SSブログ

ヒマラヤ・トレッキング=④カンチェンジュンガ・トレッキング(10月25日) [カンチェンジュンガ]

タプレジュンからカリ・カルカへ

(10月25日)
昨晩は10時過ぎに就寝。相変わらずディハールの賑わいで睡眠を妨げられることもあったが、気になりながらいつの間にか寝込んでいた。タプレジュンは多くの部族が混在している町。リンブー、シェルパ、グルン、ネワールそしてチベタンなど。彼らはそれぞれがまとまって居住していると云うことではなく混在して住んでいるそうだ。

7時には出発、といってもここでは食事が取れないので本日から我らクッキングチームの手作りの食事開始となった。彼らは離れたバッティーにいるのでジープで移動することになっていたが、その肝心のジープが寒いせいかエンジンがかからない。荷物は車に預けて移動する。タプレジュンは標高1780M。さすがに朝方からの冷え込みが実感された。
昨晩の暗闇で実感した町のイメージよりかなり大きな町であることが歩いてみて分かった。バスプールを右手に見ながらその先を左に曲がった先にあるバッティーで久しぶりにコック長のマンバトルさんと再会する。彼は残念ながら英語、ましてや日本語は話せないけど、とても良い勘をしているので日本語とネパール語での意志疎通が出来る人。性格が明るく気が良く回る人だ。彼の腕はガイドのダワさんによれば日本人の好みが分かっているので、あなたのデリケートな胃袋にも対応できると太鼓判だった。
期待通りの朝ご飯を終えて、8時50分いよいよトレッキング開始となる。普段着の儘の子供連れのカップルがまるで小走りで追い抜いていった。雰囲気はまだまだ長閑なハイキングコースというところ。しかし、歩き始めでもあり、斜度もそこそこあるし、陽が昇ってきたのでしっかりと汗をかいてしまった。タフな登りだ。11時にスケタール(2300M)に着く。

そこには飛行場がある。といっても舗装された滑走路などは見あたらない。フラットな草原、若干傾斜している気がするが鉄条網で遮断されているのと、吹き流しがはためいているので飛行場だと云うことが分かる程度だ。バッティーの隣の空き地で昼飯だ。シートを広げて食事の準備が始まる。先ずはホット・オレンジジュース、チベタンブレッドにキャベツのコールスロー、オイルサーディンなどなど。数人の白人トレッカーが目に入るが、他のトレッキングルートとは比較にならないほど静かな環境でのトレッキングが楽しめそうな気配だ。
1時には今日の目的地ラリ・カルカに向けて出発。町はずれで帰路ルートになるティルワからの道(左手)と分岐する。しばらくは広大な広がりの空間を長閑に進む。

ほとんどハイキング気分の連続のまま、1時45分には標高2500M地点、デオラリ・バンジャン(バンジャンは乗越だろうか)に着く。スケタール・ダンダ(ダンダは尾根か)を越えてそこから谷に向かって下りだ。下り登りを繰り返しながら少しずつ高度を下げていく。2時25分チョータラ(腰の高さの石積みがあってそこに腰掛けて荷物を置いて休憩する場所)を通過。
今回のチーム編成に触れてみたい。カンチェンジュンガは全てテント生活が前提、食事も全て自炊となるので総勢13人のネパール人が仲間だ。先ずはガイド、サブガイド2人、クッキングポーター4人、6人のポーター編成。我々は総勢4人だが、途中で3人の仲間は下山するため二手に分かれることも大編成になった理由。しかも、実際にはクッキングポーターやポーターは幕営、食事の準備のために我々より先行して移動するので、身近にはガイドだけが我々の前後を固めてくれることになる。大編成を実感することにはならない。2時50分にちょっとした広がりのあるところで休憩。
尾根の中腹をずうっとトラバースするので沢が近づくと水面まで急降下、沢を石伝いに渡ったりあるいは丸太橋を渡って通過。そして直ぐに高巻いて急登の繰り返しだ。緑も多く、水も豊富なまるで日本の山を歩いている気分だ。私は2台の重いカメラと交換レンズを背負っているので重く肩にのしかかってくる。標高はそこそこだが、亜熱帯、強い日差しに玉の汗がドドーと額、襟足に伝わり、そして目にまで入って滲みてくる。汗を拭うだけでも負担だし、身体も消耗する。仲間の一人が急に体調を崩し一寸心配だ。彼はいつも元気で一番先を歩いているのだが、列の後になることが多くなって元気の無さが気にかかる。4時過ぎに乗越を越えると少し下った先でカリ・カルカの2軒の小屋が見えた。今晩はそこがテント場だ(標高2300M)。4時20分に着く。

トレイルを挟んで小屋の反対側に平坦に整備されたテント場がある。カルカは牧場という意味。この一帯は緩い傾斜の牧場だ。といっても冬場なので数頭の牛しか視界に入らない。3つのテントが張られる。我々のテント2つとガイドのテント。他の仲間は風が吹き込むような掘っ立て小屋に雑魚寝だ。日中は暑いとはいえさすがに夜は冷え込むのに大丈夫だろうか。これから高度を上げていって彼らはどのように対応するのだろうか。一抹の不安が過ぎる。稜線の向こうにカンチェンジュンガのピーク、バディボラ(?)が夕日を浴びて見える。
体調を崩した仲間が心配だ。食欲がない。怠いらしい。早々にテントでシュラフに入って身体を温め、喉を通りやすいスープとお粥で体力の維持を図る。ところが途中で嘔吐する事態となり緊張する。まずは体調の回復を祈るだけだ。我々3人はテントで食事をしながら明日からの対応を考える。回復すれば問題ないにしても、スタートしたばかりでの体調後退は気掛かり。多少無理をしても先に進むか、リスクを避けるために後退するか、いろんなケースを想定して議論する。いずれにしても彼の翌日の体調を見てと言うことになった。
もう一つ気掛かりがある。スタートから既にスケジュールがずれていることだ。ジープに要する時間が一日の筈が2日がかりだったり、今日の目的地もカリ・カルカの先のシチェワ・バンジャンだった。しかも仲間の体調不良が重なってリスケが必至となった。私は予定に余裕を持って来ているので問題ないが、途中で帰る仲間にとっては一日の遅れだけでも致命的だから深刻だ。ガイドに事態の先行きについて考えを聞く。彼の顔も勝れない。結論はジープで想定外に時間がかかってしまった為、3人の予定を完遂するのは既に不可能との判断だった。一日の歩行時間を長くするとかで対応は出来ないか、との問いに対してはポーターの負担が大きすぎるとの判断。確かに我々は手ぶらで真っ暗な中をヘッドライトで歩行も不可能ではないにしても、食事の用意、後片付け、幕営の準備など考えるともっともだ。
ではどこまで先に進んで引き返すか、が議論になる。結局、仲間の体調もあるので明日は可能ならシチェワ・バンジャンまで進み、カンチェンジュンガの眺望を満喫して引き返すと言う結論になる。私はどうするか悩んだ結果、単独で先に進むことで自分との葛藤を整理する。何故なら、体力との戦いで今回のタフさは想定以上で少し自信がぐらつき始めていたし、企画首謀者である自分だけが計画に沿って進み、仲間は楽しみにしていた計画が挫折すると言うギャップがとても堪らない。しかし、自分が仲間と歩調を合わせたところで、彼らにとって何の役に立つわけではない。私はそうならば2度とない機会を生かすことで予定通り自分の計画の達成を目指そう。それが結論だった。なにか痼りを残しながらの就寝となる。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。