メラピーク(6654M) アマラプチャ・ラ(5845M)を目指して [メラピーク]
プロローグ
10月末からメラピークを目指しアマラプチャ・ラからチュクン経由で下山する予定にしている。いわゆるヒマラヤでのトレッキングとしては究極のコースと言われている。まさにクライミングの一歩手前という感じなのだろうか。
経験値の最高標高は5600M程度なので、肉体的な難易度は一気に高くなる。何度もお世話になっているガイドからの説明では技術的には難しくないので、ビスターレで上がれば大丈夫とは言われているのだが、不安は拭えない。
さらに欲張ってアマラプチャ・ラ経由でのルートにしたのでなおさらだ。アマラプチャ・ラまではさほどではないらしいが、越えてからはザイルワークでの下山になる。
今回、アラウンドにした理由がある。2014年マカルーからシェルパニ・コル経由でアマラプチャ・ラ、チュクンを計画したが、マカルー・ハイキャンプで天候悪化のリスクを回避するために退却せざるを得なかった無念さが残っているからだ。
このトレイルでは北方にエベレストを中心に右手にはローチェ、マカルー、運が良ければカンチェンジュンガ、そして左手にはチョーオーユー、マナスルを眺望できる素晴らしい景観だそうだ。
下記のマップは残念ながらメラピークまでだが、私の目指すのはメラピークHCからアマラプチャ・ラを目指して北に向かい、チュクンからディンボジェでエベレスト街道に合流してルクラに下りる予定にしている。
Day | Date | Itinerary | High Altitude | Time |
1 | 10月26日 | KTM Arrival by TG | 1335m | |
2 | 27日 | Kathmandu for Preparation | 1335m. | |
3 | 28日 | 7:45KTM→Lukla 45分フライト(2700m) | 2700m | |
4 | 29日 | lukla→ Thukding | 2900m | 4hrs |
5 | 30日 | Thukding→Kharkiteng | 3600m. | 5 –6 hrs. |
6 | 31日 | カルカティング→ ザットラ(4610m)→トゥーリーカルカ(3600m) | 4300m.. | 6 – 7hrs. |
7 | 1st Nov | トゥーリーカルカ→Kothe(3500m) | 3500m. | 5 - 6 hrs. |
8 | 2nd Nov | コティー→Thangna(4385m)まで | 4385m. | 4 -5 hrs |
9 | 3rd Nov | Rest Day タンナッグリー(4700m)まで登って高度順応 | ||
10 | 4th Nov | Thangna→ Khare(5099M) | 5099m | 4-5hrs |
11 | 5th Nov | Rest day ロープ クライミングトレーニング | ||
12 | 6th Nov | Khare→Mera Base Camp(5315m) Training | 5315m. | 3-4 hrs. |
13 | 7th Nov | Rest day | ||
14 | 8th Nov | Mera BC→HC(5800m)エベレスト、ローチェ、マカルー、カンチェンジュンガ8000m超の眺望が可能 | 5800m. | 4 -5hrs. |
15 | 9th Nov | HC→Merapeak(6654m)→BC(4350m)あるいはKhongma dingma(4800m) | 5315m./ | 7 - 8 hrs. |
16 | 10-Nov | →Hongu Pokhari(5214m) | 5214m | 5 -6 hrs. |
17 | 11-Nov | →Amphui Lapcha BC(5484m) | 5484m | 4-5hrs. |
18 | 12-Nov | →Amphu Lapcha(5839m)pass→Chhukhun(4730m) | 3700m. | 7 – 8 hrs. |
