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シッキムからカンチェンジュンガを目指す③ [カンチェンジュンガ2]

ガントクからユクサムへ(4月30日、5月1日)

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ガントクは急斜面に張り付くように作られた街だ。チャーターしたタクシーで急坂を登ってエンチェイ・ゴンパに向かう。エンチェイ・ゴンパはニンマ派の中心的ゴンパだ。ゴンパからラマ教そしてその連想としてダライ・ラマを思い浮かべるが、一言でラマ教といっても日本の仏教と同様宗派があり、大別して4つあるそうだ。ニンマ派は一番歴史のある宗派だが、チベットを支配していたダライ・ラマ率いるゲルク派とは対立的関係にある。ネパールのボダナートがその中心的存在になっている。ガイドのテンジはニンマ派の信者で、彼に時折ダライ・ラマの話を投げても私の期待した反応がない(冷ややか)理由が理解できた。
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タルチョがはためく坂道を進むと修行中の若いラマ僧が談笑したり、忙しげに行き来している。靴を脱いでゴンパ内に入る。まさに寄宿舎付きの学校という趣。敬虔なラマ僧をイメージしていたが、かなり世俗的な雰囲気が支配している。ガムを噛む、雑談はする、まるで日本の学校と何も違わない。もう少しストイックな雰囲気例えば永平寺の修行僧を連想したのに思い違いのようだ。
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尾根沿いに少し下ると、コロニアル風の白亜の建物が目に入る。イギリス統治時代の建物で、統治のシンボル的存在だったそうだ。その入り口に向かって長い行列が出来ていた。今日は国会議員選挙の投票日で、この白亜の建物も投票所になっているためだ。その前には植物園がある。外郭の公園には入れたが、蘭を育成している建物は投票日という理由で休館となっていた。
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さらに先に進むとかつてシッキム王国時代の王宮がある。王宮は遠くから外観を見ることしかできないが、その中にあるツクラカン・ゴンパを間近に見ることが出来た。信者が右手でマニを回しながら、左手の数珠玉を一つ一つ掌の中で先に送り出してお祈りをしている。
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王宮から遠くないところにドドゥル・チョルテンがある。歴史は古くないが、そこにもラマ僧と修行僧が敬虔な祈りをあげていた。
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市の中心地に戻り谷を隔てた遠くに見える山奥にあるルムテク・ゴンパに向かう。ヘアピンの山道を一気に下り、今度は丘に向かって登っていく。後ろを振り返ればガントクの街並みがかすんで見える。
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ルムテク・ゴンパはカギュー派の中心的ゴンパで活仏カルマパを崇めている。今日の17世カルマパは中国への政治的配慮からインド政府としても正当な立場として認知することが出来ず、しかもカルマパを名乗る分派の僧がいてややこしくしているようだ。
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いずれにしてもカルマパはダライ・ラマに次ぐ高僧であり、信者には大きな影響力を持っている。長い坂道を登ってゴンパに入る。現地のガイドがゴンパの僧侶となにやら話をしていた。彼が呼び寄せるので行ってみると、カルマパほどの高僧ではないが、若い活仏がこのゴンパに来ている、その僧が我々を祝福してくれるとのことだ。彼らは慌てて門前に出て数珠と首にかける紐を買い求めに出て行った。

私も肖って後に続きゴンパの奥にある一室に入る。彼らは恭しく頭を下げて活仏の祝福を受ける。このような若い活仏を写真では見た記憶があるが、10歳には届かない子供だ。その世界にいない私から見るとあまりにも滑稽な景色だったが、最後に私も恭しく彼からの祝福を受ける。確かにそこら辺にいる子供とは明らかに違う、神々しいという感じはしないが、賢そうなその童顔に今日のダライ・ラマの若い頃を重ねて想像してみた。

ゴンパの奥に学校と並んでゴールデン仏陀がある。16世カルマパを祀るために作られた金や宝石をちりばめた仏像だ。それ故に厳重な管理下に置かれている。このゴンパに入るに当たって警察(?)の厳しいチェックを2度も受けた理由が今となって理解できた。

テンジの知り合いと夕ご飯を一緒することになった。予想通り雨が降り出した。チベット料理店に入る。雨脚が強くなり、雨宿りに丁度の時間稼ぎにもなった。しかし帰る時にも雨が上がらず、傘を買うか悩みつつも結局店もなかったので、すでに閉店している店の軒先を縫いながら、雨に濡れてホテルに戻った。

翌日、町中にあるターミナルともいえるところでチャーターしたジープにトレッキング中の食材、装備を乗せ11時過ぎいよいよ出発だ。
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一日がかりでトレッキング出発地であるユクサムに向かう。まずは往路と同じ道をシンタムまで下る。ここは交通の要所としてバザールになっている。露店が立ち並び、店も軒を並べている。ここで昼ご飯を摂り、いよいよ幹線から分岐してユクサムへ。街を過ぎて左に曲がり、東シッキムから吊り橋を渡って南シッキム地区に入る。
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ガントクは標高1700Mだが、シンタムは500Mまで下っていた。再び川沿いに上流を目指す。徐々に人家もない山道になり、谷底を眼下に見ながらひたすら高度を上げていく。雲が垂れ込め、時々小雨も降ってきた。これからの天候が気掛かりだ。遠くから雷の音もしてきた。ここはラボンラ、一息入れるために食堂に立ち寄る。ここは2000Mの標高になる。天候も悪いので肌寒くなってきた。天候がよければここからカンチェンジュンガを眺望することが出来るそうだが、今日は残念ながら視界不良で山影さえ見えない。
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キュージンの集落を通過すると、今までの山岳道路から丘陵地帯ののどかな道になる。再び急なヘアピンを一気に川面に向かって下る。ダムがあり人工湖への貯水が始まっている。橋を渡るといよいよユクサムのある西シッキム地区に入る。再び急坂を登り、斜面をうねるようにして走る。谷底から数百メートルはあるだろう、まるで小型飛行機で谷間を飛翔している気分だ。
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久しぶりに大きな集落タシリンを通過。眼下に広がる棚田は見事だ。棚田は米やトーモロコシなどが植え込まれる前なのでわずかに生えている雑草だろうか辛うじて緑色に染まっている。日本の棚田より遙かにスケールが大きい。

5時過ぎ遠くにユクサムの集落が辛うじて視界に入る。ユクサムはシッキム王国の中心地として以前は栄えた街。ユクサムを含む近隣の4つの小国が統一されてシッキムになったあとは、ガントクに中心が移ってしまいユクサムは寂れ果ててしまった。
ユクサムの標高はガントクと同じ1700M。500Mから2000Mを上り下りの長旅も終わって、いよいよここからはトレッキングの開始だ。

ホテルはユクサムのほぼ入り口近くにある。すでに日が落ちかけていたが、シッキムの王宮跡に行ってみる。ほとんど跡形もなく廃墟に古のロマンを重ねることしかできなかった。
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ホテルでは食事が出ないので外食となる。さすがにここまで来ると今まで目につかなかった白人トレッカーが目に入る。しかも食事が出来る店も数軒しかないので、店は世界各国からのトレッカーのたまり場にもなる。相変わらず天候は不順で遠雷がなっていた。明日からがますます心配になる。




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