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インダス川を遡行して・・ナンガパルバットとバツーラ⑩ [ナンガパルバットとバツーラ]

8月5日(日)タリシンからカリマバードへ
DSC_2411b.jpg今日はフンザ・カリマバードまで車での移動になる。5時半に起床。快晴ではないが、目の前には右手正面にチョングラがそこから稜線が伸びてライコートに、その稜線越しにナンガパルバットのレンジのピークが覗いている。早々に朝ご飯を終えて出発の準備だ。荷物を整理しパッキング、いつも忘れ物には気をつけるのだが部屋を去る瞬間はちょっと緊張が走る。
階下では昨日会ったフランス人カップルが出発の準備をしていた。これからトレッキングに出かけるのかと聞くと、薬で回復傾向にあるけど彼女の体調がいまいちなので下山することにしたとのこと。ところが今日は日曜日なので乗り合いジープの運行がないので途方に暮れていた。ヒッチハイクで下に下りる車をあてにしているようだ。そうなら是非一緒しましょうと、声をかけて一緒することになる。
7時20分出発。しばらくは悪路の連続で速度はのろのろ運転になる。この一帯は柳が繁茂している。その柳の幹は人間の背丈まで布に覆われているか、白いペンキが塗られている。柳の幹はロバの大好物で放っておくと食べてしまう、それを防御するための方策だといっていた。道路脇には電信柱が立っているが、肝心の電線が張られていない。現地の人は今年には通電すると毎年毎年期待しているけど、空振りの連続らしい。
8時45分舗装された国道に合流して、ようやくくつろげる移動になる。我々はアストールの町を通らずにバイパスを行くので市内に行く道との分岐点でフランス人を下ろして別れる。我々はショートカットの道でギルギッドに向かったが、生憎少し行った先で落石が道路を塞いていたため、やむなく折り返して元の道に戻る。先に下りたフランス人たちはヒッチハイクが出来ずにまだ道路端で車を待っていたので、再びピックアップしてアストールの町に向かう。9時40分アストールの市街地でフランス人達を下ろし前進する。
実は今回での最大のトラブルを経験する羽目になった。2台のカメラを持参し、一台は自分がもう一台をポーターが持ってトレッキングをするのが常なのだが、昨日手元に戻ってきたカメラの内部が水滴で漏電をしていて使用不能になっていた。結局は責任の所在がはっきり出来ないまま終わったのだが、ネパールだと私の近くでガイドがしっかり所持し、いつでもスタンバイしてくれている。当地では私から完全に離れたところで移動してしまうので使いたい時には使えず、目の行き届かないところでトラブルが発生してしまったようだ。確かに当地へ入るトレッカーの数はネパールに比べて圧倒的に少なく、ガイド、ポーターたちのスキルには大きな違いが感じられ、トレッキング中に起きるあらゆるトラブルに対してのリスク管理に大きな違いがありそうだ。
10時半検問があった。ここがアストール地方からギルギッドへの境界地点、標高は1760mだ。道はヘアピンの連続となり高度を一気に下げていく。11時前には眼下にインダス川の灰色の流れが目に入る。橋を渡るとそこはカラコルム街道、右折してギルギッド、そしてその先にあるフンザへ向かう。
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11時20分シャグロットを過ぎるとヒマラヤ山脈、ヒンドゥークシュ山脈そしてカラコルム山脈の合流点がある。インダス川の左岸(対岸)はヒマラヤ、右岸がヒンドゥークシュ山脈、前方がカラコルム山脈になる。モニュメントの前で一旦停止し一望する。インダス川はそこで東に向きを変えていく。我々はギルギット川に沿って北上する。インダスに沿って右手に折れるとスッカルドに向かう道になる。インダス川はスッカルドそしてカシミールを経由してチベットに源を遡る。スッカルドはK2を目指すトレッカーには入山の基地になる町。そこからバルトロ氷河に入り、奥に進むと8000Mを超す4峰(k2、ブロードピーク、ガッシャーブルムⅠ、Ⅱ)が望める素晴らしいトレッキングのメッカの一つだ。我々はギルギット川左手に沿って上流に向かう。
