過ぎていった。牧童頭かビチョールという人が挨拶をしてくれた。彼らのすまいは北方にあるサルダンか南方にあるポクスンド(リグモガオン)なのか、生活とはいえ我々の想像を超えた生活だ。

目の前のコーラ左岸に沿って厳しい山道を行くとゴンパがあるので2時から行くつもりだったが、残念ながら雨が降り始めでしまった。しかも悪路でもあるので断念することにした。
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4時には雨も気にならない程度になったのでシェーゴンパに行く。といっても目の前なのですぐだ。ここでもラマは人との関係を絶っているのだが、ドルチさんの強引な要請を受け入れざるを得なくなってゴンパの鍵が開いた。

このゴンパはこの一帯をシェーゴンパ、ポクスンド国立公園と銘うつほどだから将来の世界遺産になる可能性もあるかもしれない。タンボジェにあるゴンパがネパールで一番古いがそれに次ぐ古い古刹だ。ラマの話でははっきりしていることは500年前にチベットから来たラマがここに建立し、現在のゴンパの骨格が作られて、外装は老朽化するので手直しはしている。そもそもの起源はそれ以前にあるのは確かだが明確ではないようだ。

このゴンパが風雪に耐え長い歴史を背負ってこられたのはチベットから多くの参拝者が詣でたことだ。密教の世界では山奥の人里から離れたところに信仰の地がある。ジョムソンの奥にあるムクチナートもそうだし、コサイクンド、タンボジェもそうだ。チベット人やシェルパ族がシェーゴンパを崇めるという感覚はなんとなく理解できる。チベットが中国化されて歴史の継承が変質されつつあるのは返す返すも残念だ。だからなおさら古いチベット文化が継承されているアッパードルパが存在価値を上げていることにもなっている。

当寺はチベット仏教のカギュー派に属し、カルマカを指導者として仰いでいる。

いつもゴンパを尋ねて腑に落ちないことがある。ゴンパの筆頭のラマは常駐していないことが多い。ほとんどがカトマンドゥやインドに滞在し、時にへりで巡回してくるという話だ。
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ここのラマの悩みはどちらに向かうにしても5000Mを越えなければ人里に行けない、半年は背丈ほど積もる雪で隔絶された世界に幽閉されることで、健康問題と越年の食糧確保だそうだ。私自身が経験したタフなトレッキングからもそれは窺い知れる。まさに映画「キャラバン」の世界がリアルな現実であることを示してくれる。

ラマから10数年ぶりの日本人の参拝だと言われる。そんなに日本人が入っていないエリアだとは信じられないが、秘境であることの証明ではある。

彼はすでに息子がインドで修行中なので後継者には心配ない。

参拝人は年間1000人強、圧倒的にネパールにいるチベタンとシェルパ族が多く、外国人ではフランス、ドイツ、などの欧州が多い。残念ながら同じ仏教国の日本人は皆無に近い。
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一帯の撮影にぶらぶらしながらコーラの河原に降りる。道は雨上がりでぬかるんでいるので滑らないよう慎重に。コーラに掛かる橋を渡るとテントから戻ってくるラクパさんと出会う。彼は改めて私を牧童たちの小屋に案内してくれた。
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子供も含めて家族全員が夏村の当地に上がってきている。無邪気に子供たちが遊んでいる。珍しい外人を怪訝そうな顔で見つめている。ネパールのトレッキングでは外人慣れしているので近づいてきてねだるのが普通なのだが、決して近づこうとしない。ここでは外人の入村が珍しいということだらかだろう。
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ラクパさんと家の中に入る。囲炉裏で赤々と火がくべられて暖かい。チベタンティーをご馳走される。後で聞いた話だが、ラクパさんは明日のバンジャン越えにも馬を用意する手配のためにここに来ていたらしい。今まで乗った馬はここで帰ることになっている。きっと私のことを気遣ってこの先も馬が使えるならという配慮だったようだ。幸い、ここのご主人が馬を出してくれることになっていた。

天気は相変わらずすぐれない。明日の天候回復を祈る。
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アッパードルパ(ドルポ)トレッキング 17ポクスンド湖へ・そのⅠ [秘境アッパードルパのトレッキング]

8月15日(木)

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ラクパさんから昨夕聞いた馬が用意された。あれぇ、昨日まで乗った馬ではないかと問いただす。その経緯は複雑だ。昨日までの馬子は来たトレイルを帰ると言っていたので別の馬の手配をしていた。ところがどうした風の吹き回しか、それは私だけが理解していないのかもしれないが、結果的にはご親切にもパスまでお供してあげますという事になった。どうであれありがたい話。
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昨晩の雨で足下はぬかるんでいるが、雨が上がったので昨日断念したコーラの上流にあるツァックハン・ゴンパに無理を言って往復してもらう。幕営地から河原に降りて馬に乗る。コーラ左手にある細いトレイルを登る。どんどん高度を上げていく。河原との距離がぐんぐん離れて数百メートルにはなっただろうか。ただでさえ高度感があるのにさらに馬上なので迫力満点だ。
渓谷も深く切り立った岩壁を洗う白濁した水が美しい。人に汚されていない深山幽谷の美しさは比類ない。とても写真の2次元では表現できそうもないが、撮りまくる。
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左手から崖は迫り、切り立ったトレイルに緊張が走る。自分の足なら対応できる自信はあるが、なにせ馬に命を預けている。眼前のリッジにチョルテンが立っている。左に大きく回りトラバースをすると谷越えの前方に辛うじてゴンパの姿を確認出来た。
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   (正面にゴンパがある)
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この先はさらにトレイルの状況が悪く、また今日の予定を考えるとゆっくりも出来ないのでここで戻ることにする。それにしても辿り着くだけでも大変な場所によくもゴンパを建てたものだと感嘆した。