19 | 13-Nov | →Pangboche(3930m) | 3930m. | 5- 7hrs. |
20 | 14-Nov | →Namche bazaar(3440m) | 5-6hrs | |
21 | 15-Nov | →Phakding(2610m) | 5hrs | |
22 | 16-Nov | Phakding→Lukla(2840m) | 2700m | 3-4hrs |
23~26 | 17-Nov | 8:30 AM Lukla → KTM fly back | 1335m | 45min |
27 | 22-Nov | →BKK→HND |
メラピーク(6654M) アマラプチャ・ラ(5845M)を目指して [メラピーク]
10月26日(木)
(BKKでトランジット)
(ベンガル湾上空)
(今回も歓迎してくれたエベレスト、ヒマラヤの嶺々)
いつもの深夜便タイ航空でBKK経由で現地入りした。今回のガイドは昨年同様Dorjeeさんに依頼した。彼は私のトレッキングでコックとして食生活を支えてくれた人。日本料理の達人でもあり、誠実な人柄は辛い長丁場のトレッキングを支えてくれる頼もしい相棒だ。
(ガイドさんと再会)
いつもは単独だが、2人の友人も同伴になった。現地入りは各自別ルートなのでホテルで合流になる。
いつものようにフジヤホテルに宿を取る。
翌日は食料の買い出しや酸素ボンベ、トランポン、ザイルなどの用意でガイドは多忙だ。ポーター達はスタートがルクラなので装備を持ってバスと徒歩で数日前にKTMを出発して現地入りしている。
28日(土)早朝のフライトでルクラに。いつもながらの不安は天候悪化によるキャンセルだ。今まで何度も使った路線だがまともに搭乗出来たことが少ない。基本的に午前中が勝負で、そこまでに搭乗出来なければその日は諦めなかればならない。さいわい今回は時間通りのフライトでルクラ入りが出来た。
(土地がないので傾斜した滑走路)
今日は一日高度順応と言うことで当地でのんびり。到着後はどんよりした天候になった。午前中はひっきりなしに爆音が聞こえていたので順調にフライトは続いていると思っていた。しかしその後続々と到着するはずのトレッカーだが目に入らない。夕方になってガイドに確認したら我々のフライト以降はキャンセルになったと聞き、危機一髪だったことを知る。
(ルクラの町)
爆音の発生源はヘリだった。頻繁に行き来するヘリがまさかレスキューだとしたら大事件になるはず。それにしては騒ぎになっていないので不思議に思って問いただすと、ルクラの飛行場の片隅にヘリポートが出来て飛行機の代替として営業しているとのこと。昨今は飛行機のフライトがキャンセルになったらヘリでの移動が可能になったわけだ。そういえば昨年だったか知り合いが高額の費用でも背に腹は代えられないと使った話しを思いだした。時代は変わるということを実感した。
時々小雨が降る不安定な天候に気掛かりだったが、あっという間に夢のなかに。
メラピーク(6654M) アマラプチャ・ラ(5845M)を目指して [メラピーク]
10月29日~11月1日 ザトラパス(4610M)を越えてコテ(3500M)へ
10月29日 チュタンガ(3400M)へ
昨晩は不安定な天候で時々雨が降って心配していたが、今朝はピーカンの天気でホットする。朝一番でチーム全員がはじめて集まり、荷造りや分担の確認等で慌ただしく動き回っている。
今回のトレッキングは一気に4600M強のザトラ峠越えをしなければならない高度順応に気を使うトレイルになる。我々は高度順応のために小刻みで高度を稼ぐことになった。人によっては高度順応のために峠から折り返し、翌日に峠越えをすることもあるらしい。
ルクラはエベレストに向かうヒマラヤでも一番の人気ルートの出発点なのでトレッカーが行き来している。我々はエベレストに向かうトレイルとは逆のトレイルになる。9時過ぎに出発、飛行場に沿って下り、いよいよスタートだ。
そこからはちょっとした登りのあと長閑でなだらかな登りが続き足慣らしにはちょうど良い感じ。