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12時10分に検問を通過すると道が分岐し、左手がギルギットの市街地に、右手に往くとフンザその先は中国ウイグル自治区につながるカラコルム街道となる。昼食をとるためにギルギッドの市街地にあるホテルに向かう。砂漠にあるオアシスのように突然と沸いた町、北部地区の最大都市の威容を誇っている。ここには飛行場もあってイスラマバードとのフライトがあるが、しばしば気象に左右されて安定的な運行が保障されないそうだ。ここまで飛行機を使えばイスラマバードから650KM、1時間弱のフライトで来ることが出来たのだが、キャンセルのリスクを避けて今回は陸路で移動することになった。
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右手に流れるギルギット川の対岸の山腹には「ウエルカム・アワー・ハジール・イマーム」と大きな文字が刻まれている。イスマイリア派の指導者アガ・カーンを崇める掲示だ。その右の稜線越しにラカポシ(7788m)が望める。ギルギット川の北・対岸はカラコルム山脈で、ナガール地方そしてその北にはフンザが位置する。我々の来た後方、フンザ川の対岸はスッカルド地方でカラコルム山脈の延長にある。そしてその先には世界第2位の高峰K2が聳え立っているところだ。宗教的にはナガールはシーア派が多く占め、フンザ方面にはイスマイリア派が、当地ギルギットではスンニ派も含めた3派が共存しいてる社会になっている。まさに北部地方の中心として、そして中国とも地理的に近くパキスタンの要衝となっている。人口は6万人、アーリア系を中心にして、パシュツーン人やフンザ、カシミールからも多くの人が入り込んだ複雑な構成になっている。
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ギルギット最高級クラスの英国風のセレナホテルで昼ご飯となる。ホテルは市街地から左手に急坂を登った閑静なところにある。見るからにシックな高級感はパキスタン入国以来はじめての経験だ。マトンのフライ、鱒のフライ、サラダなどブッヒェスタイルのランチだったがきわめて満足のいく美味しい食事だ。数組の白人のグループ、南部方面から来ているリッチなパキスタン人などが一緒だった。因みに宿泊料を確認したところ日本円にして1万円弱とのことだ。ホテルのショップでスカーフの買い物を試みた。店主の言い値は40ドルだったが、ガイドの通じて値段交渉をした結果、30ドルで手打ちをした。値決めはやりとりの苦手な日本人にとって苦痛な作業ではあるが、地方地方の慣習を知れば克服できる筈。ガイドによれば言い値の7掛けから8掛けというのが相場だそうだ。
2時前に出発。再び来た道を戻り、すぐにカラコルム街道に合流する。そこを左手に曲がりフンザ川に向かう。橋の手前で検問所があり、橋を渡るとギルギットとはお別れになる。しばらく行くと街道筋には柳の木が立ち並ぶ下町風の商店街があるダニオールの町を通過する。この一帯も基本的にはドライな気候のため緑はほとんど無いが、灌漑が進んだところでは農業が営まれている。
3時グールの町を通過。街道の両側には店が軒を並べ果物、肉などを売っている。NATCOのバスが行き違った。NATCOはnorthern area transport corporationの略で、北部地方の交通を支える公営機関だ。そういえば頻繁に行き交っていたのを思い出した。左手には見事な山容を誇るラカポシ(7788M)が前を遮るものもなく聳え立っている。
左対岸には下フンザの集落が右手はナガールの集落が続く。街道の両側には杏子の木が植えられ、春にはピンクや白の花が見事に咲き誇るそうだ。この地方では杏子はすでに収穫を終えているのでシーズンオフになっているが、上フンザではまだ収穫中かもしれないとのことだった。なにしろフンザと言えば杏子が代表的な果物、楽しみにしておこう。対岸には岩山がそそりたち岩壁が続いているが、中腹に一つの筋が目に入る。それは今は使われていないかつてのシルクロードの一部だ。1960年頃まではこの地方の行き来の重要な街道であったし、玄奘三蔵も往復した歴史的街道だ。使命を果たした街道は所々崩落で遮断され、行き来は出来ない状態になっている。
