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ヒマラヤトッレキング・・⑥RENJO LA越えでゴーキョへ(エベレスト,ローチェ、マカルー、チョオユー) [ゴーキョー]

10月28日(金)ターメからランデンへ

いつものように6時前に目が覚める。外に出たが高曇りで今日も快晴は絶望かと思っていたが、徐々に雲も切れて時々雲間からタムセルクのピークが見え隠れしていたが、7時の食事時にはタムセルクがすっきり見えてきた。今朝はチベタンティーを所望した。塩とヤクのバターがほどよくミックスされた美味しい紅茶だ。それにフレンチトースト、ゆで卵と日本から持ってきたポタージュのメニュー。チベタンティーは一寸こってりだが栄養があるし、塩味がさっぱり感を与えてくれる。1メートルぐらいの筒に材料を入れて棒で中身を突きながら攪拌して作られる。この道具がなんと高価だそうだ。ほとんどがチベットからの輸入品とか。 7時50分食事を終えていよいよ出発。絹雲が高曇りの下を走る。ただ、ラムディン・ヒマール方面の山々は稜線を覗かせていた。同宿した日本人が向かうタシ・ラプチェ・ラ(5755m)方面は相対的に視界良好。ロッジの前で全員の無事を祈りながらの記念撮影。その頃には日差しも差してきた。

ロッジからは右手小高いところにあるゴンパを目指してそこを左手にまず直登、そしてトラバースするように右手に向かう。しばらく行くとボテコシの流れが右手に見えてきた。すぐに身体が温まり汗だくだ。河原に向かって下りる。丁度ヤクのキャラバンと行き違う。河原に下りてからは広がりのあるなだらかな上りを一歩一歩進む。時々草の塊が秋の余韻を残して赤茶けている、全体的には殺伐とした荒涼たる世界だ。8時10分再び小さな集落に近づく。スチューパもある。ここもターメの集落だ。進行方向正面には真っ白なドーム状の山が際だっていた。そこは既にチベット。もう少し足を進めるとチベットの世界だと聞くと、いよいよネパールの辺境に来た実感がわいてくる。改めてエキゾチックな気分に浸ってしまう。

突然後方からドドゥっと重々しくも激しい音がしたので振り返ると、チベット人なのかこの地方の人なのかヤクを操って走って近づいて来るのが視界に入った。ヤクがおっとり歩く姿しか見ていなかったのでその迫力には圧倒された。映画「キャラバン」で砂埃を上げて走るヤクのキャラバンのシーンが思いだされた。

集落に入る。このあたりはカルカ(牧草地)の囲いが無数にある。そしてヤクがあちこちに放牧されていた。この乾期には生き生きとした草木はなく、枯れ草というか根っ子だろうかヤクは食むでいる。ほとんど平坦な道を前進。うす紫色のリンドウが群生して咲いていた。といっても生気があるというよりドライフラワーのようでこの寒さの中で寂しげだった。

8時40分ボテコシを対岸に渡る。トレイルはほとんど水面近くにあるので木橋だ。対岸は抉られた崖状になっていてそこを上ったところにルートがある。ところが渡りきったところで上の方から人の声がして、なにやら叫んでいた。ダワさんとのやり取りがしばらく続く。結局道とその先の橋が洪水で流されて崩壊しているが伝えられる。やむを得ず元に戻って直進をする。

ボテコシ沿いに右岸を上流に向かう。多少の上り下りはあるがほんの少しずつ高度を稼ぐ程度だ。9時5分チョウタラで小休止。標高は3810m。10分には出発。右手にはタムセルクがシルエットになって、進行方向左手にはずーっと見えていた真っ白い雪を被ったドーム状のチベットの山が見える。さすがにここまで来ると息が上がるので頻繁に休みを取る。渓谷も両側から山が迫ってきた。20頭近いヤクのキャラバンがチベットを目指して後を登ってくる。確かナムチェのバザーは確か今日と明日の筈だが早い帰国は何故か、とダワさんに確かめると、きっと早く商談を終えたのではとのことだった。幸運な人たちだ。その姿をカメラに納めようとレンズを向けると素振りなので正確ではないが、どうも被写体になるならお礼を欲しい、と言う雰囲気だった。チベット人の姿も入れて撮るつもりだったがトラブルを避けるためにレンズはヤクだけに向けて、早々とヤクの群れから離れる。

対岸には聞いたとおり、道が崩れ橋桁だけが残った残骸が見えた。8時50分左手から流れ込むコーラに架かる吊り橋を渡る。9時50分ボテコシはますます山が迫りV字状の谷を形成している。急登があるとしばらくは平坦な道、それの繰り返しだ。10時過ぎになると急に渓谷は広がりを作り、あちこちにカルカの囲いが現れる。雨期にはきっと牧草が一面に生えそろい、沢山のヤクが草を食むでいるのだろう。今では対岸にあるカルカに数頭放牧されているのが見えるだけだ。

