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ヒマラヤ・トレッキング=③カンチェンジュンガ・トレッキング(10月24日) [カンチェンジュンガ]

イラムからタプレジュン

(10月24日)
6時15分に出発。昨日同様ホテルには賄い人が居ないので朝飯抜きでの出発となる。再びおんぼろジープに乗り込む。イラムのチョーク(広場)にはすでにビラトナガール方面行きのバスが待機し乗客が列を作っている。
次の大きな町はフィディム。6時35分フィディムまで63KMとの表示があった。7時15分標高2000M地点の平坦な所をひた走る。フィディムまで43KM地点。集落付近を通るとしばしば鶏や犬が道を過ぎったり危機一髪でお互い交わすシーンが続いたが、ついに一羽の鶏を跳ねる羽目となる。運転手は車を停車させ、飼い主とおぼしき人間となにやら話が始まった。結局は500ルピーの弁償金を払って手打ち。我々から見るとどっちが悪いと簡単には判断しかねたが、これはネパールでの約束事なのだろう。いずれにしても命を落とした鶏には申し訳ない。 しばらく行くと右手遠くに白く雪を被った山並みが目に入った。2420M地点、車を止めて見入る。正面にはカンチェンジュンガ、左手にはマカルーの連山が浮き立っている。こんな早く目的の山を拝めるとは思っていなかった。
その地点を過ぎると舗装も終わり、舗装準備段階の砂利道となる。平坦に均されているので乗り心地には変化がない。しかし、それもつかの間、すぐに岩が不規則に突き出た道になり、右に左に身体が振られてしまう。うっかりするとドアのガラスに頭を打ち付けそうになってしまう。8時50分眼下にフィディムの町が目に入る。高度を下げて町に近づく。9時15分にネパール軍の検問。ただ、我々トレッカーに対してはなんの検問もなく、先に進むように指示される。しばらくするとフィディムの町に入る。ここはリンブー族の町。
ここで朝食となる。といってもここでも大した食堂はなく、ガイドが漸く探し当てたローカルな食堂でヌードルスープ(日清の現法が製造したインスタントラーメン)とビスケットで腹ごしらえ。というかそれ以外の選択は出来なかった。道中での腹ごしらえにバナナが好評だったので、当地でもバナナを買い求める。値段は不思議と変わらない。
フィディムは標高950M、10時45分フィディムを出発。当地から再び切り込んだ深い谷に向かって下っていく。あっという間に標高500mレベルまで下り、再び登りに転ずる。11時55分には再び尾根を横切る950M地点を通過。振り返れば谷底の対岸、丁度対面するところにフィディムの街が未だ見えた。突然牛の集団に先を塞がれる。車もさすがに立ち往生。ガイドによればこの牛はダージリンに向けて移動中。牛の運命は売られるための道中。その運命も知らずに長閑に行進していった。
1時一寸前にザルパの町を通過。久しぶりに人の波をすり抜けるようにして先に進む。それにしても道は完全に未整備のただただ切り開いただけのどうにか走行できる状態だ。乗っていて右に左に振られておちおち座ってはいられない。

1時25分、人でごった返ししているバスタールの町を通過。標高は1995Mだ。16時バッティーで一休み。コーラが前方に勢いよく流れている。川魚の日干しが店頭にぶら下げられている。出発すると直ぐに吊り橋を渡って、再び対岸の急坂を登り始める。すでに道は暗くヘッドライトが点灯された。一瞬何かに乗り上げた感じでエンスト。運転手はエンジンを点火し半クラッチで繋ごうとするがどうしたことか後退り。真っ暗闇の中をかなりの勢いで(動揺しているのでそう感じたのかもしれないが)後退した瞬間はペアピンカーブの連続だったから断崖絶壁を一気に落下するのかと生きた心地がしなかった。幸いそんな事態になる前にクラッチが繋がり前進を始めた。よく観光地に向かうバスや飛行機が事故に遭遇し、悲惨な結果になったとのニュースを聞いているが、ヒマラヤに来ることの最大のリスクがトレッキング前後の交通手段にあると改めて実感した。

暗闇をひた走り、ビラトナガールから丸1日半経ってようやくタプレジュンの町に入る。ここがトレッキングを始める町。近代文明の最終地点。この先には電気、道路、電話などとは一切関係ない日本で云えば明治維新前に突入だ。町の入り口にはバスターミナルがあって明日の早朝出発を待つ5,6台のバスが待機していた。当地入りするほとんどのトレッカーはバスで入山するらしい。ほんの一部がスケタール飛行場(ここから3時間登った台地にある飛行場、今回のルートはそこを経由して始まる)に降り立つとか。我々も飛行機の利用をトライしたが、ガイドの判断で陸路になった。

今晩の宿は町はずれの宿。ここで先発のサブガイドのバッサン君とキッチンポーター達、コック長のマンバトルさん(バッサンとマンバトルさんは昨年のゴーキョにお供してくれた知り合いだ)他2名と合流するはずなのに、我々が泊まるロッジには不在だった。取り敢えず、我々はロッジで夕食を取るはずだったが、ここでもデハールのためダルバート、カレーぐらいしか用意されていない。 ディハールはネパールの新年の祭りだ。客を持てなすより祭りに興じることが優先している。ガイドのダワさんはポーター仲間達の所在を確かめるために出ていった。こんな真っ暗な町で宛もなく探すなんて出来るのかと疑問に思ったものの、さすがに彼らの嗅覚には感服。居所を探し当てて戻ってきた。彼らは翌日出発するルートのスタート地点のバッティーにいた。


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