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ヒマラヤトッレキング・・③RENJO LA越えでゴーキョへ(エベレスト,ローチェ、マカルー、チョオユー) [ゴーキョー]

10月25日(火)  パクディンからナムチェバザールへ

夢の中でか雨の音を聞いた気がしたが、起きてみたら見事な快晴だ。6時に起床7時から朝食。日本にいるときから風邪気味で体調が今ひとつだった。未だ尾を引いているので体調悪化だけは避けなければならない。早速朝ご飯から日本的食事メニューにする。魚肉ソーセージにゆで卵、みそ汁、ご飯にお茶づけ海苔を振りかけて済ませる。ソルトティー(チベタン・ティー)を飲んで出発の準備だ。出発前に買い忘れたトイレットペーパーを買いに近くの店に行く。35ルピーだった。ダワさんによればホテルで買うと50ルピーとか。

7時55分ロッジを出る。対岸稜線上にゴンパがある。その後には岩峰が聳えている。しばらくパクディンの集落が続き道が細くなった登りの左手先にはドートコシが眼下に流れている。吊り橋を8時5分渡るとそこもパクディンの集落の延長だ。右岸川沿いを上流に向かうと25分ザンフテの集落に入る。燦々と降り注ぐ太陽に冬というのに汗だくになってきた。35分我慢できなくなって長袖を脱いで半袖姿になる。左からナンプデテンガコーラが入り込んでいる。小さなコーラに木橋が渡されている。前方タムセルク方面はガスの中だが、少しずつガスも薄くなりそうな気配。8時40分トクトクの集落に入る。この一帯には日本で云う黒松が鬱蒼と茂っている。9時15分前方にタムセルクが見え始める。

エベレストを訪れるトレッカーにとって初めて目に入る雪に覆われた見事な単独峰で印象的だ。最初にヒマラヤを訪れたときここでヒマラヤを実感をした感動を思い出した。しばらくするとベンカールのロッジがある。小屋の主はドイツ人で、シェルパ族の妻と営んでいるとか。



確かに普通のロッジとはひと味違う小じゃれた雰囲気を持っている。ここで一休み。丁度、目の前を数十人の子供を中心としたチベット人がナムチェに向かって移動してきた。現地の人と区別がつかず、ダワさんに言われる迄チベット人とは気がつかなかった。年齢は小学高学年から中学生くらいか。引率する大人がいるが、確かに異様な雰囲気ではあった。子供の中にはバッティーのビスケットに目がいき、買い求めようとしていた。ところが彼らとは店の人も会話が通じない。子供はチベット語しか話せないので店の人は電卓を使って値段を示していた。しかし、子供達にとっては大金だったのだろう、恨めしそうにそこを去っている姿には気の毒な、でもどうしようも出来ない状況に感傷的な気持ちになってしまう。彼らはガイドによればインドを目指すそうだ。チベットからネパール入りは容易いのだが、ネパールからインド入りする時には厳しいチェックがあるとか。ダライラマがインドに亡命しているのでインドを目指すのだろうか。でも彼らにとってこの先には沢山の障害が横たわっているらしい。脱国かもしれないと思うと、彼らのこれからがどんな生涯になるのか想像するだけでもやりきれない気持ちになってしまう。

9時45分ベンカールハウスを出る。ジリを目指すポニーキャラバンと行き違った。ソルクーンブではほとんどがゾキョに依存しているのでポニーは珍しい。10時には左岸に渡る吊り橋を通過。タムセルクのピークは稜線の陰に隠れて見えない。前方にはチョモアの集落が見えている。10時20分そこで一休み。この一帯は多少広い耕作地に恵まれていて葉物や蕎麦、トーモロコシ、イモなどが耕作されているそうだ。葉物はこの冬でも未だ栽培されている。しばらく急な下りを降りるとモンジョ・コーラを横切る。日本の里山にある懐かしい景色に近い。

表で遊んでいる子供達から声をかけられる。ナマステ!と声をかけたら、なんと“こんにちは“と返ってきた。なぜ日本人であることを認識するのか不思議だが、それだけ日本人のトレッカーが来ている証拠だ。歩いていて外人の数に比べて日本人はほとんど出会わないと思っていたが、世界中の白人イコール外人と一括りにしてしまうけど、実際は国別にしたらまちまちなのだろう、そう考えれば日本人が少ないという事はない。しかも、アジア人では圧倒的に日本人が多く、偶に韓国とか香港チャイニーズが来るという感じ。

いつの間にか集落はモンジョ(2840m)の集落に入っている。前回来たときにはここでランチをとった。今回はそのまま国立公園事務所に立ち寄り入山チェックを受ける。手続きはダワさんにお任せ。多くの入場手続きを待っているトレッカーがいるので少々時間が掛かったが11時には終えて出発。

ゲイトを潜っていよいよ国立公園内に入る。ここから一気の下りで再びドートコシに向かう。そして下りきったところで対岸に渡るとジョサレの集落だ。前方にクンビラ(5761m)の山が見えてきた。ナマチェの北方にあるシェルパ族の集落クムジュンの奥にある山だ。
世話になっているガイド・ダワさんはガイドとしての政府による資格認定を受けている。正式にはその資格がないとガイドは出来ないとのことだ。資格取得には3ヶ月間の講習と15,000ルピーの登録料が必要になるそうだ。彼らの生活を考えると決して容易いことではないが、だからこそ資格を持っている事の意味もあるのだろう。ダワさんは証明写真付きの資格証を見せてくれた。