このゴンパはラマが常駐してしていない。シェーゴンパからここを担当するラマが決められた時間に往復して守っているらしい。

帰路は歩いて7時40分シェーゴンパに戻る。
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いよいよポクスンドに向けての第一歩が始まる。昨日来たコーラに合流している右手から流れ込んでいるコーラに沿って登る。カングラ・パス(5360M)を目指す。1200Mの高度差がある。しばらくは広い河原に沿って緩やかな登りが続く。正面には赤い岩肌の山がそびえている。8時30分には両側に山が迫り、渓谷も狭くなってきた。
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左手からのコーラとの出合いになっている。我々は右手のコ-ラに沿って上流を目指す。この先、目指すトレイルから外れて右手にトレイルを進むと今朝訪れたゴンパを経由してシェーゴンパに戻る3日間で一周する巡礼のコースがあって、それは宗教上の修行ルートになっている。この一帯は神聖なエリアで、日本で言えば熊野古道とか大峰山の修験コースになるのだろう。そのコースからは天気さえよければカイラスが望めるらしい。
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コーラは左手岩壁に沿って音を立てて水しぶきを上げて流れている。トレイルは左岸の河原に続く。狭い渓谷を進むとだんだん傾斜も緩くなり、河原も広くなっていく。前方に滝が見える。
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9時40分滝の右手を登る。その先でコーラは左に折れ曲がっている。トレイルもそれに沿って左手に向かう。高度を上げていく。ところが鞍が緩んだのかバランスの維持に苦労する。そのうちに完全に緩んで落馬しそうになったが辛うじてあぶみから足を外して降りることが出来た。
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ラクパさんが鞍をしっかり固定してくれて10時20分先に進む。ドルチさんはトレイルを外して最短距離を進んでいく。天気は雨交じりとなってきた。

10時30分コーラからは完全に水が消えて伏流水になった。ガレ場はまるで賽の河原のようだ。右手に大きな急斜面が視界に入る。その上に見える稜線がカングラ・パス(5360M)だ。それにしてもここからの急登は迫力だ。
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ドルチさんは強者らしく、トレイルとは全く関係ない道なき道を直登している。すごい馬力だ。他方、ラクパさんは体調が悪く、喘ぎ喘ぎ遅れ気味になってきた。馬上の私も落馬しないように必死にしがみつく。足場も泥炭状のずるずるの足場となる。馬も何度か足場を失って立ち止まる。九十九折で高度を稼ぐ。

パスまでもうしばらくというところでドルチさんが近づいてきて、この先は馬上は危険なので歩きましょうと言うことになった。とは言っても降りるのにも往生する環境だ。馬子は馬が動かないようしっかり轡を引き寄せ、ダワさん、ドルチさんが私の体を支えてくれてようやくの思いで降りる。ここでお世話になった馬と馬子にお別れだ。ダンネバ(ネパール語で有り難う)と声をかけて別れを告げる。
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ぬかるみに足場をしばしば失いながら最後の急登を登る。11時20分パスに着く。霧が掛かり周囲を見回しても視界は不良だったが、薄日も漏れてきた。振り返って見ると左手にポカリ(湖)が見えた。たしかそちら方面から上がって来たはずなのだが、全く気がつかなかった。
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ここで携帯食のランチだ。ドルチさんの作ってくれた醤油味をつけてのりが巻かれているおにぎりだ。そしてダワさんから差し出されたテルモスに入ったホットティーを飲み干す。ラクパさんの消耗ぶりを見るとこのパスまで馬を使った甲斐があったという思いに耽る。
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立ち食いだったのですぐに出発する。ふたたび霧が掛かり前方が視界不良だ。登りに違わず下りも急だ。細かい砂状のトレイルは富士山の須走下りのような様相だ。滑らせながら足を進める。
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左手遠くから人の声がする。誰かといぶかったが我々の仲間キッチンボーイとポーターだ。霧が薄くなり彼らが左手を下っているのが視界に入った。ダワさんが大声で右手にトレイルをとるよう指示する。

一気呵成の下りで12時に小休止。食べ残したおにぎりとゆで卵をを食べる。さらにダワさんからゆで卵の差し入れ。遠慮なく頂戴する。食欲は復調し元気を取り戻せそうだ。
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12時40分に今日の幕営地に着く。右手を流れるコーラに沿って下ってきたが、左手からのコーラとの出合いの上部に設営だ。左手からのコーラが水場を提供してくれて絶好のキャンプ地になっている。
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一時は日差しも強く暑くなったので、洗濯をしたり、体を拭いて長いトレッキングの垢を落としたりする。ロープを張って洗濯物を干す。ところが俄に天候が悪化し曇りから雨になる。慌てて洗濯物を取り込んでテント内に紐を張って干さざるを得なくなる。
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明日はいよいよポクスンド湖(3600M)を目指す。
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アッパードルパ(ドルポ)トレッキング 18ポクスンド湖へ・そのⅡ [秘境アッパードルパのトレッキング]

8月16日(金)