2時間ちょっと12時にはチュタンガ(3400M)のキャンプサイトに着く。山小屋もあるがテントを張って寛ぐ。Dorjeeさんのいつもながらの日本食テイストの料理に舌鼓をうつ。
今日の行程は累積登り748M、累積下り164M。4KMのトレイル。14時頃になるとポツポツと雨音がテントに当たる。ただそれほどの雨脚にはならないので心配はなさそう。
メラピーク(6654M) アマラプチャ・ラ(5845M)を目指して [メラピーク]
10月29日~11月1日 ザトラパス(4610M)を越えてコテ(3500M)へ
10月30日 カルキデェン(4000M)へ
6時半に起床。昨晩は夜半に雨が雪になっていた。テントから顔を出すと真っ白に雪化粧していた。積雪は10CM程度で歩行には支障ないだろう。
今日は高度順応ということで3KM弱の行程だ。ゆっくりのトレッキングになる。なので10時過ぎの出発になる。
ふんわりと積もった雪道は快適だ。
ただ心配なのはザトラパス越えになると高度もあり、上り下りで氷ってないといいのだが。
1時にはキャンプサイトカルキデェンに着く。
今日の累積登りは741M、累積下り27M、2.8KMのトレイル。
メラピーク(6654M) アマラプチャ・ラ(5845M)を目指して [メラピーク]
10月29日~11月1日 ザトラパス(4610M)を越えてコテ(3500M)へ
10月31日
ザトラパス(4600M)越してトゥーリカルカ(4300M)へ
今日はザトラパスを越えてトゥーリカルカまでの予定。6時間の行程でタフな一日になるだろう。
早起きをして出発の準備だ。テント撤収で手間取って7時にスタートする。不思議なことに朝方は快晴で快適なトレッキングが楽しめそう。
4520M地点のパス。ここで休憩。10時に出発。
しばらく下降しその後トラバース気味に下降して再び高度を上げる。足下は雪で隠れた岩の上を足を奪われたり、氷っている岩で滑りそうになったりで、危険を感じるほどではないが、神経を使う。
11時20分ザトラパスを越える。
12時40分、トゥーリカルカ(4200M)のキャンプサイトに着く。このサイトは複数のロッジがあり、すでに大勢のトレッカーがキャンプの準備をしていて久しぶりに喧噪を感じる。
今日はさいわい安定した天候に恵まれて足場の悪いトレイルも不安なく歩けた。
今日の累積登りは607M、累積下降は446M。4.2KMのトレイルだった。
メラピーク(6654M) アマラプチャ・ラ(5845M)を目指して [メラピーク]
10月29日~11月1日 ザトラパス(4610M)を越えてコティー(3500M)へ
11月1日
コティー(3500M)へ
今日もピーカンの天気。当初の数日、天候不安定だったがようやく安定した感じだ。
これから6000M以上のピークハントを目指すので登頂出来るのかどうかは天候次第だ。
7時50分出発。しばらくは下ったが、すぐに登りになる。
8時25分には眼下にヒンクバレーが視界に入る。登り気味でいくつかのパスを越す。
9時40分にふたたび4240Mのパスを越す。
9時50分タルチョーのあるパスを通過。
ガスが上がって来て日光を遮断することも。ただなんとか日射しはあるので寒さを感じることはない。
ここからは一気の下りが始まる。
11時、3820M地点ロッジのあるドクトールでランチになる。トゥーリカルカから4.15KM地点。
気がつくとトレイルの周りはシャクナゲの群生地になっていた。5月頃なら赤や白のシャクナゲの花が咲き乱れていることだろう。
1時40分ヒンクコーラの河原に着く。河原に下りる手前の高巻きはタフだった。
3時に今日のキャンプ地、コティーのガオンに着く。ここはヒンクコーラ沿いのトレイルと合流するので人、荷物の行き来が多くガオンを形成している。どこのロッジもトレッカーでいっぱいのようだ。庭先にテントを張って落ちつく。
今日の累積上昇は572M、累積下降1167M。行程は7.44KM。
メラピーク(6654M) アマラプチャ・ラ(5845M)を目指して [メラピーク]
コティーからカーレ(5045M)へ 11月2日~7日
11月2日
タンナッグ(4385M)へ