11時25分ジョサレ(2740m)の中央にあるロッジでランチになる。細い街道筋に軒を連ねた旅籠宿のような雰囲気に一寸タイムスリップした気持ち。12時45分ランチを終えて出発。強い日射しに汗だくになった午前中とはうって違って高曇りになって肌寒さを感じてしまう。ここからは見事なタムセルクが眺望できるのだが、今日は無理のようだ。

12時50分対岸に渡る。以前は水面近くにある小さな吊り橋であったが、対岸上部に長い吊り橋に掛け替えられていた。13時半ボテコシとの出合の直ぐ上流にあるドートコシに架かる吊り橋を渡る。ここからがナムチェに向かう最後の急登だ。吊り橋からの景色はとても高度恐怖症の人には耐えられないほどの高度感がある。

そこをゾキョは荷を背負いながら不規則に揺れる橋をたじろぐことなく渡っていく。しばらくゾキョが渡りきるのを待機してからいよいよ我々の順番だ。対岸の尾根を先ずは左に巻きながら急登が始まる。まだ木立のなかの登り、一歩一歩足を運ぶ。13時55分一休み。前回の記憶ではこの登りは大変タフだった。九十九折りの道が続く。精一杯のペースではなく、無理をせず七分目のペースで登ろう。2時15分一寸フラットな空間にチョウタラ(一休みするために積み上げられた石棚=3150m)があり、多くのトレッカーが一息入れている。我々も休憩だ。天気が良ければ木の間からエベレストとローチェが望めるはずだが今日は雲の中。

14時30分出発。パッサンは我々より先にナムチェに向かった。その理由は今日のようにハイシーズンになるとトレッカーが多いためガイドの予定するロッジの手配が出来ない事があるそうだ。なにしろ電話とかメールという通信手段が使えない世界。自分の足だけが頼りなので、一刻も早く着いて部屋を手配するためだった。たしかにダワさんの気配りは行き届いている。普通なら着いてからの段取りでも許されるのだが、我々にベストなロッジを手配しようという配慮が嬉しい。改めて彼のガイドとしての素晴らしさを実感した。

14時50分、直登から稜線に沿って左手をなだらかに上を目指すトレースになる。いよいよ目的地が近いことを感じる。15時過ぎにはネパール軍の検問を通過。

彼らはとてもフレンドリーだ。写真を撮りたいとの依頼に快く応えてくれた。15分ほど先に進むとナムチェバザール(3440m)への入り口をガードしているカンニを通過。いよいよシェルパ族の最大の街だ。ガスがかかって街並みを眺望出来ないが、ストゥーパが浮き上がって見える。しばらく石段を登り詰めると賑やかな店の建ち並ぶ中心地に入る。15時半だった。 登山関連のグッズ、日用品、チベット教に係わる道具、Tシャツや写真などのスーベニールそしてネットカフェ等の店が軒を狭しと並んでいる。石畳の中を先に進む。

15時35分ロッジナムチェに着く。当地一番のロッジとか。レストランと寝室が別の入り口になっている。右手にある入り口から3階迄上り部屋に入って一休み。ここではソーラシャワーが利用出るが、風邪気味なので自重しなければ。これから先ではシャワーを使えない環境になるので入りたいのはやまやまだったが我慢だ。買い物に出たい友人と一緒に街に出る。外人がこんなに居るのかと云うほど別世界を感じる。

18時部屋からレストランに下りて夕食になる。食事が自慢のレストランだとかダワさんの話、これから貧しい食生活に移る前の贅沢をしよう。各自ラムステーキ、チキンステーキ等好みの注文をする。そしてラザニエとマッシュルームスープを頼んだが、相変わらず体調不良のせいか食欲が無く、かなりの量を残しそうになったので、ガイドやポーター達にも手伝ってもらう。7時半には身体も暖まったのでその勢いで睡眠に入ろう。レストランから寝室に移動するときにいったん外を通過するのだが、しとしとと雨が降っていた。明日からの天気が心配だ。   


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コメント 1

マンゴー

いろいろ国の事情があり、日本がどれだけ恵まれて平和なのかが
わかります。私もオーストラリアに行った時にアボリジニーの問題を
知りました。

鋭い雪山のエベレストに真っ青な空がとってもきれいに写っていますね。
私も写真を見たときに、またそこに行った時の感動と場面を思い出せるので
撮るようにしています。
それから吊り橋の写真を見て、その高さにびっくりです。私は、足がすくんで
進むことができないと思います。
羅針盤さんは、高恐怖症ではないのですね。仲間の方も大丈夫だったので
しょうか? 

羅針盤さんは、素敵なガイドに出会えたんですね。旅の楽しさは
ガイドにもかかっていますよね。
私もオーストラリアでバイトで日本人グループにガイドをした事があって
私は、世界最古の熱帯雨林の中をガイドしてました。
ある程度の知識は、教えてもらいましたがやっぱり現地のガイドには
かないませんけど・・・・
それでも、お客様から楽しかったと言われるため頑張りました。
あまりにも黒くて日本人に見えなかったみたいですけど(笑)
by マンゴー (2006-03-27 00:35) 

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