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ヒマラヤ・トレッキング=⑰完カンチェンジュンガ・トレッキング(11月7日~) [カンチェンジュンガ]

プルンバからスケタール、そしてカトマンドゥへ

(11月7日から帰国まで)

快晴だ。西に落ちる月が美しい。7時20分出発する。今日はスクタール迄の行程なので楽勝だ(と思う)。テントサイトから一気な急登が始まる。道は集落の真ん中をほとんど直登するようにして喘ぎ喘ぎ進む。今までと違って人の行き来が益々多くなり、まさに農村風景そのものだ。日差しがさすがに強くなって一気の登りそして朝一番という最悪の条件下で歩くのは辛い。息が上がるし汗だくになるし。

8時少し前に集落から離れて、しばらくすると急登も終わりなだらかな登りに変わる。このトレイルはスルケダンダ(現地の人はダンダではダーダと発音しているようだ)の西側山腹を歩いていることになる。右手にはタモール川が遙か彼方眼下に蛇行しながら流れている。その両側には人家が点在しているのが分かる。ここはガリダンダだ。孟宗竹だろうか太い見事な竹の群生がある。そう言えば行き違う女性の服装に新しい変化があった。アオザイのような透けた薄い生地の布を肩から羽織っている。インドのサリーとも違った雰囲気だ。


8時40分集落に入る。木陰に入ると涼しい。なだらかな上り下りを繰り返しながら少しずつ高度を稼いでいる。9時半ブングクルンブの集落に入る。久しぶりにゴンパがあった。しかし、いわゆるヒマラヤ特有の立派な造りではない。チベット教の有り様が東部特有なんだろう。この点はダワさんが居ないので背景を知る機会がなかった。バッサンは道案内、その他の手配では充分機能するのだが、さすがに若い。伝統とか文化、あるいは地勢的情報などになると何も知らない。本当ならトレッカーが何を欲するのか知る勉強のためにも執拗に質問すべきなのだろうけど、お互いたどたどしい英語でやり取りするにはテーマが難しすぎる。


16才のシェルパ族の少年が教科書を手に抱えてすれ違った。バッサンが数言話しかけていたが、紺色のセーターに身を包み、真面目で優秀そうな青年だった。こんな真剣な眼差しの青年はさて日本にいるだろうか、と気になった。明確に目指すべき事があるか無いかが印象の違いを感じさせているのかもしれない。
長閑な田園地帯をのんびり進んでいくと前方にスクタールの飛行場の吹き流しが目に入った。10時50分管制塔の前を通過して集落に入る。左右に人家が並ぶ。11時ダワさんと再開し飛行場前にあるバッティーに入る。全てのトレッキング行程終了の瞬間だ。全員と握手をして感謝の意を伝える。そしてダワさんに早速搭乗の可否について尋ねた。全てOKとのこと。あとは明日の天候異変がないことを祈るだけになった。


ここには今回のトレッキングをスタートした地点でもある。草原に作られた草地の飛行場とホテル、バッティーが数件ある。若干の店もあったが駄菓子屋程度。滑走路に隣接しているバッティーに泊まる。寝室は別棟の急階段の上だ。70度近い階段には手こずった。


食堂で昼飯だ。ここはバッティーとは云っても飲み物やヌードルスープ程度しか提供していないのでキッチンポーターが食事を作ってくれた。汗で濡れた下着やシュラフなど乾かすために滑走路を囲んでいる鉄条網にかけて干す。風が強く飛ばされそうになる。さすがダワさんは手慣れたもの。捩ったり乾かすものどうしを結んだりして見事に飛ばされない状態にしてくれた。サブポーターのバッサンは隣のバッティーの2階にあるテラスで興じられているトランプを見に行った。真剣に勝負しているからだろう時々驚くほどの大声も聞こえてくる。

時間が止まったような午後だ。全て終わったという安堵感と疲労感が全身を覆っている。食堂で天窓から射す日を受けて横になって昼寝をしたり、ぼーっとした時間がどのくらい経っただろうか。

コックのダワさんが突然鶏を抱えて入ってきた。何事だろうと目が覚めて問いただす。にやにやしているだけだ。バッサンに聞いたら今晩のおかずだという。まさか!さっき冗談にバッティーの前で餌を食べていた鶏を美味しそうなご馳走とは云ってしまったが、まさかそうなるとは思ってもみなかった。鶏には申し訳ない。

後で分かったことだが、トレッキングの最終日には打ち上げをするそうだ。その時には鶏を絞めてご馳走を作る習わしとか。自分がうっかり口走った事が原因でないことを知ってホッとしたものの、目の前で生きた鶏を絞めて食材にする、日本でも地方ではあり得る風景だろうが、都会人の私にとっては生まれて初めての体験だ。

怖い物見たさに時々目をやる。さすがに首を捻った瞬間は目をそらしたが、首を切り落とし血抜きをした後熱湯を全身にかけてから羽をむしり始めた。いとも簡単に羽が抜けていく。丸裸になった鶏がさばかれる。肉と骨を仕分けていく。さて、これは何の食材になるのだろうか。

しばらく調理現場から離れて外に出る。昼過ぎにも風が強かったがますます強くなっている。しかも空には入道雲のような雲がわき上がってきた。嫌な予感だ。慌てて干し物を引き上げる。しばらくするとポツンポツンと音がし始めた。雨の音ではない。音から察するに雹だろう。

