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⑬ヒマラヤトレッキング ランタン谷とコサインクンド 完 [ヒマラヤ・ランタンリルン]

12月7日(日)~9日(火)
チプリン~パティ・バンジャン~チソパニ~スンダリジャル~カトマンドゥ(高度差-770m)そして関空(~羽田へ)

さすがにここまで下りてくるとトレッキングもネパールの人々の生活と一体となって山を歩く、人里を抜けていく世界だ。起きてロッジ前にある水道で久しぶりにゆっくり顔を洗う。この水道は集落の水源のようだ。三々五々村人が水瓶に水を入れて持ち帰る。その水で食事を作ったり、皿洗いをしたり、顔を洗ったりする。未だ霧がかかっているので視界はきかないが、人の行き来が盛んだ。何をする訳ではない人々がロッジの前に集まってくる。このロッジは売店もある集落の中心になるのだろうか。ロッジの前には老若男女が何事か話している。そこに小銃を持ったマフラーを頭に被った青年達が4人来て、売店に何か注文している。
食堂に入り、朝ご飯が出来上がるのを待つ。相棒は外で4人の青年達となにやら会話をしているようだ。暫く立ってから相棒が中に戻ってきた。
実は若者達がいわゆる反政府軍、マオイストであるとのこと。政府の問題点を指摘し、自分たちが如何に社会に貢献しているのか、地域社会を改革出来るのは自分たちだと主張しているそうだ。ガイドはかなり緊張した顔になっていた。そう言われてみると人々も一見にこやかに彼らと渡り合っているように見えるが、彼らが視界から去るとたちまち顔つきが曇り、忌まわしい存在が一刻でも早く去って欲しいと願っているようだ。ガイドが彼らに表に出るよう指示されて出て行った。数分経っただろうか、戻ってきて彼らからドネーションを求められているとの話だ。要求によれば4,000ルピーという。考えれば金額的には決して多額ではないし、深追いして身体的危険に及ぶ事は避けたい。日本語が通じないガイド、サンタでは緊張したやり取りが出来ないので英語と多少の日本語が出来るポーター、オルンに交渉を任せる。先ずはどこまで引き下げられるかだ。なんとか半分に値切るよう頼む。時間の経過が止まった凍り付いた時間の経過に数分とも十数分とも思える時間が経ってオルンが帰ってきた。さすがに彼の顔はマオイストとのやり取りで緊張しているのだろう、よく見ると青ざめている。交渉成立で2,000ルピーで合意。一人当たり1,700円程度の被害で済んだのは不幸中の幸いだ。ヒマラヤに入るには国に入山料を払うだけでなく、地域への貢献という入山料が別途必要と思えば割り切れる。これからはマオイストに会うことを前提にトレッキングを考えておけば済むことだ。
交渉成立したら彼らも成果があったのですっかり穏やか態度になった。仲間として迎えてくれた。

この貴重な経験を記録したいとの衝動もあり、彼らに写真を撮らせて欲しいと身振りで伝えると簡単に了解していくれた。最初は全員が小銃を抱えて一列に並んだポーズだ。撮り終わったらリーダー格だろうか一人の青年が小生に小銃の先を向けながら構えたポーズを取って写真を撮って欲しいと言う。反政府軍としては証拠写真が残ることに神経質になるのが普通ではないのか。そんな素振りは全くない。無事撮り終わり握手をして彼らはその場を去っていった。緊張感がふっと切れて村人はザワザワと会話が再開された。
後で分かったことだが、彼らがロッジで買い物をしていたように見えたが、実は飲み物、ビスケットを強要していたということだ。彼らが去ったことが分かると彼らに対するやりきれない不満が爆発。とりわけ直接的被害者になったロッジの家族はいつものことだからしょうがない、ヤレヤレ、と言う気持ちと、いい加減しろ!と言う怒りが見えた。彼らが言うほど地域社会と共存した政治活動には思えなかった。
思わぬ事件に巻き込まれたが8時半にはそこを出発。ここからは集落と集落を繋ぐ交通の要所のようだ。人だけでなく家畜の行き来、両側には谷に向かって開墾された畑が続く。山岳地帯という危険はなくなったが、社会的リスクは増大してきた。むしろ真のリスクはこれから始まるのではと言う不安が襲ってくる。


