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再度エベレストトレッキング(2012・1015~1113)4 [コンマ・ラからエベレストへ]

クムジュンで高度順応そしてタンボジェへ(20121020.21)

2012.10.20 クムジュン周回

今日は一日高度順応でナムチェバザールにもう一泊する。朝ご飯前にネパール軍の駐屯地脇を通って山岳ミュージアムに登る。ここからのエベレスト眺望はほとんどの人がトライするところだ。手先に痛みを感じるような寒さだが、風が無いので体感温度はそれほど厳しくはない。一点の曇りのない空に浮き立つエベレスト、ローチェが見事だ。コックとポーターはナムチェに留まり朝ご飯の用意をしている。
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    (タムセルク)
ゆっくりの朝ご飯を終えてクムジュンまでのトレッキングだ。クムジュンは3780Mだから高度順応には丁度いい。ダワさんとラムさんが一緒してくれる。足元に街並みを見下ろしながら一気呵成にシャンボジェを目指す。そこには整備されているとは思われない草ぼうぼうの飛行場があるが、最近ではナムチェバザールにヘリポートが出来たこともあって使用されることが少ないようだ。
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  (アマダブラム)
右手に回り込みながらホテルを通り過ぎて先に進む。エベレスト、ローチェをしっかりと見ることが出来る。草地から木々が生えるエリアに移る。しばらく行くと豪華な作りのエベレスト・ビュー・ホテルだ。日本人が経営者のホテルだがこの場には不釣り合いなバブリーな作りには抵抗を感じた。
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  (エベレストとローチェ)
テラスそして各部屋からエベレスト、ローチェが眺望できるホテルとして有名で、多くのトレッカーが高度順応先として訪れる。同時に観光気分でエベレストを望もうというパック旅行の人々でごった返している。エベレストを背景に記念撮影する人、のんびりコーヒーやティーを飲んでいる人、山岳地帯という雰囲気とはちょっと違った景観だ。強いて云えばヨーロッパアルプス風の風情と云うことか。
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われわれも高いコーヒーを注文して人並みに寛ぐ。一息入れてクムジュンに向かう。この一帯はシャクナゲの群生地になっている。春先なら赤、白、黄色の花で美しいはずだ。なだらかな道を下ってしばらく行くと耕作地が目に入り、牛を使って農作業をしている家族もいた。原始的な農作業のスタイルだ。

クムジュンにはイエッティの頭が保管されているというゴンパに立ち寄る。ここには前回も立ち寄っているので嘘っぽい話には興味無かったが、ドネーションをしてそこを去る。この集落は典型的なシェルパ族の集落。エドモンド・ヒラリーが学校を寄付している。そういえばナムチェから登るときには生徒達が大勢学校に向かう格好で登っていた。この学校を目指していたのだろう。

集落を過ぎると階段状の登りになる。登り口には「save the musk deer」という看板が立っている。ただ、希少動物扱いになっているじゃこうしかにお目に掛かる機会は絶無だ。登り切るとなだらかな下りになり、しばらく行くと眼下にナムチェバザールの集落が視界に入る。

そこからは一気の下降だ。どんどん集落が近づきキャンプサイトに到着。昼ご飯を食べた後はのんびり日向ぼっこだ。プラスチックの椅子を借りて太陽に身体を向けてウトウトする。ただ、ここはナムチェの上部にあるので冷たい風が肌を通りすぎていく。昼下がりにもなると徐々に冷たい風が日差しの温もりを奪っていった。

ラムさんから今日はバザーの日だから街に下りてみませんか、と声を掛けられた。暇潰しもかねて出かけることにする。一気呵成に下ると街の中心地外れで露天商が店を張っている。しかし、昼下がりともなって多くの商売は一段落しておりすでに後片付けしている店もあって人の行き来は落ち着いていた。
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ラムさんは肉の購入をダワさんから頼まれていたようだ。肉塊のぶら下がった店先で品定めをしている。切り刻んだ肉塊を脇に抱えて帰路につく。ヤク肉1.5Kgを買って1500ルピーと云っていた。

10月21日(日)

今日も快晴だ。8時に出発予定だったが、一騒ぎがあった。ルクラからナムチェまで運んでくれたゾーキョは引き返し別のゾーキョに交代したのだが、用意された2頭のゾーキョのうちの一頭が遁走して行方不明になりゾーキョ使いが大慌てで探していた。

