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ヒマラヤ・トレッキング=⑥カンチェンジュンガ・トレッキング(10月27日) [カンチェンジュンガ]

シンチェワ・バンジャンからママンケへ

(10月27日)
今日は金曜日、週末だ。仕事を離れて1週間経ったが、毎日余裕もなく歩き続けているのでそんな時間の経過が実感できない。6時に起床。天気は風もなく雲一つない快晴だが、どこまでも澄み切った青空ではない。わずかに白みがかった青空だ。テントの周りにはこの集落の子供達だろう。取り囲んでじっと見入っている。何を求めているのかあるいは意味無く好奇心で覘いているのか分からなかったが、ガイド達が離れるように現地語で追い払っていた。

カンチェンジュンガを求めて尾根道に向かう。日の出後の斜め後ろから日を浴びたカブルー、カンチェンジュンガがくっきりと目に入る。



よかった。ここで引き返す仲間達にとっては見えなかったらどんなに悔しいことだろう。目に焼き付けるようにカメラのシャッターを押し続ける。テントに戻ると朝ご飯が待っていた。お粥に大根のみそ汁、キャベツの醤油和え、口にしなかったがトーストもあった。ここからは私をサポートするチームと戻る3人の仲間チームはいよいよ別行動になる。チーフガイドのダワさんは今いるポーターを2隊に分割するため、新たに当地で数人のポーターを新たに加えて再編成。今まで一緒だったスベさんが別れる仲間のガイドとしてリードしてくれることになった。2人の女性のシェルパ族ポーターは3人の仲間と動くことになったのでここでお別れだ。明るく、くったくない彼女たちを思い出に残すため記念撮影する。何人かの気心しれたポーター達ともお別れだ。
こんな早くに一人旅になるとは想像もしていなかったし、無念で計画変更を余儀された3人の気持ちを思うと後ろ髪を引かれる思いで一杯だ。8時30分ポーターの荷物配分も終わりいよいよ出発。お互いの幸運を祈ってみんなに送られて出発する。尾根を一歩一歩登りながら振り返って手を振りたい気持ちもあったが、なにかそうさせない複雑な気持ちになっていた。一つにはこれが最後の別れでも無いよなぁ!という縁起も担いでいたかもしれない。今日目指す先はママンケ(1840M)が目的地。しばらく尾根を登ると右手山腹に移る。水平道路になり、ゆっくりしたトレッキングだ。しばらく行くと長閑な農村風景の中に何軒かの家々が点在している。ケセワ(1995M)の集落を通過。この一帯では粟が栽培されている。その先は苔むした石畳を一気に下り、左手からは流れ落ちる沢を渡るたびに糸を引く滝や広く薄く布のように水が落ちている滝(規模は小さいが白糸の滝のように)があったり、日本的景観の連続だ。

ヒマラヤの水は(外人にとって)飲めないと云われているが、ここなら飲めそうな環境にある。しかし、ガイドは決して飲まないでくれ、とのお達し。自重しよう。見えていたカンチェンジュンガもだんだん視野から消えていく。リンブー族とグルン族の集落が続く。集落を離れると樹林帯の中を上り下りの繰り返し。

10時木陰で休む。ふと来た方を振り返ると木の間がくれに仲間達と別れた尾根、その後の水平道路に移ったトレイルが遠くに望める。10時55分フンフン(1845M)の集落に入る。尾根を乗越したところに広場があり、そこで昼ご飯となる。ここから私一人だけの食事になる。先ずは私の料理が準備されて、食べている間に彼らの食事が作られる。見事な段取りだ。集落はその尾根上に展開している。そこはリンブー族が中心の集落。

何をするわけではなく石積みに腰掛けているご婦人もいる。ご婦人と言っても裸足で民族衣装をまとっている。リンブー族のご婦人は邪魔になるのではと思うほどの大きい鼻輪をぶら下げている人もいる。そして頭にはターバンのような布を巻いている。
12時45分出発。パーティーが2隊に別れてどんな構成になったのか確認したら、ダワさんとバッサン君、コック長のマンバトルさん、下準備をするダワさん(ガイドのダワさんとは無関係、出身地が一緒だそうだ)、皿洗いのチキリ族のラメス君、ポーターが4人だった。王様気分だ。でもカトマンドゥ入国から出国までの総コストは沖縄一週間より安いとは誰も想像できないだろう。山好きな日本人にとっては大変幸せな国だ。
しばらく登ると再び段々畑の広がった集落に入る。アンファンだ。軒先を通過したり、道もトレイルから分岐して幾つにも人家に向かう道が枝分かれしている。それぐらいなだらかな傾斜地に広がった集落だと云うこと。気がついてみたらいつの間にかトレイルから外れて人家の方に紛れ込んでしまった。ガイドが農作業をしている人に尋ねてルートに戻る。険しい山道ではほとんど間違うことはないのだが、集落が広がっている所では紛らわしい道が幾重にも交差している。
1時35分小尾根を登ったところにあるチョータラで小休止。ここからはジャヌー(7710M)、カンチェンジュンガ、カブルーが見えるはずだが、雲の中で見ることは出来なかった。
アンパンの村を通過して先に進む。

