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⑫ヒマラヤトレッキング ランタン谷とコサインクンド  [ヒマラヤ・ランタンリルン]

12月6日(土)
テラパティからチプリン(高度差-1,340m)

昨日よりは良い天気だ。日の出を前にロッジの前に出てみる。ヘランブーの山々、そして遠くにはエベレストを含むソル・クーンブの山群が見えるはずだ。しかし残念ながら東側は雲が充満している。後ろを振り返ると雲一つ無く見晴らしがきく。昨日下ってきたラウルビナ・ヤク・パスからの山腹が遮るものなくしっかりと見えた。見事な眺望。改めて霧と雲の中を歩いた昨日迄の足跡が確認出来た。そこにはタイ航空が墜落した場所らしきところも見られた。しばらくすると日が上りはじめ幸いヘランブーの山々の頂が雲海を突き抜けて朝焼け色を写しながら浮き彫りになってきた。しかしソル・クーンブまでの眺望は出来なかった。


小屋にはそれ程の宿泊客はいなかったのに気が付くとたくさんのトレッカーが美しい朝焼けに燃える山稜に感激の声を上げて集まってくる。他の小屋に泊まっていたのだろう。タレパティはヘランブー・サーキットを気楽に楽しむトレッカー達とハードな行程をこなしてきたランタン・コサインクンドからのトレッカー達が合流する接点だ。ここから下はネパール人の生活圏に入るということでもある。
昨日と反対側を尾根に沿って下る。気が付いたら岩肌の世界から樹林帯に入っていた。広がりのあるなだらかな下りの連続。緊張感はほとんど無く、ひたすらのんびりとした下りだ。あとは疲労との戦いでしかない。一寸うんざり。おそらくこれから先は距離だけを稼ぐための歩行になることだろう。1時間程でマーゲンゴート(3,283m)に着く。そこには3件のロッジ。ルートの不安も無いのでガイドとポーターを後に喉を潤して直ぐに出発。30分ほどか登り詰めると営業しているようには思えないロッジが一軒、その脇を通り抜けるて再び急な下りに入る。周りの木々も背丈が高くなる。そして下り坂は雨期には水路になるため背丈ほどに深く深くえぐられて右左に足場を移しながら跳ねるように下らなければならない。体重が足にかかり負担が大きい。踏ん張るのではなくリズムに乗って下りないと膝を痛めてしまう。日本の山でもよくある形状だ。オルンやラスクマール達もルートから外れて山の中を獣のように直下を目指して下りていく。そのスピード感はさすが。1時間半も下り続けたのか突然前方が開け牧草地が拡がる。やっと集落に着いたのだ。自然との戦いは終わった。ふぅっと緊張が解けていく。ヤレヤレだ。しかし後で分かったことはこのことが新しい緊張の始まりであった。
水牛が下から上げってくる。人里の匂いを久しぶりに感じた。段々畑が開墾されている。突然の展開だ。人里の雰囲気を感じてからなかなか集落は視界に入らない。20分下ると集落だ。ここがクトゥムサン(2,470m)。ヘランブー・シェルパ族の部落だ。集落に入りホッとした反面、一寸異様な光景に不安が走る。家々の壁に大きな字で英語のメッセージが書いてある。明らかにマオイストが書き込んだものだ。このエリアがマオイスト支配地であるとの記載が目に入った。

