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ヒマラヤ・トレッキング=⑭カンチェンジュンガ・トレッキング(11月4日) [カンチェンジュンガ]

ギャブラからセカトムへ

(11月4日)
昨晩の少年が気になって家を訪ねる。付添人によれば少年はポカリスエットを美味しいと云いながら飲んでくれたそうだ。そして薬が効いたのか熱も下がり多少元気になったと聞いた。取り敢えずはホッとした。でもこれから下山して医師の元に辿り着くには4,5日かかることを考えると不安になる。それまでの繋ぎに渡した薬が役立ってくれ!と祈るばかりだ。そんな私をじーっと観察していた家の女主人が「私も頭痛持ちなので薬を欲しい」と云ってきた。直感的にこれは悪のりだと判断したが、2錠だけ痛み止めの薬を渡してなだめることにした。まさかここで偽医者を演じる羽目になるとは想像外だった。

世話になった家は集落の外れでギャブラの中心はトレイルから外れた尾根に向かった上部にあるそうだ。7時20分出発。曇りの朝。開放的だが左手には深く落ち込んだ渓谷が木々に覆われて流れを見ることは出来ない。しばらくすると一気の下りとなる。幾つかの沢を越えながら吊り橋を越えるとタンゲム(2405M)の集落に着く(9時20分)。小休止。ここか
らは山腹の稜線をめがけて登りになる。天にまで伸びる道のように錯覚さえしてしまうほど足は重く、気持ちも萎えている。
この一帯にも滝が散見される。見事な景観だが不思議とヒマラヤではどれもこれも無名だ。山でさえ無名峰がある。大きな二つの稜線を越えて10時50分チョウタラを通過、対岸には段々畑が視界に入る。そろそろ集落が近い印だ。急に開放的な広がりが展開する。久しぶりに人と行き違う。地元の母娘だ。母親は背中に篭を背負っている。草の葉をちぎっては篭に投げ入れている。10才ぐらいだろうか娘はその後を追って付いていく。そして道から離れて谷川の急斜面に草をかき分けながらあっという間に消えていった。

ここはアムジロッサ(2510M)。ここで昼食になる。ここは未だシェルパ族の世界。トレイルに沿って平坦な空間があり、そこにブルーシートを広げて仰向けに体を伸ばす。その左右は畑になっていて、主として粟の栽培が行われているようだ。幸い、薄日が射して汗ばんだ体を温めてくれる。それでも多少肌寒い。広場の先には人家があり、その中からゴロゴロという音がしてきた。中を見ると婦人が石臼で粉を挽いているところだった。


12時45分出発。薄日も隠れて益々肌寒い。歩き出せば心配ないだろう。午前はアップダウンを繰り返すタフな行程だったが、午後はどうなんだろう。ガイドブックでは午後の行程が一日になっている。登りと下りの違いはあるだろうが一寸心配だ。今日の目的地はセカトム(1660M)だ。


しばらくは穏やかな下りの山腹道を進む。そして急な下りのあと、大きな吊り橋を対岸に渡る(1時40分)。渓谷は日本の渓谷を彷彿させるような見事な美を作っている。その先で小休止。2時出発。水平に近いトレイルをコーラに沿って下る。2時半サリマに着く。地図や古いガイドブックにはトレイルが右岸の上を回ってセカトムに向かうようになっているが、我々は左岸をコーラ沿いに下る。新しいトレイルなのだろう。

3時半、ダウワリに着く。対岸右前方には天井から落ち来ると言っても過言ではない大滝が見事だ。その対岸から真正面に見ながら通過し4時にはゾンギムに着く。上り下りの連続が続く。疲労が体の芯までしみこんで足元が覚束ない。それほど危険な状態ではないので何とかなるが、さすがに疲労困憊の極限だ。