今日はいよいよポクスンド湖だ。そしてアッパードルパを代表するピーク、カンジローバ(6612M)を見ることが出来るのか、運不運がどうでるのだろうか。
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朝5時過ぎにドルチさんから山が見えますよ、ご覧なさい、と声が掛かる。まだ周囲は霧と雲に覆われているが、沢沿い前方の一カ所だけが小さくぽっかりと雲が切れて雪を頂いた山嶺の頭だけがのぞいている。それがカンジローバレンジだ。すぐに雲のなかに消えてしまう。カメラを持ち出してシャッターチャンスを狙う。
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7時過ぎには出発する。今日は下る一方。カンジローバは見え隠れしながらじょじょに全容を見せてきた。両側から山が迫りだんだんと切り立った谷間を歩くことになる。8時には左稜線に隠れていた本峰が顔を出してくれる。立ち止まって隠れないことを祈りながらカメラを用意して写しまくる。アッパードルパには7000Mを超す高峰はない。ましてやエベレスト、アンナプルナ、ダウラギリなどの著名なピークもないので被写体としてのピークがほとんどない。そのなかで唯一の美しいピークがカンジローバだ。
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しっかり被写体をメディアに残して先に進む。谷間はますます狭くコーラが接近してくる。川面の近くを歩くので沢なりの音でやり取りにも苦労する。9時に橋を渡って左岸に渡る。ここまで降りると白樺の樹林帯になった。湿度の高い環境で日陰にはキノコが生えている。ラクパさんが食材になるか確認したが、ノーという事だった。マッシュルームがとれるそうだが見つからなかった。
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9時15分ラクパさんの背中にオンブして右岸に徒渉する。水量も多く急流で深みがあるのではらはらだ。9時30分巨岩が両岸に迫りコーラの水が先を争って下っていく。一見どこを歩くのか見あたらない険しさだ。一人だけ通れる間をようやくの思いで通過する。その先はふたたび徒渉だ。さすがにここは簡単にいかない。大きな岩を探してコーラに投げ入れて足場を作るが急流に流される。場所をかえて可能な場所を探る。9時50分ようやくの思いでラクパさんが先に徒渉して荷物を置いて私を背負いに戻ってくれる。左岸に移る。
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このコーラでの徒渉は昨日までで経験した徒渉とは比較にならないほど緊張する、危険度の高いものだ。
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10時自力で徒渉して右岸に移る。しばらく下ると谷間は急に広がって右からのコーラと合流する。コーラは広くなった河原を分流していくつにも分かれる。
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様相は一変して広々とした河原の左岸を歩く。水が樹林帯にも入り込みトレイルも水没したりする。足場を失い樹林の奥に足を踏み入れなければならなくなる。右手にはカンジローバが望めるはずだが、残念ながら雲のなかだ。
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11時ランチになる。12時には出発する。今日は何回徒渉をしたのか思い出せないほどだ。渓谷の美しさは他のヒマラヤでは体験できない景観だった。この繊細な景観は日本の渓谷を彷彿させた。

標高はすでにポクスンド湖(3600M)とほとんど変わらないレベルになっている。トレイルは水平に草地をあるいは樹林帯を歩く。もうすぐ湖岸だ。
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雲が切れてカンジローバが見える。氷河から発したコーラが一条の糸のように流れている。遠くにポクスンド湖の水面がエメラルド色に染まって見える。
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12時10分橋を渡って右岸に移動する。ふたたび広々とした草地を進むと木の間からヤクが現れる。驚くわけではない、泰然としているが決して気を許している訳ではないようだ。写真を撮ろうと接近するとそろそろと離れていった。ヤクをこの距離で見ると見事な体格に圧倒される。ヤクは毛が抜けないので長くなる。立派な体毛を持っているので4000M以上の高山で生活をすることに適しているが、逆に気温が上がる3000Mより低い場所では生活が出来ない。

1時15分コーラに流れ込む支流をふたたびおぶわれて徒渉することになる。後ろから二人の現地人が勢いよく追い越していった。彼らはシェーゴンパから一気にリングモガオンを目指している。とても自分のスピードと比較というのは奥がましい。彼らはマガール族の人だったようだ。

タルチョーがはためいている掘っ立て小屋があった。放牧に来ている人の番屋だ。老婆が留守番をしている。その前を通り過ぎるとポクスンド湖の最奥になる湖岸に出る。ここが今日の幕営地になる。1時40分エメラルドグリーンの湖面には前方の山が逆さに写っている。午後になるとコーラに沿って吹き上げる強風が吹き始める。岸に打ち上げる波も湖と言うより海のような激しい波が押し寄せる。
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ポクスンド湖の語源はレバーの形に類似していると言うことらしい。ポーターたちは枯れ木を集めてたき火を始める。キャンプファイヤーの気分だ。
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アッパードルパ(ドルポ)トレッキング 19ポクスンド湖へ・そのⅢ [秘境アッパードルパのトレッキング]