ザトラパス越えでは天候不安定、降雪などで先行きの不安が過ぎったがさいわい天候は安定してきた。このまま推移して欲しい。メラピークと言えば5年前だったかコンマラに行く際にルクラのロッジで一緒したイギリス人のことを思い出す。彼は疲労困憊でメラピークから帰還した。重篤な風邪を引きなんとか戻れたという。その当時はピークハントは夢の夢としてしか想像していなかったし彼の困憊振りからも私にとっては想定外であった。それを今回は挑戦する気になったのは、大凡のヒマラヤでのルートは経験済みになり、年齢から考えて高度への挑戦は最後のチャンスと思ったからだ。
ヒンクーバレー右岸(左手)には雪を被ったチャルパティ・ヒマール、そこはパス越えをしてきたザトラ方面だ。その北延長にはクスマンカン(6370M)が聳えている。8時ちょっと前に出発。
ヒンクーコーラ沿いに緩やかな登りが続き、9時半頃からは大きな岩の合間を縫って先に進む。氷河のあと、U字峡のように見える。
ガレ場を通過していたら突然直径が人間大の岩が落石してきた。さいわい目の前を通過してくれたので難を逃れた。そんな雰囲気で無かったので慌てた。
3カ所無人の小屋があった。
10:45ゴンディシュン(4180M)でランチ。今日は一貫してなだらかな登りだけ。調整には最高のコンディションだ。ただ気になるのはザトラパス越えで寒気を口呼吸をしたためか咽頭に軽い痛みが出てきた。悪化しないことを祈る。
2時にはタングナック(4200M)に着く。
今日は累積上昇744M、下降60M、行程距離は9KM。
メラピーク(6654M) アマラプチャ・ラ(5845M)を目指して [メラピーク]
コティーからタングナックに
11月3,4日
レストデーで一日のんびり休養だ。
実はザトラパス越えしてから喉の痛みが日々増悪して痰がたまり、鼻からも化膿した鼻水が出るようになってきた。一過性と期待したのだが、そうとは思えなくなってきた。持参した鼻炎の薬では一向に改善の兆しがないので抗生剤を飲むようにした。藁をも掴む気持ちだ。レストデーで快復に向かえばいいのだが。
いよいよタングナックに向かう。しばらくは長閑な単調な登りだが、ガレ場の多少急登に変わる。そこを登り切ると平坦な平地が広がる。先に進むとポカリが左手の視界に入る。天候は多少雲が出ているが不安定にはならない感じだ。
ヒンクコーラの左岸を詰めていく。
12時4600Mのメラカルカに着く。
メラカルカからの登りは体調不良な私には息が上がった。鼻水をかみながら、喉を通る空気が痛みを否が応でも増悪させる。
タングナック(4385M)に着く。
11月4日
午前中の快晴から午後には雲が出て夕方にはガスが掛かる。
カーレ(5099M)のロッジに着く。ここでは体調不良もあり幕営せずにロッジのベッドに身を置く。
体調は相変わらず不良。咽頭の痰はますます多量になり、全身的な不調感は否めない。これから6000M超のピークハントを目指すには不安が過ぎる。熱がないのがせめてもの救いだ。抗生剤を使い始めたからか胃腸の調子も悪化し始めた。
夜半にはガスも上がって満天の星。ただ、満月に近いのでちょっと残念な気持ちだ。
メラピーク(6654M) アマラプチャ・ラ(5845M)を目指して [メラピーク]
BC(5315M)を目指して
11月5,6日
体調は絶不調。一層咽頭炎が増悪し、昨晩も横臥すると痰が喉を塞ぎ息苦しく、睡魔と戦いながらしかし熟睡することが出来無い。苛々するも解決の目処が立たない。そのうえ食欲も著しく後退してしまった。今朝は食事を取る気分にならなかったのと、レストデイでもあるので朝御飯は抜いた。
天気は問題ない。
ここからはメラピークの頂上を見ることは出来ないが、そこに向かうトレイル、なだらかな雪のスロープが見える。
レストデイを利用して明日からのザイルワーク、ユマール、エイト環を復習する。何度も経験しているのだが、意外と忘れている。体調不良なのでトレーニングですら体力を消耗してしまう。