突然自動車も通れるような道になる。再び道が狭くなって丁度鞍部にさしかかると道の両側に軒が迫ってそこを潜るようにして小さな町を通過。パティ・パンジャンだ。駄菓子屋もあり、そこでチャイを飲んで一息入れる。ネワール族の世界。既に文化的にはヒンズー教が入り込んでいる。オルンは祠にある塗料を手に塗って私の眉間に塗りたくたくる。俄ヒンズー教徒だ。
集落を抜けて背丈程の切り通しを抜けながら進むと再び広い自動車道に出る。しかし、自動車がここまで来られるはずはなく将来に向けての先行投資なのだろう。我々は時々広い道を離れて旧来の山道でショートカットで近道をとる。自動車道と交差しながら広い道を横切っては遠ざかる。峠を越えるとなだらかな道だ。天を仰ぎながら遠くの景色を眺めながらののんびりとした歩行が可能。カトマンドゥ近郊までの車の手配をするためには次の町チソパニで電話しなければならない。
ところがガイドは相変わらずもう一泊する必要があると主張する。しかし、ガイドブックからはどう見てもここからはカトマンドゥに帰れる筈だ。ガイドにはガイド料の返還は求めない、ただし、カトマンドゥでのホテル代は払って欲しいと言う条件で何とか折り合った。ただ、最終決定にはカトマンドゥの責任者の了解が必要なので電話で最終確認をとってからになる。
ほとんど平坦な丘陵地帯を進む。間違いなくチソパニが近いことを感じる。遠くに町並みが見えた。決して大きな町ではないが一歩一歩カトマンドゥに近づいている安堵感が襲ってくる。今日中にカトマンドゥへ下るためにはピッチを上げて下りてきた。多少は足に来ているものの予想外に足は大丈夫なのに本人自信がビックリだ。今回のトレッキングは全行程で大凡一日20km歩いても200km以上はあるだろう。東海道五十三次の時代と同じ体験を異国でしているわけだ。


町中には何軒かのレストランがある。少しはお洒落な雰囲気の店に入る。11時だっただろう。昼には早いし、チャイとビスケットで腹を満たす。ガイドが電話があると言うことで選んだレストランは結局は電話が使えない状態になっていた。電話の使用がマオイストの監視下あるためである。政府に密通されないよう、電話の使用を制限されているとの話し、ケーブルを切断されているとも言っている。いずれにしてもここからはカトマンドゥには連絡方法がない事が分かった。
急ごう。出来れば今日中にカトマンドゥに着いた方が良い。都会生活が目前に迫ってくるとそれを希求する気持ちが抑えきれないほど高まってしまう。清潔なベッド、美味しい食事、冷房の入った部屋、歩かなくて良い状況。ここまで来ると飛んででもカトマンドゥへ、と言う衝動に居ても立っても居られなくなってしまう。
チソパニはなだらかに拡がった丘陵地帯にある集落だ。カトマンドゥ盆地が近いこともあるのだろう春霞のようなよどんだ空気の中、遠くの景色は霞んでいる。ガネシュ・ヒマールの山群も見えるはずだが今日は無理だった。
身の丈以上の切り通しを登っていく。木々も繁茂している。遠くに飛行機の爆音も聞こえてきて、カトマンドゥが近い事を実感させられる。ここまで来ると集落の真っ只中を縫って歩く。子供達が群れている。母親と手を繋いでどこへ向かうのだろう。必死に歩いている。水汲みから帰って来る子供達。以前は軍隊の幕営地だった兵舎の廃墟を左に見ながら一気に下る。下りがだんだんきつくなる。
この一帯はムルカルカだ。ここから先は道が階段状になるので足には負担がかかる。左手に雑貨屋があり、漸く電話が掛けられる所に来た。ガイドは事務所に車の手配を依頼する。さらに集落を下り続けると、こんもりとした森が目の前に迫る。その手前右手にテラスになったところにレストランがあった。都会的な雰囲気だ。カトマンドゥからの学生達だろう。男女が戯れている。さすがに男女が手を繋ぐ姿はないが、男女がグループで楽しそうにはしゃいでいる。東西を問わず同じ風景だ。
ここのメニューは今までの山岳地方とは違って都会風だ。靴を脱ぎ、靴下も脱ぎ足を久しぶりに空気に晒す。なんと気持ちいいことだろう。足の裏に伝わる冷気が何とも言えない快感だ。長いすに仰向けで横たわる。太陽が眩しい。ああ、無事に帰ってきたいう安堵感に満たされながら昼飯が来るのを待つ。既に15時になっていただろうか。ガイドはさすがに良い店を選んでくれている。美味しい食事に満足。


