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シッキムからカンチェンジュンガを目指す② [カンチェンジュンガ2]

カトマンドゥからガントクへ(4月27日~4月29日)

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バンコクでの一泊を節約するため、関空0時30分発のタイ航空に乗り込む。バンコク4時20分着、10時25分カトマンドゥに向けて搭乗する。連休前というのに日本人のトレッカー、観光客は少ない。不景気風はここにも及んでいるようだ。たまたま出会った唯一の日本人トレッカーと隣り合わせになったので、お互い、どこのルートに行くのか、今までのトレッキング経験談などに花が咲く。お陰様でバンコクからカトマンドゥの3時間半はあっという間にトリブバン空港にラウンディングする。

春のネパールは初めての経験。冬の乾燥期とは違って空気がクリーンのように思えた。政治的に新しい体制に移行して何が変化したのか興味津々だったが、少なくとも入国までは特段の変化はなかった。唯一ロイヤルネパールの機材のネーミングからロイヤルが消されたことぐらいか。

4年前に一回だけしか会っていないガイド、テンジ君とはメールでは頻繁にやり取りをしているので旧知の印象だが、正直言って顔を正確には記憶していない。当時会った時の写真を反芻しながら、それでも4年間の経過は青年を大きく変化させるに十分な時間経過だろう。

飛行場出口では大勢の人々が待ち受けていた。ガラス越しに間違いない彼を発見。久しぶりにしっかりと握手を交わして再会を喜ぶ。さすがに彼も20代後半から30代にのって大人びていた。人なつっこい笑顔は私の不安をすぐに払拭。彼と出会いさえすれば今回のトレッキングは最大のリスクを解消したことになる。

さっそく彼が用意したタクシーで中心地タメルに向かう。カトマンドゥでの宿泊はチベット・ゲスト・ハウスだ。タメルの中心地から若干南側の外れ。セカンドクラスだがバスタブ付きのなかなかな立派なホテルだ。テンジへの支払いを終えて、一風呂浴びてからシッキムの地図やサンダルを求めに町に出る。

遅れていた昼飯を日本料理屋というより定食屋と言った方がぴったりの馴染みの「一太」に入る。食事をしていると二人の日本人が入ってきた。その一人はバンコクからの飛行機で隣り合わせになった方だった。挨拶を交わしてお互いの幸運を祈って、私はそこを辞す。

明朝は7時半発のイエッティ航空でビラトナガールに向かう。カトマンドゥに残す荷物を仕分けして、トレッキングの準備も終えてそうそうに就寝だ。
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天候は問題ない。30人乗りの小さな飛行機で予定通りビラトナガールに向かう。国内線は数社あるが、テンジはイエッティ派らしい。理由はサービスが良いことと、シェルパ族と関係があることが理由のようだ。確かに短い搭乗時間だが、その間に飲み物のサービスがあった。

1時間弱のフライトはあっという間。ビラトナガールに着くと現地エージェントの手配した車でネパール国境の町カラビタに向かう。ここから120KMのドライブだ。気がつくと町中の細い道を縫うように走っているのに気がつく。テンジに聞くとインドからネパールに移住した部族が政府に反旗を翻し、反政府運動を始めたそうだ。それが原因でインドへ通じる幹線道路が封鎖され裏道を走らざるを得ないと言うことだった。
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紅茶産地として有名なイラム地方へ分岐する町の手前でようやく幹線道路に合流し、カラビタに向かって快適な走行となる。12時ちょっと前にカラビタに着く。カラビタの空気はまだ4月末というのに亜熱帯らしく蒸していた。長い間車の背あてに接していたので背中はすっかり汗ばんでいてベタベタで気持ちが悪い。

国境の町らしくなにげに動きが慌ただしい。リキシャがぶつかりそうになりながら行き交う。エージェントの事務所でインド側のエージェントとの連絡を確認して国境にかかるメチ橋を歩いて渡る。その前にネパール側での出国の手続きをする。ここではパスポートとインドのビザ確認程度の簡単な手続きで済んだ。
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インド側のエージェントが迎えに来てくれていたので、大きな荷物は運んでくれたが、残った荷物は背負って両手に持って長い橋を歩いて渡りきる。今度はインド側での入国手続きだ。ここでは単にパスポート、ビザのチェックにとどまらず、厳重な荷物の検査が待っていた。テンジによると国政選挙前でとりわけ厳しいそうだ。平常時ならあっという間の入国と聞いた。

引っかき回すようにした荷物の検査が無事終わり、手配済みの車に向かって汗だくで歩く。インド側の町はウイッシュバンガール。国境を越えたとはいえ、目に入る姿にはほとんど変化がない。民族的にも言語的にも同じなのに無理矢理政治的に線引きしているのだから当然か。ウイッシュバンガールは西ベンガル州の町だが、ネパールからの移住した人々が圧倒的に多いので当然でもある。西ベンガル州はインドの東端に位置する。何故それなのに西かというと、イギリス統治時代ガンジスデルタを挟んでベンガル州があったが、インド、パキスタン独立時に東ベンガルはパキスタン(今日のバングラデシュ)の統治になったので、西と東で国が異なることになった。

西ベンガル州にネパール人が多い背景には、イギリス統治時にお茶のプランテーションを開発した際に勤勉な労働力としてネパール人を使ったことに起源がある。シッキムでも同じ現象があってネパール語が標準語になっているほどだ。
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ここからシッキムの州都ガントクには170KM、3時間半はかかるらしい。道は明らかにネパールよりは整備されているので楽だ。珍しく踏みきりで足止めを食う。ネパールには鉄道がないのでとても奇異に写る景色だ。通り過ぎる列車をカメラを向けて待つ。このレールはこれから私たちも通過するシリガルまで通じている。その先は世界遺産に認定されている鉄道がダージリンまで敷設されている。
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3時にシッキム州に入って最初の町ロンプーでチェックを受ける。インドへの入国許可はもらっているのに何故なんだぁ。これには歴史を遡る必要がある。シッキムは1975年まで王国として存在していたが、その後外交・防衛・通信をインドに委ねた自治州としてインドに併合された。そのためにインドでも特別のエリアとなっていることに由来する(シッキムについては後で語ることにしよう)。

何度か川面から尾根を目指してヘアピン道を上り、尾根伝いに走り、また谷に一気に下る。それを繰り返しした後に急坂を喘ぎ喘ぎ登って4時過ぎには遙か遠くにガントクの街並みが視界に入る。ガントクの町は意外にも大きな広がりを持っている。何しろ山の斜面に沿って作られた街並みだから、どこに行くにも坂道を避けるわけにはいかない。くねった道に沿って見事な家並みが続く。

町の中心地から数分外れのホテルに泊まる。今日は朝方から雲行きが怪しい。垂れ込めた雲(霧)が今にも雨になりそうな気配だ。ガントクは1800Mに位置するのでガスがかかりやすい。目の前を霧が走っていく。一息入れてから町の中心地に出向く。なんとそこは美しい歩行者天国があって緑地帯を中心に左右に店が続いている。ベンチにはのんびりくつろぐ若者カップルが、そして年老いた老人も座っていた。
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ここの街並みはいわゆる観光地によくある店構えと言うより地元住民を対象とした店ばかり。スーベニールショップは数件を数えるだけだ。ゴミが落ちていない。インド、ネパールから連想されるゴミゴミ感は全くない。しかも公共スペースでは禁煙になっている。日本よりも進んだ対応にはびっくりした。
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