ここからは渓流に沿って下るショートカットのトレイルと左手の山腹を乗越し高巻きの迂回路がある。ゾンギムに住む住民情報で川沿いの道はかなり危険で地元民だけが通るだけだと。結局はポーター達は危険だか近道のコーラ沿いに下る。私とバッサンは危険を回避するために再び急斜面を登することとなる。ジグザグの坂道を一気に上に向かう。眼下には朽ち果てた吊り橋がちぎれそうになってかろうじてコーラを跨いでいるのが見える。旧道に繋がっていた橋だそうだが、トレイルが崩壊したため不要になった吊り橋だ。

こんな夕方なのに行き違うトレッカーに出会った。白人のトレッカーとガイド、ポーターだ。トレッカーは両足切断で義足なのだろうか、覚束ない足取りながら強靱な上体で杖を使って体を支え必死に歩いて来た。さすがに声をかけて良いのか迷っているうちに通り過ぎていった。限界への挑戦、素晴らしいことだと思いながら、さてもし自分がそんな状態になった時どれだけポジティブに生きていけるのか問われた気がする。

対岸の大滝をほぼ水平位置で眺望しながら歩き山腹を回り込んだ後、一気に下りる。バッティーの先にあるコーラに架かる吊り橋を渡り対岸の山腹を再び登り詰めるとジョンギムに着く。後で分かったことだが高巻きの道が1時間強かかったのに対し、ポーター達が通った渓流沿いのトレイルは20分だったと聞いた。それを聞いたときには複雑な気持ちだったが、体の状態からすれば安全第一が大事と自らを納得させた。


私の荷物を持っているポーターがバッティーで女主と親しげに歓談していた。我々は日も落ちて暗くなっているので休むことなく先に進む。おそらくここからは下りだけだろう。そんな期待で先に進んでいたらダワさんが迎えに来てくれた。彼によればフライトの手配は出来たとのこと。先ずはホッとした。すっかり薄暗い中重い足を進めていたらダワさんから「荷物を持ってあげるから」と声がかかる。先ずは遠慮したのだが、プライドを捨てて、持って貰うことにする。

5時半にはグンシャコーラの河岸にある広々としたテントサイト、ジャパンタ(セカトムの外れ)に着く。コーラの水量は広く厚く奔流となって流れていて、話し声も遮られるほどだ。そして水の冷気で寒さが一層増幅されているように思えた。

既に谷間でもあるので早々に薄暗くなりランプだよりの活動になる。ところがテントは張られているのだが、肝心の私の荷物が来ない。さっきバティで油を売っていたポ-ターはどこに行ったのだろうか。仲間達がなにやら話していたが、困惑している風。20分ぐらい経っただろうかようやく荷物が届いたので汗で冷え切った下着を着替えることが出来た。仲間からは彼に怒りがぶつけられて散々な立場になっていた。それもそうだ。一番大事な私の荷物なのだから。彼のいい訳では間違えて上部にある集落の方に行ってしまったと云うことだったが。

ライト便りに夕食が作られる。今晩はピザだそうだ。このヒマラヤの山中でどんなピザが出るのか心配したが、口に出来無いほどではなかったのでホッとした。腹も空いていたのかもしれないが。

テントサイトにはなんと十張り以上のテントが張られていた。白人達のテントにはダイニング用、就寝用そしてなんとトイレ用がある。だから益々大所帯になってしまうわけだ。何でトイレテントが必要なんだ?自然そのものに憧れてヒマラヤに来ているなら、自然に合わせた生活を受け入れたらどうなのだろう。彼らの振る舞いには違和感というか、不快感さえ感じてしまった。白人の自己主張=個人主義は社会の中でのルールだろう。自然界には通用しない筈だ。ここに自分を持ち込むのではなく、自然の中に入り込んだ自分を探して欲しい。東洋と西洋が交わりきれない理由がここにある、と確信した。掘っ立て小屋ではガイド、ポーター達が粟酒を呑んだり、トランプに興じている。今までの自然そのものの世界から人間社会へ確実に戻っていることを実感させられた。



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