3時50分ラカポシのビューポイント・グルミットで一息入れる。車が行き交う道筋からこんな高山を眺望できる素晴らしい景観は先ず無いのではないか、そんな風に思わせる景色だ。お気に入りのマンゴージュースで渇いた喉を潤す。しばらく走ると右岸に移動する。すぐに下フンザの町ナッシルアバードを通過、ここに来て雰囲気が一変する。それは女性が行き来しているだけではなく、彼女たちが全頭を覆うブルカではなく、頭に羽織るスカーフを付けているだけだ。当地はイスマイリア派に属するエリアで開放的な信仰が許されている証拠だ。
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前方正面にウルタル・サール(7388M)が聳え立っている。実はこの山は日本人にとって特別な関係がある。登山家長谷川恒男が挑戦し、雪崩に巻き込まれて夢果たせず亡くなった山だ。フンザには彼の遺産で寄付された学校もある。以前に日本語の通訳はほとんどフンザ出身者だと聞いたが、その背景に日本人長谷川が関係しているのかとも想像した。道ばたには大きな布袋を背負って集まってきている。中身はジャガイモで、家族総出で出荷のために街道筋に集まってきている。そういえば車体の2倍以上の高さもある囲いをもったトラックが重心を左右に振りながら下りてくるシーンを見てきたが、それがジャガイモを搭載したトラックなのだ。周りには杏子ではなくリンゴが植林されていて、まだ熟していない青いリンゴがなっている。
女性の姿が一変したと同時に男性の服装もパキスタンの象徴的服装サルワーズ・カミューズではなく、GパンにTシャツ姿が増えてきた。4時50分カラコルム街道を離れて左手の坂道を登る。カリマバードの町に入るとすぐ左手にあるホテル・エンバシーが今晩の宿だ。フンザ川そして対岸にある山々、ラカポシも望める素晴らしいホテルだ。荷物を部屋に置いてすぐにカリマバードの町に向かう。石畳のそれほど広くない急坂に軒を並べた店店。化石や骨董品や貴石、半貴石など、あるいは織物が売られている。登りきったところに長谷川恒男の名前が付けられている学校ハセガワメモリアルパブリックスクールがあった。イスラム文化圏としてはきわめて珍しい男女共学で小学校から高校まである。
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そこからは改修中のアルティット・フォートが見える。カリマバードにはもう一つパルティット・フォートがある。フンザのミール(藩主)の居城であった砦で一時は朽ち果てていたがアガ・カーンによって修復された。700年以上前に作られた建造物の部分もある歴史的遺産でもある。街並みをさらに進むと下りとなり、眼下には点在した集落が目に入る。ガイドのイルファン君は当地の出身だから会う人会う人、挨拶を交わし、久しぶりだと抱擁をしていた。ホテルに帰る際に風邪気味なので現地での薬を買ってみようと薬局の寄る。日本のドラッグストアとは全く違って診断も兼ねた機能を持っている。リンパの腫れとか喉奥を覗いて処方をしてくれた。もらった薬はどぎつい色のサイズも大きな薬だった。イルファン君も風邪がますます悪化したようで一緒に買い求めていた。
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ホテルではイルファン君からの差し入れでイチジクのリキュールを食前酒として飲みながら食事をする。アルコール度は30度を超す強い酒だった。ここにも当地が原理主義的イスラム信仰でない自由度が表されている。イルファン君は風邪が悪化してバツーラへのトレッキングには参加しないで故郷である当地フンザで養生することになる。
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