エベレスト街道では見なかった異様な光景だ。反政府軍の存在は何回も聞いていたし、カトマンドゥ市内の警戒ぶり、街道筋の検問から想像していたが実感としてなかなか理解出来なかった。正直言って最初は悪戯書き程度に軽く考えていた。しかし、現実はそう甘くないことを後で実感するのだが・・・・。 集落を通り左手のヘランブーの段々畑が眺望出来るロッジに入り、昼食を取る。1時半頃だった。突然の客に主人は慌てることもなくのんびりしたペースで食事の準備に取りかかる。残念ながら雲が覆っているので肌寒い。最初は庭先のテーブルに座り、ヘランブーの畑を眼下に見ながらお茶をするが、汗が引いてくると寒さが堪えてくる。ロッジに入り、食事の準備をしている厨房に入り、暖を取る。厨房の奥にはシェルパ族の宗教上の祭器や食器が棚に並ぶ。民族色が横溢している。
一人の白人青年が昼食を食べに入ってきた。彼もヘランブーをアラウンドしているのだろう。軽装なのでどこかに拠点をおいて、散策しているのか。
昼飯を0から準備しているので時間がかかる。2時半に出発。霧雨を肌に感じる。今日はどこまで行けるだろうか。ここからは稜線上をひたすら下る。稜線の両側には谷に向かって棚田が開墾されている。そして谷越えの稜線にも段々畑が。行き交う人々も増えた。でも我々に対して特段興味を示すわけでもない。1時間程でグル・バルジャン。天気は回復し高曇りになり、眺望も聞く。それ程厳しくない下りが2時間続く。きつい登りのあと峠に着く。一軒の茶屋がある。私は一足先に行く。そこからは何人がかりで漸く抱えられるような大きな岩の中を一気に下りていく。タイミング的に一歩一歩の歩幅が大きくならざるを得ず身体には大きな負担だ。ボッカが荷物を担いで上がってくる。登りは一層厳しいだろうがそんな素振りも見せずリズミカルに歩く。右手谷越えの反対斜面には日本では想像できない大きなスケールでランドスライドがあった。

モンスーンで崩れたのだろう、大きな自然界の厳しさを示す傷跡だ。途中で最後の一個のオレンジを口にする。美味しい。元気百倍だ。といっても足は鉛を付けたようではあるが。峠から30分で漸く平坦地に着き集落に入る。すでに陽が傾き薄暗くなってきた。サンタからここで泊まると聞きホッとした。ここはティプリン(2,170m)だ。
しかし、ティプリンは大きな集落ではなくまともなロッジはない。民宿と言った方がいいだろう。既に薄暗いなか突然の客にロッジの側も受け入れようか断ろうか困惑しているようだ。ガイドとの交渉が漸く成立して慌ただしく準備が始まる。ここにはほとんど客が来ることが無いような感じだ。蜘蛛の巣を払いながら寝室の準備だ。食事は土端にある囲炉裏を囲みなが料理を準備、かたわらラジウスでご飯を炊いている。ヤクステーキを注文すると、ロッジの息子だろうか真っ暗の夜道をどこだろうか買いに出掛けていった。
厨房には落ち着いた見るからに肝っ玉母さん風のおばさんが仕切っている。

ヤク肉をビニール袋に入れて息子が帰ってきた。綺麗な赤身の肉だ。見た感じ鮮度は保証される。肉が細かく切られ油を引いたフライパンで炒める。そして焼き飯だ。待たされたこともあるのだろう久しぶりの肉の味は格別美味しかった。しかし食べる環境は最悪。土端に敷いたまな板(擬きか)で料理をする、そこを鶏が行き来する、土端は乾燥しているから歩けば埃が立つ。囲炉裏の薪が燻って煙い。その囲炉裏を囲んで胡座をかいて食事だ。まぁ、これがネパール本来の生活だと思えば興味津々だ。これも経験。
家族が食べる食事はトウモロコシの粉に水を入れてかき混ぜる、それを繰り返しながらおじやの様にして食べていた。質素この上ない食事だ。でも、だからといって病気になるわけでもないし、鹿児島大学の丸山先生が仰る縄文時代から作られてきたDNAは貧困に耐えてきた遺伝子だ。むしろこれこそ人間のDNAに向いた食事なのかも知れない。夜になると霧がかかってきた。土間と外部を仕切っているのは薄い布一枚。外気が入り込んで肌寒い。夜半には細かい雨も降ってきた。


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コメント 1

マンゴー

日の出の写真がとっても幻想的で
神秘的な世界ですね。

ネパールの生活にも体験してきたんですね。
羅針盤さんが、あの状況で食事をしたのかと
驚きです。
屋台のラーメン屋を一緒にご一緒した時もみんな
びっくりしてたんですよ(笑)
by マンゴー (2006-03-28 01:33) 

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