実はここのロッジにWIFIがあった。病状の悪化を防ぎたいので藁をも掴む気持ちで知り合いのSドクターにメッセンジャーを使って問い合わせた。そう時間がかからないうちに返信が来た。手持ちのステロイドを服用してみたらとの助言で服用を始める。日頃から僻地医療の問題を聞き及んでいたので、まさにこのような対応が遠隔診断の一つの解決法だと思いが及んだ。確かに遠隔診断が診療報酬の対象になったとも聞いていた。
11月6日
今日はBCに登る。高度差は300M程度なので高度差はそれほどではないが、急峻な雪のスロープを登らなければならない。ゆっくり登ろう。
9時50分俄にけたたましい響きが静寂な世界を中断した。レスキューヘリの到来だ。高山病患者が出たのだろう。数人の白人が乗り込んで去って行った。ヒマラヤでは頻繁にある光景だが、しばしば保険を悪用して疑似患者が下山に利用しているとも聞く。
10時半にはモレーンをトラバースしてフラットな地形になる。
メラピークへのトレイルが望める。
いよいよ眼前に迫る雪渓を登る。
ここでトランポンを装着し、ザイルでガイドにリードして貰う。
最初は急登が続く。上部に近づくと傾斜が緩くなり緊張感が緩む。
雪渓を乗越て反対側にあるBCに一気に下る。
BC(5315M)のキャンプサイトに。多くのテントが幕営されている。
累積上昇高度197M、累積下降高度55M
メラピーク(6654M) アマラプチャ・ラ(5845M)を目指して [メラピーク]
メラピークを目指して
11月7日
今日は5315M地点でのキャンプを目指す。引きずっている咽頭炎はますます悪化の一途、寝ていると痰が喉を塞ぎ呼吸困難になり何度も起こされる。その上痰に血が混ざってきた。さいわい高熱に悩ませることがないのが救いだ。食欲は全くなし。
いよいよ雪渓の登りになるのでトランポンを装着する。2/3は急峻な登りなのでガイドとザイルを繋ぎジグザクでトレイルを進む。
。
ガイドのDorjeeさん。
上部の1/3は多少緩やかになって緊張感が緩む。
稜線を越えて反対側を一気に下るとBC(5315M)で今日はここでキャンプになる。
体調絶不調で山頂までアタックできるのか不安になる。
累積上昇高度200M,累積降下高度55M
メラピーク(6654M) アマラプチャ・ラ(5845M)を目指して [メラピーク]
登頂断念
11月9日
さすがにここに至って体調不良を乗りこえる自信がなくなった。それでもなんとか高度の記録更新だけは実現したいので早朝に起きてハイキャンプをまず目指す。標高が高くなると午後には強風が吹き荒れるので行動は午前中に大凡の行動を完了する必要がある。そういうことで朝3時起きでハイキャンプに向けて起床する。
4時には出発する。宵の明星がきらきらと輝きを放っている。ガイドは「ガルチェン」を読んでいた。
さすがに寒さは厳しい。以前の経験から指先の痛みに悩んだこともあったのでインナー手袋も準備してきた。しかしそんなことをしても指先の痛みは抑えることが出来無いほど寒い。でも風がないのが救いだ。このうえ風が吹いていたらどんな地獄なのかと恐ろしさを感じた。昨日雪渓を乗越した尾根まで登り返し、雪面を今日は左に登っていく。
ここからはなだらかな斜面を登るので肉体的な負担はそれほどではない。稜線の後ろには朝日が射して赤く焼けた空が見える。
ここからはなだらかな斜面を登るので肉体的な負担はそれほどではない。稜線の後ろには朝日が射して赤く焼けた空が見える。
ガイドとザイルでトレインで登る。指先の痛みだがインナーを使っても避けられないのでなんとか方法は無いのかとトライをしてみた。私はストックを指全体で握りしめるのだが、掌を軽く握るようにして使って見たら指先の痛みが緩和した。新しい知恵を実感した。
確実に視界が広がり、後方を振り返るとネパウ(信仰の山で登山禁止)が見える。以前マカルーに行った際、反対側を見ながら登ったことを思い出す。
右手の稜線越えに見える山がアマダブラムだ。特徴ある山だがここからは特徴のない山だ。
前方を見上げるとメラピークとメラノースが見える。
三角錐の美しいマカルーも見える。
いよいよ目的の一つであったエベレストが真ん中に見える。左手はヌプチェ、右手がローチェだ。
ここはハイキャンプ(5800M)に着く。傾斜した岩場にへばり付くように設営されたテントが心許ない。