10時20分タルンガに着く。といっても一軒だけある掘っ立て小屋のバッティだ。街道沿いにはカルカがあり、夏場には番屋として使われる小屋が所々にあるが人っ気がない。ここのバッティーは大した食事は出来ないそうだ。結局、インド製のニッシンラーメン(ヌードル)とビスケット、チャイで昼飯代わりだ。どうしたのかやけに腹が減った。追加注文でラーメンをもう一杯頼む。日清ラーメンはヒマラヤでは極めてポピュラーだ。インド製ではあるが日本の味と一緒。ヌードルスープとしてどこのバッティーでもメインのメニューになっている。ここは4000m。10時40分出発する。引き続き石ころだらけの道を進む。石積みに囲まれたカルカが続くが人気もなく、ヤクもいないのでまるで廃村のような雰囲気だ。曇った空そして冬という季節のせいが一層荒涼さが強調されている。

足元を見ながら歩いていたら一匹だけ蟻が歩いている。こんな寒い地域で何故だろう。冬眠しそこなったのだろうか不思議でならない。12時過ぎ再びボテコシは狭くなり、トレイルはその崖を水平に移動する。そして再び広がりを持ったエリアに出た。ここがマルルンクの集落だ。ここは定住地というより定住村の出先として夏場を中心に生活の場になるエリアだ。人っ気もなくロッジらしき家もない。当初の予定ではここで泊まるはずであった。泊まるとしたらどこなのだろう、と思うほどだ。ヒマラヤでは情報は糸電話の世界。メジャーな地域ならいざ知らず、一寸外れになると人伝えでしか情報が伝播しない。必ずしも正確な情報とは限らない、それを実感した。ここに限らないことだが・・・・・。
12時20分レンジョパス・サポート・ロッジ(4350m)の看板のある前を通過。12時40分ボテコシに架かる木橋を渡って左岸を上流に向かう。一気に崖を登ると道が二手に分かれている。真っ直ぐはチベットに向かうナンパラ峠へ、そして右にとると我々の目指すレンジョ・ラだ。今晩泊まるランデンはその途中になる。

さっきから強風が吹いてきた。その上天気も曇っているので肌寒い。石がゴロゴロとしたガレ場を右手に振りながら登る。ボテコシがだんだん眼下に移る。そしてチベット街道はボテコシに沿って続くので、だんだん我々からは遠離っていく。レンジョ・ラ方面は雲に覆われているが、チベット方面の山は視界に入り、後方の山も雲間からのぞく。カルカは引き続きあちこちにある。1時40分漸くランデンのロッジに着く。ここは4400Mの高度だ。さすがに息も上がり、高度による寒さ、そして曇天なので肌寒さが身にしみる。直ぐにダウンを取り出し身体を温める。

先ほどマルルンク近くで看板を見たレンジョパス・サポート・ロッジがじつはここだった。やはりマルルンクにはロッジはなく、現在ではランデンにあるこのロッジが唯一のロッジであることが確認できた。こんな奥地なのにこのロッジは瓦屋根で窓は二重窓、その上トイレ付きの寝室になっていた。2年前に建てられたそうだ。

5時まで部屋で休憩。そして食事だ。ここまで来たら胃の具合が再び下降気味。高度障害か胃の疲れか、全員体調不良。夕ご飯はダワさん達の気配りで作られたみそ汁と果物のデザート、他にレトルトのお粥、さんまの蒲焼き、ミートソースを4人でシェア。それも漸くの思いでこなした感じだ。体調不良も高山に来た証。下界ではタフを誇る面々も下痢気味で食欲不振になってしまった。自分も昼のラーメン二人前が堪えたのか不覚にも一気に体調を崩してしまった。これからの最大の難関を前にして先が心配だ。窓からは数え切れない星の輝きが部屋を差す、知識がないこともあるが星座の識別が出来ないほどだ。明日の天気を約束してくれているならいいのだが。


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コメント 1

マンゴー

“ヤク”が登場!!
鹿みたいなのかと想像していたけど、全然違いました・・・
ヤギのような小さくした牛のような・・・・

ダウさんの心遣い、すばらしいですね。
辛い時は、心にしみます。

私も沖縄のおばあちゃん家に行った時に見た
数え切れないほどの星を見た時
感動したのを覚えています。
それとは、比べられないほど多くの星なんでしょうね。
by マンゴー (2006-03-27 02:01) 

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