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バルトロ氷河とK2⑭ ウルドゥガスからパイユ(復路) [バルトロ氷河からK2へ]

8月5日(火) ウルドゥガス~パイユ

ウルドゥガスはバルチスタン語で岩場にある亀裂のことを言うそうだ。今朝はこのトレッキングで初めての雨模様。一時は激しく降る音に先行きの不安を感じていたが、幸い朝ご飯時には小雨となり、行動には支障がなさそうだ。7時10分、当地に入って初めて雨具を付けての出発となる。足元に広がる氷河湖は白濁した緑色になっている。日々の日差しでどんどんと融けて変形していくのがリアルに分かる。

数ヶ月前までは氷河湖に流れ込んでいる左手の谷側を歩けたのだが、落石のためそのトレイルは塞がれて、氷河湖の右手上を登ることになる。氷河湖を囲む氷河の壁がそそり立つその際を歩くので反対側から見あげると今にも融け落ちそうな場所をポーター達が歩いている。そこを歩いてきた、そしてこれから歩く事を想像すると背筋が寒くなる思いだ。

パキスタン軍の駐留キャンプを通り過ぎ、一歩一歩登る。しばらく行くとウルドゥガスに流れ込んでいる谷の反対側に向けて下る。タパペティンと呼ばれる小さな紫色の花が咲き乱れている。瓦礫のなかの厳しい環境に耐えている姿がいじらしくさらに美しさを増している。氷河にあるクレパスが夏場の暑さに溶けてその深さを増し、表層のゴミを溶かし白い肌を剥き出しにしている。美しいという印象に加えて何か不気味さを感じる様相だ。あちこちで落石の音や氷河が移動する際の軋み音も聞こえてくるほどの静けさだ。
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ここでの天候不順はある意味熱暑から解放される快適さと、もしこのタイミングが一日でもずれていれば、肝心なK2を見ることが出来ないという悲嘆の底に落ち込まなければならなかったかもしれない。そういう意味でも幸運だった。往路では下に広がっている氷河モレーンの中を歩けたのだが、トレイルが落石で通れなくなったようだ。ミールさんは迷うことなく、斜面の上に向かって進む。彼がどこでその情報を得たのか知るよしもなかったが、さすがベテランガイドだ。大きな岩の合間を縫っての歩行となる。韓国人のパーティーがそれを知らずに下のトレイルを歩いている。片言の英語でやり取りしたものの、通じなかったのかあるいは助言を無視してなのか委細構わず先を進んでいった。
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8時半トランゴBCのちょうど対岸にいる。左手上の岩肌にボラという鶏大の鳥がいた。残念ながら一瞬の出来事だったので写真を撮る余裕もなかった。9時40分往路ではキャンプを張ったコブルジェに着く。岩小屋があって別のパーティーも一息入れていた。ココアを飲んだり、ジェリーを食べて10時過ぎに出発する。
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11時45分リリゴのキャンプサイトに着く。リリゴはバルトロ氷河に左右から氷河が流れ込んでいる十字状になった場所だ。バルトロ氷河も両側の山肌が迫って狭くなってきている。右手からはトランゴ氷河、左手からはリリゴ氷河が入り込んでいる。ここから先パイユまで休憩する場所もないのでここで昼ご飯となる。
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しばらく行くとバルトロ氷河のトラバースが始まる。アップダウンの連続、あがっていた雨が再びしとしとと降り始め、雲も厚く覆い被さってきた。小さな氷河湖を通り過ぎ先を進んでいくと、大柄なおそらく2Mに届かんと思われる登山家がおぼつかない足取りで下山していた。遠くの右手先に緑の塊が視野に入ってくる。そこがパイユだ。パイユはバルチスタン語で「塩」という意味だそうだ。
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1時10分ちょうどバルトロ氷河のど真ん中を歩いている。雨脚は上がるどころがますます激しくなってきた。さっき視野に入ったよろよろ歩きの登山家だが、視野から消えた。明らかにトレイルから外れているのは確か。気にしながら先を進む。1時半頃には眼下にブラルドゥ川のごうごうと白濁した流れを確認した。気掛かりになっていた足がふらついている登山家がバルトロ氷河がブラルドゥ川にまさに落ち込もうとしている方向に向かって進んでいるのを確認。シェールが必死に大声を懸けて戻るように叫んだが、委細構わず先に進んでいく。
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雨宿りが出来る大きな岩の陰で一休み。靴の中も温もりはあるが何となく濡れているのが分かる。ちょっと気持ちが悪いがどうしようもない。2時にはバルトロ氷河のトラバースが終わり、ブラルドゥ川に沿って先に進む。平坦なトレイルになったが、何本かの川を横切る際、雨量が増えたせいで往路では何事もなく渡った徒渉に難渋する。足元の不安定な岩伝いに徒渉したり、緊張した一瞬だった。
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3時過ぎにはパイユに着いた。幸い雨は上がり、テントを張り始めたが、水たまりがあっていかにも足元が悪い、寝床にするには心配だ。シェールが管理小屋の管理人と掛け合い、その部屋を使わせてもらうことにする。薄暗いので薄汚れた部屋でも気にならない。濡れた衣服を脱ぎ捨てて着替えた。なんと気持ちいいことだろう。

天気が急速に快方に向かい、日が射すまでになる。河原まで下りたり散策をするが、中途半端に作られたトイレが不自然に存在しているのが気にかかった。気になっていた登山家がパイユには立ち寄らずふらついたまままっしぐらに先に進んでいった。安堵し、あんな足元でも先に進む、その気持ちの強さが極限の登攀を支えているか、と感心する。
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日も落ちて夕ご飯も終えた頃、5人のセルビア人(後で分かったのだが)とポーター数人が、突然部屋に入り、傍若無人に私の荷物を椅子から下ろし、その椅子を持ち出していった。何事が起こったのか分からないままに時間がたった。普通ならすいませんが、と詫びてから始まるのに相手のことを全く無視だ。傍若無人ぶりにはあきれ果てた。

セルビアと聞けば、民族間の争乱が絶えないところ。こんな態度からも想像するに紛争が起きる土壌を感じた。分かったことは彼らはセルビアの相当高い地位の軍人とその取り巻きらしい。改めて白人の価値観の違いそしてアジア人に対する蔑視を肌で感じた一瞬だった。そういえばヒマラヤでも同じような体験を経験しているのを思い出した。白人の世界には日本人が及びもつかない教養を感じられる人々がいる反面このように利己的で自己中心のこれも日本人ではあり得ない人種が存在しているのを改めて実感した。
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