ここからは森の中を下る。暫くすると小さなダムがある。これはカトマンドゥの水瓶になっている。ダムサイトを対岸に渡ってしばらくするとチェックポストがある。パスポートを提示し水路沿いにある道を下る。一気に下ればそこはスンダリジャルだ。そこから車に乗って市内に行ける。たくさんのタクシーやバスが待機している。我々は手配されてきているマイクロに乗っていよいよ市内に。1時間程でタメルのホテルに着く。18時だった。今晩はガイドの家でパーティーをしてくれるとか。力車に乗って向かう。3階建てのアパート。どんな状況なのか判断できなかったが、ガイドの弟夫婦も住んでいるのか、両家族全員との夕飯となる。ガイド手作りのカレーは美味しかった。

翌日は友人が早々とデリーに向かうので単独でカトマンドゥ郊外を散策。幸いガイドが所属する会社の社長が付き合ってくれた。東に32kmにあるドゥリケル、歴史のあるネワール族の町に向かう。バクタプルの古都を通過しナガルコットへの道と分かれて直進する。ドゥリケルはヒマラヤ眺望がナガルコットと並ぶものと言われているが、残念ながらこの日は靄がかかって山岳の眺望はきかない。外人向けのホテルで昼食をとる。その後、パナウティの村に向かう。しばらくカトマンドゥ方面に戻り、パネパの町を左折して南下する。道はところどころ舗装はされているが、穴だらけ。決して乗り心地は良くない。6kmでパナウティに着く。ネワール族の佇まい。歴史的にも由緒ある寺院(ヒンズー寺院)があり、保存状態が必ずしも良いわけではないが、ホットする瞬間。コーラの対岸にはクリシュナ寺院がある。

日本の田園風景を彷彿させるような景観だ。川では洗濯する者あり、水遊びをする者あり、僧が祈りを上げならら対岸の寺院に向かっていく姿もあった。





カトマンドゥに戻って後は深夜の関空行きの便を待つだけだ。今回はビジネスクラスにしたのでバタバタすることもないのでのんびりと飛行場に向かう。予定通り翌日の昼前に関空に到着。1時間のトランジットで羽田に向かう。ホットした安堵感に虚脱状態になっていた。


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コメント 2

マンゴー

事件に巻き込まれてたなんて・・・・
無事に済んでよかったですよね。
これもまたすごい体験ですよね。

私もオーストラリアで寝てる横から泥棒に財布を盗まれた事があります。
幸い熟睡して泥棒に気づかなかったのがよかったんでしょうけど・・・
さすがに、ショックでしたね。
日本にいる両親に言うと心配するので、言えなかったです。
このあと泥棒は捕まりましたけどね。親友からもらったお守りを
破っていたので、バチがあたったんですよ(笑)

それにしても悪条件な中、20kmは歩いていたなんて
きっと私にはそんな体力は無いです・・・・

羅針盤さんの今後の予定は、内緒ですよね。
また、いろんな体験を聞かせて下さい。
by マンゴー (2006-03-28 02:15) 

羅針盤

マンゴーさん
熱心に読んで頂いて嬉しい限りです。そしていろいろコメントをして下さって
有り難う。出来れば①から読んで頂くと流れになるのですが。
羅針盤
by 羅針盤 (2006-03-28 15:56) 

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