8月17日(土)
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昨晩は終始雨が降っていたので心配したが、今朝は青空がのぞいている。カンジローバが見えた。氷河から流れ落ちる水は麓の上で消えて伏流水になっている。その水がポクスンド湖岸近くで地表に出て湖に流れ込んでいる。これが我々の生活用水になっている。
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(クリックすると大きい画面になります)
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今日はポクスンド湖の反対側、そこからコーラが流れ出るガオン、リングモ(3600M)を目指す。遠くないので午前中には着くはずだ。7時20分に出発して湖面に沿って登っては水平トレイルのくり返しでじょじょに高度を稼ぐ。8時に湖を展望したあとはジグザグの登りになって湖面からどんどん離れていく。8時40分頃からは急登になる。そのあとはトラバース気味に登る。9時に高巻きの最高地点に着く。
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   (正面のヌマラ・バンジャンからのコーラ)
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   (リングモ・ガオンの集落が見える)
ここでは湖の全貌が視界に入る。対岸正面には沢が流れ込んでいる。そのコーラは数日前に歩いたヌマラバンジャンを源流とするコーラだ。その一帯は草地になっているのでおそらくカルカになっているのだろう。右手前方にはリングモガオンの家々がマッチ箱のように見える。湖面はエメラルドグリーンで不透明の油絵的な色になっていた。
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(クリックすると画面が大きくなります)
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ここからは一気に岩場を急降下する。ヤクを連れた現地人が登ってきた。さらに下るとサルダンを目指すロバのキャラバンが登ってきて通り過ぎていった。右手からカンジローバを源流に流れ込んでいるコーラが眼下に見える。自力で徒渉できるならいいのだが。
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10時10分河原まで降りる。広い河原なので徒渉には苦労しないだろうと期待したのだが、あにはからんや手強い展開になった。広い川面に適当な石も点在していない。結局はラクパさんの背中にお世話になる羽目になる。
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ここからは岩壁が湖面にそそり立っているので辛うじて作られたトレイルを湖面を足下にしながら緊張の連続になる。映画「キャラバン」でトレイルが損壊して修理しながら先を進む、一匹のヤクが足場を失い湖に転落するシーンがあったが、この一帯がまさにその撮影現場になる。

映画ほどの高度感ではなかったが、さすがにちょっとした緊張感は拭えない。対岸にはツゥボ・ゴンパが見える。11時10分にはリングモ・ガオンに着く。立派な幕営地があったが、使用料がなんと料理場800ルピー、テント設営で500ルピーという。ネパールの物価からするととても高いという印象だ。
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今日は晴天が続き、汗ばむほどだ。明日はレストデイなのでのんびりだ。リングモ・ガオンを散策してみる。決して大きい集落ではないが、ドゥ・タラップよりは大きい。チベタンのガオンだが、奥地のチベタンより色白だ。ガイドによれば水もふんだんにあり、清潔な生活をしているからだと言っていた。ここを下るとマガール、グルンの世界なのでひょっとしたら他族との混血もあるのかもしれない。

日向では暑くなるし、テント内はもっと熱暑なので日陰を探してのんびりする。洗濯をしたり体を洗ったりする。
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ダワさんは検問所に出向いて許可証の提示をしなければならない。検問所はポクスンド湖から流れ出るコーラ反対側の丘の上だ。しばらくして帰ってきたが、誰もいなかったので明日もう一度行かなければ、と言っていた。
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ドルチさんは食材を求めてガオンに行く。ゴートの解体をしている家に入るが売り物ではなかったようだ。たいした食材もなく野菜だけを仕入れる。女性はチベタンの衣装に使う布を手織りしている。自家で使うものが中心らしいが、買うとなると相当の値段を言うらしい。
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アッパードルパ(ドルポ)トレッキング 20デュナイへ・そのⅠ [秘境アッパードルパのトレッキング]

8月18日(日)
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今日はレストデイだ。トレッキングを開始してからの天気を振り返ると毎日がめまぐるしく変化する。雨が降らなかった日はないし、雪も降ったし、ピーカンで日陰を求めるほど暑い日もあった。アッパードルパのトレッキングは7月、8月がベストと言われている理由に9月以降は降雪のリスクがあると言うことだった。それとモンスーンの影響がないと聞いたのだが、どうもそれは相対の話でピーカンの毎日が約束されているわけではないらしい。昨日も日中は快晴だったが、夜には小雨が降った。大なり小なりモンスーンの影響はあると言うことだ。その点はカラコルムとは違う。
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曇天のなかツゥボ・ゴンパに行く。湖の右に沿って20分ほど歩くと左流れの傾斜地に建っている。雲も切れてエメラルドグリーンの湖面に逆さに写った山、ゴンパが美しい。実は昨日午後に訪れるつもりでいたのだが、ラマが3時過ぎないと戻らないと言うことで夕方に訪問する予定にしていた。ところが午後になってその肝心のラマが帰寺しないと連絡があって今日になった。
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寺の門前で大声で呼べども誰も出てこない。そこでさらに奥にある建物に向かって大声で叫ぶと、窓からラマが顔を出す。やり取りの結果、ラマは未だ帰ってないと言うことだった。あなたはと聞くと鍵を持っているラマ(おそらく上席者)がいないので本堂はあけられないとの返事。
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途方に暮れていたら自分が修行している建物でよければ入りなさいと招かれる。背を丸めて中に入る、急な梯子をよじ登ると彼の修行する部屋になっていた。鼠でも出そうな薄暗く、薄汚い部屋だ。灯明が細々と光を放っている。

彼にこのゴンパの由来を尋ねる。500年前にはすでに建立されていた、カギュー派のゴンパだという。そういえばネパールで2番目に古いといわれるシェーゴンパも500年目と言っていた。史実がどこまで正確に語られているのか不明なので聞き流した。いずれにしてもそれなりの歴史を背負ったゴンパなのだろう。彼はシェルパ族のラマだと言っていたが、シェルパ族のダワさんから見ると疑わしいらしい。ネパールではチベタンは余所者扱いをされるので自分の出自を他の部族と語ることもあるらしい。
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帰りにチェックポイントに立ち寄る。相変わらず鍵が掛かっていて不在だ。隣にあるネパール軍基地の人が当分不在だと言ってくれた。
午後にドルチさんに付き添ってもらってリングモガオンを散策する。この一帯になるとさすがに多くの外人トレッカーが来るので物珍しさ、好奇心の視線は飛んでこない。ポクスンド湖を境にして下界に降りたと実感が湧いてくる。
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ここから先はロウワー・ドルパエリアになる。リングモ・ガオンは秘境のスタート地点であって、私にとっては秘境の終着地でもある。

