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ヒマラヤ・トレッキング=⑯カンチェンジュンガ・トレッキング(11月6日) [カンチェンジュンガ]

チルワからプルンバへ

(11月6日)
昨晩からのマオイストの動きが気になるので、起きざま真っ先に小さな窓から外に目をやる。6時前というのに慌ただしい気配。人の話し声、咳、鶏の雄叫び、すでに早朝とは思えない状況だ。道を行き交う村人とマオイスト達。目の前にある水場と集落の外れにある水場に群れて食材や食器を洗ったりしている。しかしこの一見穏やかそうな雰囲気とは違って住民達の態度には腫れ物に触るようなぴーんと張った緊張感が漂っていた。

チルワはこの一帯の集散地というか交易の中心地らしい。朝から荷を背負ったポーターがチョウタラに荷物を載せて出発を待っている。バッティーから川上に戻るように進んで左手に曲がるとタモール川に架かる大きな吊り橋があり、奥地につながるトレイルが続いている。


バッサンにマオイストとの交渉結果を確認したが、その後特別な動きがないとのこと。当然ママンケでマオイストに支払ったドネーションの領収書があるので、それを提示するタイミングがあるはず(領収書があれば再度の請求を免除されることが多い)とバッサンに話したが、今のところ説明だけで済んでいるとのことだ。バッティーの食堂で朝ご飯をとる。宿のご主人から是非自分の写真を撮ってくれ、とせがまれた。

結局マオイストからの接触はその後もなく7時20分に出発となる。ヤレヤレだ。既にポーター達はテント場確保のために先発していた。キッチンポーターのマンバトルさん達は後片付けをして後を追うとのことでバッサンと二人だけで先行する。

下流に向かって道は二つに分かれている。右手はドプハン(730M)を経由してバサンタブルに向かう道、左手が我々が進む飛行場がある町、スクタール(2300M)に向かう。吊り橋を渡ってしばらく登りになっている。道は今までとは違って立派な作りになっている。チョータラも多く、しかもそこには屋根が付いていることが多い。当地では雨が多いのかもしれない。

8時10分一軒家の前を通過する。ナガディンの集落に入る。ここには学校がある。学校に通う生徒達が手に教科書を持って制服の紺色セーターに身を包んで歩いている。道端のあちこちに石造りの記念碑が建っている。面白い図柄があしらわれている子供の背丈ほどの大きさだ。バッサンに意味を確かめたが、多分英語に翻訳するのが難しかったのだろう、ただ死者を頌える記念碑とだけ返事してきた。天気が良いため汗だくの歩行となる。


8時15分チワの集落に入る。吊り橋を渡って一寸急な登りになる。ここでトレイルが分かれる。真っ直ぐはスケタールまで7時間、右に折れるとシンワに下るトレイルだ。来た道を戻るとタペトーク(昨日通過した集落)まで4時間という表示もあった。ここに来て道路標示が頻繁にあることが大きな変化だ。しかも、ヒマラヤにしては行程に時間表示があることだ。これは極めて希で他のエリアでは考えられない違いだ。


道も整備されて厳しい登りや下りもないが、確実に標高2300Mのスケタールに向かって登る。さすがに体は疲労が蓄積している。帰国後にテープに落とした当時の自分の声を聞いて張りが無く息絶え絶えの声になっている事からも分かる。

11時05分リンキンの集落に入る。この一帯は山岳地方には変わりがないが、なだらかな傾斜地に豊かな農業が盛んに行われている。既にリンブー族中心のエリアだが、家の造りも立派になってきた。豊かさを反映しているのだろう。11時半リンキンの集落の外れイジュン、そこにはゲートがあったのだが、その手前の広場で昼ご飯となる。

すでに外人部隊の7,8人のグループがランチ中だった。彼らは道端に腰を下ろして食事をしていたが、我々は右手にあるチョータラの裏の草地でブルーシートを敷いての準備だ。いつの間にか気がついたら6人の子供達がチョータラに腰掛けて話しながら我々の様子を窺っていた。仰向けになって青空を眺めながら食事の出来るのを待つ。餌にありつけるのを期待してかじっと座り込んで犬が待ちかまえている。


12時40分ランチを終えて出発。ゲートを出ると目の前が大きく拡がり遙か彼方にタプレジュンの町が逆光に黒く陰になって見える。スケタールはタプレジュンの上。長く伸びている稜線に沿って左手にあるが視界には入らない。この一帯の住民はリンブー族でキラート(?)というブッディストの一派を信仰しているそうだ。

2時ボエムの集落を通過する。ここにも学校がある。子供達が寄ってきて「ギブメースイート」「ギブミーペン」と後を追ってくる。ここではかなり執拗だった。バッサンが現地語で追い払うが手強い。何とか振り切って先に進む。あちこちに花が咲いている。日本の花とも共通していて懐かしい。3時10分には今日のテント場があるプルンバの入り口に着く。この辺りでは赤土が目立つ。かなりの急登が終わると学校の校庭跡らしきところがテント場だ。ここでも既に多くのテントが張られていた。我々は最後の到着だろうか。校舎跡の前にテントを張り校舎内で調理が始まる。ここは1890Mの標高。

テントを張ったところは道沿いでもあるので、現地の人々の行き来が盛んで落ち着かない。

疲れを癒すために先ずはテントに入り、汗に塗れた下着を着替えてシュラフに潜って一寝入りしていたが、行き交う人々の足音、話し声にしばしば眠りを遮られる。現地人の顔かたちに変化がある。中国人なのかミャンマー系なのか、日本人の顔かたちからちょっと遠くなった気がする。時々物珍しそうに中を覘く奴までいる。紅茶が運ばれてくて一息入れる。テントから離れようとしたらバッサンが「テントはしっかり監視しておきます」と言う。彼に理由を聞くとテントからの盗難があるそうだ。それを聞いて出るときには少なくとも出口を閉めて、そして人気を感じさせるためにランプをつけてテント内に置くことにした。

校舎跡では夕ご飯の準備進む。壊れかけた机に向かって座って夕飯だ。ポーター達と会話を交わしながらあっという間に時間が経った。

それぞれのテントに灯りが入り団欒中。校庭先にあるトイレで事件が起きていた。トイレは鍵がかかっている。有料トイレになっているようだ。状況判断が出来なかったが料金でガイドと管理人との話し合いが手こずっていたようだ。それも決着してトイレも使えることになる。天気は快晴。月もなく暗闇だ。遠くで犬の遠吠えが聞こえるがいつの間にか熟睡していたようだ。気がついたら朝だった。



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