表に出てみた。空は真っ暗、遠くに雷の音そして稲妻が走り出した。風の音そして雹が落ちる音、一天俄に様相が一変した。遠雷は確実に近づいて来る。まさに嵐の様相だ。寒冷前線の通過であれば明日には回復しているはず。そうならば一過性なので飛行機が飛べるはず、そう願いたい。

気温も急速に下がってきた。ダウンを出してバッティーの台所にある炉の前に行って暖を取る。夕飯が出来たと声がかかる。食堂に行くと香ばしいカレーの香りと見事なケーキが用意されていた。そうか、鶏はカレーの具になったのだ。それにしてもこんなヒマラヤの山奥でケーキにありつけるとは。味には一抹の不安はあるが見栄えは見事。

彼らと談笑していたらまたビックリする話が出た。キッチンポーターのラメスが自分もマオイストだったと白状した。身内になんと二人もマオイスト経験者がいたとは想像外だ。
いつもならガイドやポーター達の食事は自分が終わってからだが、今晩は全員一緒の食事だ。カレーを口にした。これは美味しい。鶏から出た出汁が効いているのだろう。食欲がどんどんわき上がってくる。お代わりをしてしまった。

食事が終わるとケーキ入刀だ。ケーキの表には赤いジャムだろうかそれで「Kanchenjunga2006Nov」と書かれていた。どこで手に入れたのだろうか小さなローソクを立てて火を灯す。

先ずは自分が吹いて火を消す。入刀。みんなで分け合って食べる。美味しい。悪いけどこれほど美味しいケーキだとは想像しなかった。スポンジはチョコレートケーキ、表面は白いクリームで覆われている。その上に赤い文字が書いているのだ。ついつい頬張ってしまった。聞いてみればこの食材全てをカトマンドゥから持参したそうだ。この長い行程中、このためにずうーっと運び続けて来たなんて信じられない。本当に有り難う。皆さん

夜半には嵐も落ち着いて若干の雨が残る程度になった。明日の天候を祈ってベッドに入る。


11月8日、ダワさんだけが自分と一緒に行動する。みんなはここからバスに乗って帰路につくのだ。バスはタプレジュン(スクタールから小1時間の下り)から早朝6時に出発するそうだ。3時頃食堂に降りていくと既に帰り支度をしていた。彼らとは最後の別れになるので見送ることにする。そして未だ真っ暗な中、4時40分出発していった。いつまでも手を振っての分かれ。彼らのヘッドライトが小さく遠くに消えていった。


陽が差して東の地平線が黄金色に染まりはじめた。快晴ではないが落ち着いた天候の朝だ。外に出ると遠くの山容が激変していた。昨日は雪を被っていなかった山が真っ白に変化していた。一晩にして山の状態が激変している。改めて山の恐ろしさを実感した。振り返って自分たちが歩いてきた山はどうなっているのか気になった。ダワさんに聞くとミルギンラは大雪だろう、と言っていた。タイミングが数日ずれていたら行くも帰るも出来ない立ち往生が余儀なくされていたかもしれないと思うと運の良さを感じた。

ここの飛行場は草地に広がる軍の管理下にある簡易飛行場。待合室があるわけでもなく、ゲートがあるわけでもない。バッティーの先を登ると十数人の搭乗客だろう、荷物のチェックを受けている。厳しい荷物チェックを受けて飛行場内に入る。我々以外は一組のネパール人を除いて全員白人。ドイツ人とフランス人だ。場内にトイレが無いと一悶着。時間があると言うことで外に出る人もいた。

9時半頃だろうか遠くから爆音がかすかに聞こえてきた。歓声が上がる。ここでは確実はない。ほとんど運を天に任せざるを得ないのを知っているので上がった歓声だ。自分もホッとした。もしキャンセルになると改めてビラトナガールからジープを呼んで二日がかりで下山になる、疲れた状態では耐えられない行程になるからだ。機種は20人乗りの飛行機だ。数人の現地人と一組の白人トレッカーが降りてきた。

折り返しで10時には離陸した。草地の滑空だからどうなるのかと心配したがあっけなく離陸成功。ビラトナガールには40分弱で着く。後の問題はカトマンドゥへのフライトが取れるかどうかだ。
残念ながら簡単にはいかなかった。キャンセル待ちでダワさんが係員と交渉するが思うようにいかない。便は何本もあるというのに。カトマンドゥ、ビラトナガールはそれだけ需要も多い路線だ。

食堂で焼きそばを食べ、チャイを呑んだりして時間を稼ぐが先が見えない。飛行場から離れて周辺を散策したが、見る物もなくあっという間に戻ってしまった。

ようやく3時頃に搭乗することが出来た。夕方にはカトマンドゥに着きホテルに入る。次はバンコックから関空までのフライトの確保だ。予約済みのフライトは余裕を見て3日後にしてあったからだ。明日にはタイ航空の事務所に行って交渉をしなければならない。今時分はゴールデンシーズンなので予約の変更が難しいかもしれない。

幸いビジネスチケットだったので、翌日首尾よく変更が出来、カトマンドゥ午後発でバンコックを経由し関空に向かうことが出来た。






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コメント 2

munakata

こんばんは。
医師不足の発言は、しばらくされていないようですが、終わりでしょうか?
今が議論の時だと思います。

失礼します。
by munakata (2007-05-28 19:36) 

kenn

小学生のとき、アーサー・ランサムの「ツバメ号とアマゾン号」
シリーズを読んで知って以来、
カンチェンジュンガが気になってたまりません。
楽しく読ませていただきました。
by kenn (2007-07-22 00:29) 

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