明日から二日がかりでチェプカ(2838M)を経由してデュナイ(2140M)に向かう。今回のトレッキングはこれで山を越したことになる。

8月19日(月)
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一晩中雨音がしていた。今朝もしとしとと雨が降っている。移動には支障はない。7時10分出発する。しばらくガオンのなかを通り過ぎ、コーラ沿いのトレイルになる。ポクスンド湖の水をはき出しているコーラなので、すごい勢いで流れている。さらにしばらく行くと右手から山が迫ってトラバース気味に高度を上げていく。コーラの音も遠ざかっていく。
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8時20分リッジを越えて下りになる。左手反対斜面との間の広い谷間にもうもうと水しぶきが上がっていた。滝があるのだろう。隠れてその実態は見えない。さらに先に進むと前方に小さな小屋が建っている。展望台だ。ポクスンド湖まではトレッキングルートとしてそれなりに知られているので、行き先表示などトレイルの整備もよくできている。

下るに従って滝の全貌が見えてくる。実に見事な滝だ。それなのに地図にも記載がない無名の滝だ。先行していたポーターたちもこの展望台で景観を堪能していた。ここで一息入れて写真を撮りまくる。滝はとても被写体としては難しい。アップにすればどこの滝か分からないし、全景をとると絵はがき的なってしまう。といって朝日、夕日を待って変化を待つほど余裕も無いので結局はごく普通の写真になってしまった。

対岸の斜面にはトレイルが見えている。それは以前トキュで分かれたトレイルで、リングモガオンからトキュを経由してドゥ・タラップに向かっている。
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一気の急降下で前進する。そのうちなだらかな下りになって9時20分フェレマガオンの外れに着く。ここからデュナイ一帯は以前マオイスト(毛沢東派)の影響下にあって通過することさえ危ぶまれたエリアらしい。さいわい今日ではマオイストは政権の中枢に入ったので危険地帯ではない。トレイルの左手にはかつてネパール軍の前進基地で今では廃墟化した建物の残骸が痛々しく残っている。きっとネパール軍は命からがらでここに駐留していたのだろう。私も何度かマオイストに遭遇して献金を要求された経験が思い出された。
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8時40分チュヌアールの集落に入る。ロッジもあるが人ッ気のない寂れた感じだ。ここには診療所があったり、ボーディングスクール(現地では英語教育をする学校のことを指していて、お金持ちが通っている)があるのでこの一帯の中心地のようだ。
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10時サムドュワのガオンを通過。ここにもロッジがあるが人ッ気がない。先に進むと右手からコーラが合流する。その手前に橋が架かっている。この先を進むとララ湖、ジュムラに通じているトレイルだ。

しばらくコーラに沿ったなだらかな下りが続く。10時半右手に仮設テントが張ってある。二人の若い女性がせわしくあれこれと動き回っていた。バッティーなのか分からないがラクパさんが声をかけてここで一息入れる。チベタンティーを頼む。
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10時50分樹林のなかで大勢のトレッカーがランチをしていた。白人の一行だ。女性が半分以上の10数人のパーティーだ。ガイドが先方のガイドと握手をして親しげに話が弾んでいる。またまたシェルパ族のガイドでダワさんの知り合いだった。どこからですか、とトレッカーから質問が飛んできた。日本からと答えると自分たちはフランスから来たと答えが返ってきた。彼らはジュムラまでへりをチャーターしてこれからポクスンド湖に、そしてふたたびジュムラに別のトレイルで戻るサーキットらしい。
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ところでお仲間は、と質問されて一人だと答えるとびっくりしていた。びっくりの意味が今もって理解できないが、彼らにとっては単独行動が奇妙にあるいは贅沢に写ったのかもしれない。
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11時20分レチ(2940M)に着く。マガール族の集落で、人の行き来が久しぶりに見られる。コーラまで降りて対岸に渡る。トレイルから離れた広場でランチだ。今日はレトルトのソースでミートソース・スパゲッティー。食事中にまたしとしとと雨が降ってきた。木陰に避難して食事を済ませる。
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12時20分雨具をつけて出発する。コーラ沿いのトレイルは激しい沢なりの音で会話が途絶えるほどだ。時々高巻きはあるが水平か若干の下りになっている。狭い谷間を右に左に何回か橋を渡って3時に左岸に移動する。ポクスンドコーラは水量も多く、手すりのない橋を渡る際にはさすがに緊張した。全く人ッ気のないエリアの連続で休む場所もない。
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蝉の声が聞こえてきた。地味な鳴き声でよほど耳を傾けないと聞き損なう。何種類かの蝉が鳴いているようだが、日本の蝉のような特徴ある鳴き声ではない。改めて日本の蝉が繊細でそして情緒豊かに鳴くのを確認しすばらしい日本を再発見した。

3時40分にはチェプカ(2836M)のガオンに着く。トレイルの左手に今日の幕営地がある。ここではロッジも営業している。
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アッパードルパ(ドルポ)トレッキング 21デュナイへ・そのⅡ [秘境アッパードルパのトレッキング]

