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ゴンドゴロ・ラからK2⑫ マッシャーブルムも断念 サイチョーへ(201008011) [ゴンドゴロ・ラからK2へ]

昨晩は満天の星だったけど、今日は高曇り。
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6時起床したが、アミンさんとポータ-リーダーは5時に先発していた。天候不順で川の水量が増えている、その結果トレイルに危険な状態が起きていないかを点検するためだ。
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8時20分に出発する。なだらかな下りを進む。9時ここから先は一気に氷河に向かって降下する。氷河近くではスノーブリッジをはらはらしながら渡り、氷河に移動する。再び左手の山の斜面に移り、アップダウンを繰り返す。9時50分テラス状のところで一息入れる。その先はモレーンと山に囲まれたキャンプ適地だ。2匹の馬がお互いじゃれ合って戯れていた。

立て看板があり、ホースライド可能と書いてあった。そのような需要があるのだろうが、馬に乗った経験から決して快適でないことは想像出来る。看板の表示のスペルに間違いがあったが、カメラポーターのカリームが自慢そうに指摘する。確かな指摘だ。
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草地を進み、眼下には左手から沢が流れ込んでいた。10時20分、そこに近づくと往路では目立たなかった水量が明らかに変化している。徒渉するのに恐怖感を感じなかったところが、様相を変えている。たまたまそこには見知らぬ現地人が立っていた。ファイサルさんが彼の背中に背負ってもらいなさい、という。見ず知らずの人の背中に乗るのに躊躇があったが、さすが激流を徒渉する勇気もなく、背負って貰うことにする。
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彼は決してマッチョでもなく、私より体重も少なく、背丈も小さい。私に足が水に浸からないよう膝を曲げなさい、と言って、山で拾った枝を片手に私を背負って足場を捜しながら多少ぐらつきながらだったけど対岸に渡る。乗っている本人は不安一杯だったが、彼は自信満々のようだった。

彼には感謝の気持ちとして5ドルをチップで渡す。後で分かったことだが、彼は自分の雇ったポーターの一人だった。先発したアミンさんから私が来たら背負うように指示されて、ここで待機していた事が分かった。

10時50分、再び草地が広がっているキャンプサイトに着く。ゴンドゴロ・キャンプサイトだ。ここで昼ご飯になる。草地の反対側に小さな仮設テントがあり、人気があった。なにやら大声を上げて我々を呼んでいるようだ。ガイドが私に山羊のヨーグルトを食べますか、と声を掛けた。こんなところでヨーグルト、ってどんな代物なんだろう。確かに喉も渇き乳製品には心惹かれたが、先のことを考えて断る。ポーター達は先を争うようにそこへ向かって行った。ポーターリーダーから許可が下りたようだ。

ファイサルさんとアミンさん、そして何人かのポーター達がひそひそ話をしている。あとで確認したところ、コックのムディーンさんが住んでいる集落が土砂崩れで200人近い村民が生き埋めになったとの事だった。この情報は行き交うポーター達から得た情報で確かではないが、ムディーンさんの家族が被災者がどうかは別として、大事件が起きていることだけは確かそうだ。

なんでみんなが噂をしているのにムディーンさんの耳に入っていないのか不思議でしょうがなかった。実は彼は耳が遠く、仲間とのやり取りが簡単ではないことだった。それともし彼の家族が巻き込まれていたら、辛すぎる話なので、気遣いで彼に何も伝えないように配慮していたようだ。

マッシャーブルムBCのルートはここから分岐して氷河をトラバースし、対岸の斜面をトレースするらしい。そのトレイルは想像したとおりかなりの崩壊があって進むことが出来ないとのことだ。11時30分、気温が上がり水量が増えると徒渉が困難になることも予想されるので、早早に出発する。沢の水量は確実に増水していて、再びポーターの背中に背負われる羽目になる。
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ここまで下りてくると神経を使わずのんびりと歩ける。野バラがあちこちに見られる。久しぶりに暖かい日差しを正面に浴びて右手眼下にはマッシャーブルム氷河を見ながら緩やかな下りが続く。一気の降下がはじまるとすぐにサイチョウのテントサイトだ。
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1時半。久しぶりに高額(笑)なファンタで喉を潤す。今晩は今回のトレッキング最後になるので、羊を一匹丸焼きにして祝杯をあげる予定になっていた。アミンさん達が先発した理由にはその羊を手配することでもあった。ところが、サイチョウーまでで山羊を入手することが出来なかった。理由は全ての山羊は山の上に上がっていて入手が出来なかったそうだ。。

目の前で殺して、皮をはぎ、切断する情景はとても見られない、そんな気分でいたので、買えなかったのは幸いだ。ただ、心の片隅ではマトンカレーが食べたいという欲望があったのも正直な気持ち。それを楽しみにしていたポーター達はさぞかしがっかりしているだろうと心配したが、その分をチップとして支給されてかえって喜んでいるようであった。

幸い日差しがあるので、汗まみれになった下着やシャツを洗濯したり、日向ぼっこで時間をつぶす。
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ポーター達は小屋にある太鼓を持ち出し、歌声に会わせて打ち鳴らす。なかには踊る者もいる。一緒に歌おうと誘われ、輪に加わったが、ただただ手拍子を合わせるだけだ。明日は家族の元に帰れると言う喜びもあるのだろう、彼らにとっては一時のくつろぎの時間になった。

ムディーンさんがなにやら大事そうにしていた紙を持ち出した。ガイドを通じてこの紙はどういう意味なのか教えて欲しい、ということだった。小さな表彰状に日本語が書いてあった。
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彼のお父さんはポーターをしていて日本人のガッシャーブルムⅣ登頂隊に参加したらしい。その時に事故にあって亡くなったそうだ。この表彰状はその際もらったものだと言うことが分かった。ムディーンさんにとっては父親の数少ない思い出の一つであることは察する事が出来る。今回、日本人トレッカーのコックをすると言うことで家から持ち出して機会があれば聞いてみたいと思っていたのだろう。記載内容とか書き方にどれだけの思い入れがあったかというと、それほどの思いが込められていたとは思えなかったが、ガイドに通訳して貰いながら説明してあげた。ふと父親を思い出したのだろう、その表彰状を凝視していた。
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