行き交う人人に聞いてはみるものの行方が分からない。そのうちにようやくミュージアムの方で見かけたという情報が入り慌ててゾーキョ使いは走っていった。しばらくしてホッとした顔でゾーキョを叱りながら下りてくるのを見て全員ホッとした。それにしてもこんな広大なエリアでよくも見つかるものだと感心した。

我が家のことだが、愛犬が何度も脱走して遙か遠くで警察に保護されて冷や汗をかいたことが思い出された。

一つ気になることだが喉の粘膜が痛みを感じるようになった。ナムチェまでのトレイルは乾燥しきって砂ぼこりが舞い上がる。特に団体やゾーキョのキャラバンと行き交う、その後を追う状態になると必死に呼吸をして息苦しさを解消としようとしているわけだから思いっきり鼻奥まで砂塵が入ってしまう。それが原因だと云うことは以前の経験からも想像がついた。とりあえず悪化を防ぐために予防的にとPLと抗生物質を飲む。
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(クリックで拡大)
しばらくは水平のトレイルが続く。9時50分キャンズマ(3550M)を通過する。右手にはタムセルクが見事に屹立している。10時にはサナサに着く。ここでゴーキョに向かうトレイルとカラパタールに向かうトレイルが分かれる。
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ここからはプンキテンガに向かって急降下する。10時20分ラウシャサの集落を通過する。道幅は十分に広く生活道路の様だ。ここまで来るとターメ経由、ゴーキョを目指すトレッカーはすでに別のトレイルに移っているのでナムチェまでのラッシュではないが、ここはなんといっても一番人気のカラパタールへのトレイルなのでまだまだトレッカーが多い。
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10時40分プンキテンガ(3250M)に着く。ナムチェから300M近く降下したわけだ。2003年2月初めてヒマラヤ入りして、一念発起して目指したタンボジェ(3860M)の時の思い出が蘇ってきた。その時のプンキテンガは侘びしい掘っ立て小屋が数軒あった。小屋に入ると薄暗いなかでランチを摂ったのを思い出す。ところがこの10年の変わり様は著しい。立派なロッジやバッティーが林立して、多くのトレッカーで大賑わいだ。
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プンキテンガからの急登は600Mの登りでなかなかタフだったことを思い出す。12時20分ゆっくりめのランチを終えて出発する。トレイルの右には水力を使ってマニシャを回す仕掛けがあるのだが、現在は壊れて機能していない。

すぐに吊り橋を渡る。これも以前とは比べものにならないほど立派に張り替えられていた。相変わらず乾ききったトレイルの砂塵には苦痛を感じながらビスターレ(ゆっくり)で歩を進める。12時40分には正面にカンテガ(6783M)が望める。このトレイルはメジャーになりすぎたのかとてもトレッキング姿と思えない人も散見されるようになった。この先どこまで行けるのだろうか青息吐息の人もいた。2003年の時は生まれて初めての高度体験でもあったため中度の高山病になってしまったことが心の片隅にあり気にはなったが幸いその兆候はない。
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尾根の右手をつめていくと2時には突然前がひらけてゲートが目に入る。いよいよタンボジェだ。ここにあるゴンパは巨大でソル・クーンブ地方の大聖地だ。ネパールではたくさんのゴンパを見てきたが、この高度にこれほどの巨大なゴンパは言葉では尽くせない信仰の篤さ、強さを伝えてくれる。赤黒い僧衣をまとった修行僧が行き交っていた。今日はゴンパ前にある広場がキャンプサイトになる。さいわい未だ余裕があって居心地がいい場所を選んで設営だ。

正面にはエベレスト、ローチェが昼下がりにしては珍しくくっきりと見ることが出来る。ところがゾーキョが見あたらない。遁走事件もあったゾーキョ使いなので不安になったが、相当遅れて到着して不安は払拭できた。ところでどうして遅れたのか、とガイドが問い詰めるとこれから先のゾーキョの餌を買ってきたからだとのこと。それはやむを得ないことだと怒りの矛先を納めるしかなかった。
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夕方の祈祷に参加するためにゴンパに向かう。独特の低音の音色とシンバルのような金属音、読経に充満したゴンパ内は仏教という共通点のある日本人だけでなくラマ教という敬虔な気分に誰彼無く引き込んでいく。多少のドネーションをして外に出る。すでに陽が落ち始めて空気は一気に肌を刺すようになっていた。そろそろ高山対応の服装に変える必要が出てきた。
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