8月20日(火)
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7時に出発。トレイルはぬかるんでいるので、足場を捜しながら進む。前方は岩場がコ-ラに突き出しているので高巻きをしなければならない。足下は下手をすると潜るようなぬかるみで靴が泥だらけになる。コーラに沿ってアップダウンが続く。8時左手から流れ込むコーラに掛かる橋を渡るとそこはシャンタ(2520M)のガオン。
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ロバのキャラバンが追い越していったが、この一隊は追い越してからペースダウンをしてなかなか先に進んでいかない。馬子に急かすように言ってもらうと檄が飛んで足早に立ち去ってくれた。8時20分に右岸にわたる。
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淡々としたトレイルの移動には緊張感も湧かず、景観を楽しむという喜びもない。9時20分にラクタン(2421M)から対岸へしっかり張られた吊り橋を渡る。ラクタン(2421M)のガオンをしばらく下るとカゲニのガオンに入る。バッティーに寄って久しぶりに清涼飲料を買おうとファンタを頼んだのだが、残念ながらここにはコーラしかないとのこと。普段は飲まないコーラだがやむを得ない。アッパードルパでは300ルピーしたのが200ルピーになった。ここでは広い河原一面にごうごうと堤を超えて溢れんばかりに流れている。
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11時10分スリガート(2282M)に着く。その手前右手に大きな吊り橋がある。そこをのんびりと先行していたロバのキャラバンが渡っている。その先はドュナイを経由せずにジュムラ、ネパールガンジに向かうトレイルだ。ドュナイはこの先で左手から合流するコーラに沿っていったん左に遡上し対岸に渡った先にある。そこから再び対岸を下流に向かって行くとネパールガンジそしてジュムラ方面になるので、ドュナイに用がなければこのままこの吊り橋を渡る方がショートカットになる。
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スリガートにはチェックポストがあるので、ガイドは早速手続きをしに立ち寄る。二人のはずが一人ですか、と質問があったようだが、シナリオ通りの解答でその場は収まった。チェックポストの先の広場でランチになる。ここには電線が張ってあるので電気が通っているらしい。ドュナイには政府軍の基地もあるのでインフラの整備が進んでいるのだろう。そのおかげでここも電気が来ている。という事はデュナイはそう遠くないと言うことだ。
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12時過ぎに出発して先に進むと正面でコーラが合流している。右手に進めばジュムラ、ネパールガンジに向かう。左手のコーラはトレッキングの最初の頃通過したチャルカ・ボートそしてその後に通過したドゥ・タラップを源流にしている。そのコーラは白濁して濁っているので合流する出合いでは半分が透明で半分が白濁と色分けになっていた。
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ここではほとんど水平のトレイルでデュナイの町を目指す。この合流地点手前の対岸はネパール軍の基地になっていて兵隊の姿も見える。合流地点の河原はとても広く、対岸に渡るには広すぎる。対岸にも明日歩くことになるトレイルが見えている。時々人が歩いているのも見ることが出来る。
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前方に丘があり、コーラから離れて左手にトレイルは移る。ふたたび河岸に出ると河原は狭くなってその前方に吊り橋が見えた。対岸には大きな町並みが視界に入る。橋を渡りT字路を左にとる。そこから先は町の中心地で店が建ち並ぶ。人の行き来も盛んだ。久しぶりの大きな町だ。ここではインド系の顔の人も増え、ネパール帽を被った老人も見受けられる。道は雨でぬかるんで道の端をようやくの思いで先に進む。
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1時20分町外れのロッジの庭先を幕営地とする。
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アッパードルパ(ドルポ)トレッキング 22マシンチャウルへ [秘境アッパードルパのトレッキング]

8月21日(水)

デュナイから先の行程についてはまずはジュファールからのフライトが再開されるのか、再開されない場合にはロウワードルパ、ドルパタンを経由してベニに下るのか、ネパールガンジまでトレッキングするのかその選択が悩ましい。
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まずはジュファールからのフライトの情報を集めなければならない。昨日飛行機がランディングしたとの情報もあったので一縷の希望が湧いてきた。ところが結果的にはテストフライトでランディングしたが、運行は事前情報通り10月からの再開だと確認出来た。

となると第2の選択か第3の選択かで悩むところ。希望としてはどうせ歩くのならロウワー・ドルパを堪能して下りたい思いがあった。しかし現地情報からロウワー・ドルパはモンスーンの影響があるので多雨でトレイルがぬかるみ、ヒルの攻撃は避けがたいとのことだ。そこで第2の選択は消去されて第3のネパールガンジに向けて1週間歩くことになった。

ところが現地に知り合いがいるラクパさんが朝一番で吉報と戻ってきた。まさかジュファールのフライトが実現かとわくわくして話に耳を傾ける。

想像も出来ない新しい情報だった。ジュファールの先に新しい飛行場が開港して1週間前から飛行機が飛んでいるとのことだ。さらに明日のフライトのブッキングが可能だとのこと。小躍りしてその情報に飛びついて早速予約の手配をする。

情報が一元化されている日本では想像つかないがなにしろ雲をつかむような話。地図を見てもその飛行場はこの辺のガオンらしい程度の情報だ。半信半疑での出発になる。
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しばらくは町の中心地を通り抜けトゥーリベリ・コーラに沿って進む。ここではトレイルと言うより自動車も走れる道だ。轍もあるので車が走っているらしい。天気もよく汗だくになるような暑さだ。それに単調な道を歩くのは辛い。昨日下ってきたコーラが右手から合流する地点スリガード(2070M)で軍隊の検問があった。全く問題なく通過する。
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コーラが左手から流れ込んでいるが、そこに掛かっている橋が崩壊して道が遮断されている。橋の先にはバッティーがある。ここはルプガードのガオン。ダワさんがそこの主人となにやらやり取りをしている。主人からジープが使えるとの話が出た。渡りに船とそのジープを待つことになったが、その手配に時間が掛かるのでしばらく休憩になる。