赤い小さな旗がはためいているのが目に入った。マオイストの旗だ。マオイストがこの春から政権に参加したのだからまさか以前のようにドネーションの要求はないだろう。でも不気味な旗が一寸気にかかる。遙か彼方遠く下に見えるカベリコーラの対岸に別のトレイルが見え、それに沿って小さな集落、ペタンの町が見える。そこはタプレジュンとは違ったアプローチでイラムから続くルートだ。ママンケでこの道と合流する。しばらく水平道を進み、尾根を乗越したところで小休止。通り過ぎる婦人にガイドが声をかけてなにかと話が弾んでいた。知り合いでもないのに彼らは人なつっこく地元の人と話すのだが、実はガイドもそうこうしながら地元情報を収集しているようだ。確かに、通信手段がないので、人伝えにしか現場の状況は知り得ない。例えば大雨でトレイルが崩落でトレイルが遮断されたり、橋が流されてルート変更があったりと言う情報は伝わらない世界。そんな世界では地元の人が唯一の情報源になるのだ。
彼女はここからつかず離れずでガイド達と談話を続け、しばらく沈黙があったり。道は大きく左に曲がると小さな集落がある。2時半ポンペダダだ。そこからはトレイルは大きく左に回り込みながら深く切り込んでいるカセワコーラに向かって一気に約300mを下降する。カセワコーラの対岸上部には目的地のママンケの集落が視界に入るが、この下降とその先の急登からけっして楽ではないことが想像される。苔むした環境にはアンジュ(?)=茎が背丈まで伸びて里芋のように大きな葉を張っているおそらくタロイモの一種と思われる=が栽培されている。根を揚げたりして主食にするようだ。
3時15分カセワコーラにかかる吊り橋を対岸に渡る。つかず離れずの彼女はサンダル履きで手に荷物を持っている。まるで我々が近くのスーパーに買い物に行く姿と何も違わない。自分は息が上がる寸前なのに何故スタスタと歩けるのだろう。羨ましいというか、憎らしいというか、複雑な気持ちだ。
緑の豊富な山道を喘ぎ喘ぎ登る。少しずつ傾斜が緩くなってきて、段々畑のある中を一歩一歩高度を上げていくと平坦になり、4時5分大きな集落ママンゲに入る。トレイルのちょっと下にある平坦な場所に下りるとテント場だ。牛と犬がそこを陣取っているので彼らを排除することから始まる。鶏も餌を啄んでいた。

すでに陽は傾き、陽が落ちると汗ばんだ背中や腰が冷えて、身体全身に寒さが伝わっていく。すぐに着替えをして身体の冷えを避けなければ。ふと冷静になって今までのトレッキングを振り返るとアップダウンの繰り返しが予想以上、冬とはいえ亜熱帯の2000M前後の高度を登ったり下ったり。エベレストなどのメジャーなコースでは長大な吊り橋で川を渡ることが多いのに、当地ではほとんどが川面まで下りて稜線まで登る繰り返し。しかも不思議と登りでは燦々と陽を浴びながら汗だくで登り、木陰の涼しさを感じながら下るという連続だ。こんなにタフなコースだから秘境であり続けているだろうが、いい加減にして登り続けてくれ!と叫びたくなる。
テントで一人ぐったりと横になっているとガイドのダワさんがこっそりと声をかけてきた。やはりマオイストとの出逢いは避けられなかったのだ。さっき目に入った旗がその象徴だったのか。ダワさんからは彼の要求は5000ルピー(約9000円)とのこと。ダワさんの指示で、私は日本語しか話せない、金はカトマンドゥに置いてきた、手持ちは1000ルピーしかない、との下打ち合わせでマオイストの登場をテントで待ちかまえる。ところがマオイストはダワさんのもとを離れてフランス人夫婦が泊まっている下の小屋に移動して行った。緊張した時間が経過したが、その後彼は姿を消し、私は食事を取る。一件落着とは思えないので今後の展開には不安が残ったが、少なくとも今晩はこれ以上の展開はないようだ。テントから谷の向こうを見るとヘッドランプが移動するのが見える。昼に見たカベリコーラの対岸にある道を移動している人達なのだろうか。夜中に犬の競り合う鳴き声とテントの脇を走り抜ける足音に何度が目を覚ましたが、疲れから直ぐに熟睡してしまった。(帰国後に狂犬病で死人が出たと聞いてゾッとした。犬好きな人間なのでついつい手を出してしまうのだが、要注意だ)


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