左手のネパウの右手奥にカンチェンジュンガが見える。
ヌプチェ、エベレスト、ローチェ。最高の景観。
ヌプチェとエベレスト。
ハイキャンプをあとにして登れるところまで登ろうと最後の力を振り絞って上を目指す。6000M地点で折り返す。
傾斜は緩いのだが登りより下降は足に負担がかかる。
今日はBCでキャンプ。
この先、計画ではアマラプチャを経由して下山する予定だったが、著しい体調不良と技術的にはメラピークとは違ったはるかに困難なトレイルになるので悩む以前にすんなりと断念して下山を決断した。アマラプチャはマカルーからの帰路として計画したが、天候悪化、予想通りの天候悪化、大雪に閉じ込められる寸前になった因縁のパスだ。縁がないをいうか危機回避の警告として受け止めろ、ということなのだろう。
メラピーク(6654M) アマラプチャ・ラ(5845M)を目指して [メラピーク]
11月10日~13日
下山
下山
アマラプチャ断念という残念無念の思いを抱えながらルクラに向かって下山だ。一番の課題はコテからザトラパス(4602M)を越えなければルクラの飛行場に辿り着けないことだ。
幸い天候には不安は無い。今日は一気にタングナックまで下る。
MeraBCから急登をして稜線越えをすると広大な雪渓を下る。
前半は急傾斜を下る。
雪渓の後半は緩やかになり緊張感もなく下る。
トランポンを外し岩場の下山になりしばらくすると往路で泊まったカーレの小屋だ。
翌日はインクコーラに沿いながら緩やかな下りだ。
3時頃コテのガオンに着く。緩やかな下りの連続ではあったが咽頭炎の悪化と体力消耗は著しくこれからの1000M超の高度差を越えて2日がかりの行程は限界を超していると判断した。ガイドを通じてレスキューヘリを呼んで貰うことにした。幸い手配は無事出来たようだ。
そこで思いがけない出逢いがあった。アッパードルパのトレッキングでお世話になったラクパさんとなんと5年ぶりだろうか再会が実現した。彼はフランス人とベトナム人を連れてMeraをめざすところだった。消耗しきった私にはちょっとしたカンフル剤になった。後日談だが、彼らもメラピークへの挑戦を早々に断念したと聞いた。
曇りで薄暗くなってきたのになかなかヘリが来ない。ハラハラしながら待ち続けていたら川下から轟音らしく音が。ヘリの到来だ。
不思議なことが起きた。ガオンから6.7人の住民が両手に大きな荷物か抱えてヘリに近づいている。彼らは誰?と疑問を持ったのだが、私への気遣いもなくまるで自分たちが手配したように荷物をヘリに載せている。搭乗する段になり私はさすがに優先的にパイロットの隣に席を与えられる。
意識清明でなかったのでどのくらい乗ったのか、おそらく20分もかからなかったのではないか。
ルクラの飛行場が目に入って無事フライトが終えるのを確認して安堵したのを覚えている。以前よりヘリビジネスが発展しているようだ。
翌朝1便でKTMへのフライトが取れた。
翌日天候も安定して幸いにしてKTMからの便が到着。予定通りKTMに帰着した。ガイドの手配ですぐに病院に駆けつける。ネパールの病院への不安があったのだが、案内された病院は英国大使館前にある病院だ。とても瀟洒な作りで,受付から検査そして結果的には入院をする羽目になったのだが、全て行き届いた対応にびっくり。日本より患者には心地良い環境に安堵した。看護師さんも美人看護師で言葉が通じないとなると、やおらスマホを出して通訳アプリを使いながらやり取りを済ませた。病床は2人部屋だったが入院患者は当日退院したので個室扱いになった。水の摂取量、排尿量のチェックは面倒だったが、快適な入院生活だった。さいわい翌日には退院の許可が出てホテルでほぼ1週間寝たきり生活、その間通院して帰国の途に。
今回はトレッキング扱いではなく、クライミング扱いの山岳保険を加入していたので立て替えはする部分もあったが、煩わしいこと一切無く保険での保障があって助かった。
今回はトレッキング扱いではなく、クライミング扱いの山岳保険を加入していたので立て替えはする部分もあったが、煩わしいこと一切無く保険での保障があって助かった。
了