首を長くして待ちわびることなんときだっただろうか、疑心暗鬼のなか黒煙を上げてジープが来た。数人の乗客が降りてきた。ここでUターンして出発になるが、とりあえず燃料の補給のためしばらく待たされる。
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9時20分このジープがどこまで行けるのか分からないままに行けるところまでと言うことで、我々のパーティーだけで折り重なるように乗り込む。しばらく行くと左手山の上に集落が見えたが、そこがジュファールだ。下から見上げるとどこに飛行場があるのか分からなかった。道は水平に進むのでコーラはどんどん眼下になっていく。道は凸凹はあるものの整備がされているので不安は全く無い。10時15分ドライバーからここまでと言われて下ろされる。
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確かに歩き出してまもなく道は狭くなり河原に向かって下降する。その先にはビッティのガオンがある。このガオンはチキリ族。10時半だがここで早ランチになる。一軒しかないのでバッティーを選ぶわけにはいかない。埃だらけの薄汚い店に入る。軒先を使って料理が始まるが、あっという間にハエの集団に襲われて素材が隠されてしまうほどだ。ここまで降りると気温も高く、不衛生な環境になり、そこに生活ゴミが散逸しているので食べる気分にもならないほどだ。チキリ族の風習でお婆さんは鼻に大きなリングを付けている。
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食事が用意されたらハエの攻撃を避けるためにはゆっくりしているわけにはいかない。ポーターが扇いでくれるけど入れ替わり立ち替わりのハエの攻撃には太刀打ちできない。食べた心地がしないままに食事を終える。二人の行商人が店に入っていった。背負ったバックからなにやら取り出して売り込みをしている。私から見ればばかばかしいと思えるものだが、住人はまじめに話しに耳を傾けている。人の行き来、物の流通のほとんどない地方では貴重な情報源なのだろう。商売は不成立となって行商人は立ち去っていった。
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1時には橋を渡ってトリプラコート(2100M)に着く。大きな集落だ。飛行場はここから右手に分かれて上を目指す。全員が地理不案内なので会う人会う人に確認している。飛行場も1週間前の開港だから周知の事実にはなっていない。1時間半歩けば着くでしょう、と教えてくれた。山の上チャハールにヒンドゥー教の寺院がある。なかなか立派な寺院だが先を急ごう。1時間以上経ってもまだ辿り着かない、そこでまた聞けばこの先1時間は掛かるだろうという。いい加減な情報に振り回されて話半分で理解しなければならない。時間も3時を過ぎようとしている。
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いったんコーラまで下ってふたたび急登の山道になる。前方に見える山嶺の先が飛行場ではと期待したが裏切られる。集落があって再度尋ねるとさらに1時間は掛かるだろう、と言われる。ここまで来れば飛行場にも近いので情報の信憑性は上がったはずと期待する。
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そんな思いで最後の元気を振り絞ってジグザグの直登をし、左流れの斜面をトラバースすると、彼方に吹き流しが視界に入った。今度こそ間違いなく飛行場だと確信。左手谷を挟んだ対岸の集落からだろう読経の声と低音のラッパが響いてくる。ヒンドゥー教のお祈りらしい。
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飛行場の下部に着く。辛うじて山を崩して平地を作っている。十分なスペースがとれないので滑走路が上り坂になっている。エベレストに入るときのルクラの飛行場もそうだった。土を整地しただけなので多少の凸凹はやむを得ない。カンチェンジュンガに行く際に使うスクタールがそうだった。滑走路の右手を登り、4時半滑走路の上部近くに幕営する。たちまち若者が集まってきた。地名の確認に自信がないが、マシンチャウルだろう。
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滑走路の延長先には集落があってバヒラガオン(地図にないので?)でチェトリ族の集落だ。陽も落ちてきたが折角なのでガオンを訪ねてみる。泥だらけの道を辿り集落に入ると、どこの家からも視線がいっせいに飛んでくる。それに気がついて見上げると家族一同、頭首、奥さん、幼子、老人だ。
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でも決して排他的、攻撃的な視線ではなく、暖かく見つめる視線に安堵した。同行してくれたラクパさんから私が初めての外人だからですよ、といわれる。確かにこの一帯はトレッキングコースとは全く無縁で外人が出入りする可能性はないし、飛行場もオープンしたばかりだから外人もその存在を知らないのでここに来るはずもない。撮影を求めると気持ちよく了解してくれた。とてもいい写真が撮れて感謝いっぱいだ。
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飛行機に同乗するのはダワさんだけなので、コックチームとポーターとは明日の早朝から別れて行動するので、一緒の行動は今日が最後になる。最終日の夜は簡単なパーティーになるのが恒例。力の入った料理作りが始まる。ラクパさんは帰路私と別れて買い物をすると言っていたが、想像通り鶏を買ってきた。この先はどうも苦手の世界。鶏を絞めてカレーの具材と照り焼きにする。その経緯を見るに忍びないのでテントに戻って知らん顔のふりをして気持ちをそらす。
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それにチョコレートケーキが用意される。うれしい心遣いに感謝する。ドルチさん有り難う。
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アッパードルパ(ドルポ)トレッキング 23カトマンドゥへ [秘境アッパードルパのトレッキング]

