SSブログ

福島・いわきの現在(震災の後遺症と原発) [思いのまま]

震災に係わった自分の行為と言えばただの「よそ者」でしかなかった。具体的行為と言えば宮城県にふるさと納税をしたことと写真の個展で買って頂いた写真の収入を飯舘村に寄付したくらい。何もしなかった後ろめたさもあって現地に近づく気持ちになかなかなれなかったのだが、たまたまいわきに住む後輩からお招きを頂いたので足を踏み入れる切っ掛けが出来た。
_20140919_135710.jpg
_20140919_135459.jpg
いわきは津波の激甚被災地でもあり、福島原発の影響をもろに受けている双葉郡はすぐ真北にある。常磐線は竜田駅で折り返しになっている。竜田駅は楢葉町にあり、住民は避難しているため人ッ気は全く無い。駅前のポストも封印されて、放射線測定値が表示されていた。0.234マイクロシーベルト(22日19時現在では0.45)を示し、東京の一桁以上、上になっている。この先北に向かうと帰還困難区域。先週通行可となった6号線を北上すると大熊町、双葉町、浪江町と表示板には見慣れた地名が次から次と。
_20140919_142048.jpg
_20140919_144147_01.jpg
国道両側はフェンスによって完全に封鎖されて止まることも許されていない。2輪車は現時点で通行不可となっていた。右手遠くに巨大なクレーンが林立し送電線がそこを目指している先が福島第一原発だ。この一帯は間違いなく将来的にも復旧、復興とは縁のないエリアなのだろう。総理が軽々にアンダーコントロールと叫んで東京オリンピックを誘致したこととこの現実には改めてギャップを感じた。
_20140919_124710.jpg
原発復旧工事は巨額に及び、多くの作業員が全国から当地に来ている。だからいわき市はある意味特需景気に潤っているが、そのために治安が悪化したり、補償で潤った人と古くから居る人とのフリクションもあるようだ。
帰路、いくつかの漁港に立ち寄ったが、漁船は停泊しているものの動いている気配は全く無い。近海漁業は汚染のために試験操業以外は出来ないからだ。のどかに釣り糸をたれている人がぽつんと、その姿に現実とのギャップがあって奇妙だった。
_20140920_121854.jpg
いわきの臨海部は軒並み津波に襲われたが、その痕跡はすでに跡形もなく、区画整理事業の看板が痛々しく建っている。なかにはぽつんと一軒だけ残っている家もあったが、居住はしていない。補償は一線を境に補償がされたり、されなかったり。悲喜こもごもの現実があるようだ。
後輩のお兄さんが中学の教師だったが、その方の記録を拝見すると想像を絶する体験だ。それをそれなりに理解出来ると言ったら失礼だが。そのなかで被災者だから、ということで救援者側に加わらない人もいた、という条にはどちらの気持ちも理解出来るのだが、自分が当事者だったら被災者でありながら救援者として活動に参加していたのだろうかと確信が持てなかった。
_20140920_125119.jpg
いわきの南部にある小名浜港は復興が進んで賑わっていた。製氷工場が再建途上で上部が津波時の避難所になるらしい。みなとオアシスでは物産販売に多くの観光客で賑わっていた。ささやかな貢献と産地を確認しながらお土産を購入する。
当事者であるのかないのか、被災者と救援者、原発被害者なのか享受者なのか、復興復旧が出来るのか出来ないのか、立場によってギャップが生じるのはやむを得ないが、社会との関わりをどのように意識するかが問われるのだろう。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。