8月22日(木)~26日(月)

今日はネパールガンジ(152M)を経由してカトマンドゥに向かう。この空港は一週前の開港、開港以来3番目の便が飛来するはずだ。料金が異常に高いのにびっくりした。200ドル、現地人は100ドルと言うことだ。はるかに距離のあるネパールガンジ~カトマンドゥが140ドル(現地人70ドル)と比較すると高いのが分かる。
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朝から霧が垂れ込む灰色の世界だ。とてもフライトが可能な気象条件にはない。風もないので気象が変化しにくい。期待の飛行機はどうなるのか不安でいっぱいになる。すでに飛行場には関係者が来て、発券などの事務をしている。といっても野ざらしなので椅子を持ってきて仮設の事務所になる。大勢の観衆がいるので誰が搭乗するのか見分けがつかない。こんな山奥の村人には飛行機そのものが見たことのない怪鳥としか思えないかもしれない。テレビもない、本屋もないので飛行機そのものの理解も出来ていないのかもしれない。村人が総勢集まって飛行機とやらを見に来ているようだ。

いっこうに天候が回復する気配がない。ときどき雲が切れかけて反対側にあるガオンも見えることもあるが、あっという間に雲のなかに消える。
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9時半過ぎてようやく霧が晴れるきざしが出てきた。50分にネパールガンジの飛行場に向けて係員が出発の合図を送る。ここまで来れば十中八九は飛ぶだろう。まずは胸をなで下ろす。10時10分に轟音とともに機体が霧の切れ間からのぞく。バウンドしながらラウンディングする。乗客が降りてきた。全員ネパール人だ。大きな荷物も下ろされる。
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10時半に出発する。飛行機は単発のプロペラ機で定員が7名、今日は空席があった。下り坂の滑走路をバウンドしながら離陸する。ちょっと不安になるがその後は安定した飛行が続き20分でネパールガンジに着く。
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ここはインド国境に車で15分と聞いた。インド色の強い町並みだし、標高152Mなのですっかり熱帯の蒸し暑い陽気になって不快な気分だ。さっそくカトマンドゥまでのフライトの予約をしなければならない。予約が取れた飛行機は数時間後になったので、暇つぶしにヒンドゥー教の寺院までリキシャで向かう。
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カトマンドゥへのフライトは午後というのに天気もよく、すばらしいヒマラヤが眺望できた。ダウラギリ、アンナプルナ、マナスルが雲を突き破ってピークをのぞかせている。

夕方には無事にカトマンドゥに着き、翌日は市内北にあるゴンパを訪ねる。その後ダワさんの自宅に招かれて奥さんの手料理をご馳走になる。一年ぶりなのに二人の息子は多少大人びていた。フライトの変更手続きをし、土産の紅茶を行きつけの店SAGARUMATHA TEA HOUSEで買い求めた。ネパールの紅茶はブランドとしては無名だが、実は生産地がダージリンと隣接するイラム地方、ダンクタ地方でも生産されていて、ダージリンに負けず劣らずの美味しい紅茶だ。「シルバーティップス」は一番茶の一つで香りのいい軽い味の紅茶、そしてしっかりした味の「ダンクタ・ティー」が大好きだ。ネパール特有のマサラ・ティーも美味しい。
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ダワさんの信仰するボダナートに寄って無事に帰還した感謝を込めてドネーションをしてホテルに戻る。

8月25日(日)13時半TG320でバンコックへ、TG640で26日(月)成田にラウンディングする。
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アッパードルパ(ドルポ)トレッキング 24 エピローグに代えて・アッパードルパを知っていただくための記事を紹介します [秘境アッパードルパのトレッキング]

ドルパ(ドルポ)はネパールの北西部、ダウラギリ大山塊の後ろに位置する人里離れた地域で、ネパールの中でも特にベールにつつまれてきた地域です。人跡未踏で標高の 高いドルポの渓谷は、1989年まで外部に閉ざされたままでいました。その上地理的なバリアから隔離されてきたこの土地の人々は、現代社会の魔の手にほ とんど触れられることなく残された、彼ら独自のライフスタイルを守り続けています。このトレッキングでは、何世紀も前のライフスタイルを今に至るまで維持 している人々に出会えます。この土地の名前は、オスカー賞にもノミネートされた、エリック・ヴァリ監督の映画「キャラバン」によって、一躍世間に知られる こととなりました。

ドルパの人々のルーツはチベットであり、彼らは今なお、チベット文化を維持し続けています。彼らの僧院は、まさにチベットの仏教スタイルを踏襲していま す。チベットと地理的にも姻戚的にも縁続きであり、彼らの祖先が国境を越えてネパールに来た後でも、その生活様式はほとんど変わっていません。このトレッ キングで、今日でもなお物資の物々交換のために難所を越えて長い旅に向かうヤクのキャラバンを目にすれば、感慨もまたひとしおというものです。ドルパの人 々は彼ら独自の言語と文化を持ち、素朴なライフスタイルを維持しています。このすばらしいトレッキングの間、シェイ・ゴンパ(クリスタル寺院; チベット人にとって重要な巡礼地)のような、いくつかのユニークな寺院(=ゴンパ)を訪ねることができるでしょう。この地域をトレッキングするには特別許 可証が必要ですが、その前にまず、トレッカー自身が長い行程を元気に歩けるだけの体力がなければなりません。
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