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⑩ヒマラヤトレッキング ランタン谷とコサインクンド  [ヒマラヤ・ランタンリルン]

12月4日(木)
ラウルビナヤクからペディへ(+540m、-1210m)

さすがにここは高山。空気が希薄なので何かにつけて息苦しくなる。とりわけ就寝中の息苦しさは睡眠を浅くするので神経的に参る。昨晩も何度も息苦しさに目を覚まされた。酸欠の金魚が水面に出てアップアップするのに似ている。息苦しくなると何度も深呼吸をする。そしていつの間にか気がつかないうちに眠りについている。それを何度も繰り返した。快眠は得られず寝られたのか寝られなかったのか自分でも分からない。


朝日を受けて正面にはランタンの山々そして登ってきた方面の遙か遠くにはガネッシュヒマール、マナスル・ヒマール、アンナプルナの山々が遠近を浮き彫りにして黄金色に輝いている。
この先はまさにアルプス的景観のなか岩をぬって作られた道を九十九折りで一歩一歩登る。朝一番で調子が出ないうちの4000m超えは辛い。鉛のような足を運ぶ感じだ。ルートはいくつもあってどれを選んでも間違うことはない。しかし、どこでも選べるというのは不安にもなる。ガイドがいるので安心だ。ここではそれぞれマイペースで登っていいと指示が出る。各人それぞれのペースで歩く。独りぼっちになると不安が過ぎるが信じて必死に登っていくと、石造りの祠が見えてきた。近づいてみるとチョルテン(4100m)だ。


中にはヒンズーの像(仏像に見えたが)が鎮座している。一息入れていると3人のネパリーの青年が上から下りてきた。会話を楽しみたかったが、わざわざ通訳でもあるまい。ナマステ!と声をかけただけで済ませる。彼らは荷物を持つわけではなく、ゴム草履に鼻歌交じり、と言う出で立ち。あと標高差で300mの登りで今回の最大の目的地の一つ、コサインクンドの湖に辿り着くはず。
暫くは辛い登りが続くが稜線から少しずつ右手方向トラバースになってなだらかな登りになる。眼下には数ある湖の一つ、サラスワティクンドが視界に入る。ここから先は冬季にはしばしば雪が積もりラウルビナパスを通過できないことがあるとか。幸い、12月初旬でもあり今回は雪のリスクは無さそう。高度を上げていくといくつかの湖が続く。バイラブクンドそしてコサインクンド(4460m)に。

紺碧の水をたたえた神聖な湖、地勢的に考えて噴火湖ではなさそうだ。それほど深いとは思えないが、どこまでも深く底なしのように見える。ヒンズー教徒の聖地として崇められているのが理解できる。ヒンズーのお祭りの時には多数の信者が詣でるとか。当地には数件のロッジがルートに沿って並んでいる。数人のトレッカーがいた。昼時なのに何故かここでは食事をしないでチャとお菓子で腹ごしらえ。日向では母親と娘が手編みをしている。セーターだろう、娘の手にかけられた毛糸を徐々に手繰りながら母親が巧みに編み込んでいる。


コサインクンドはロッジから下ったところあって、シバ神がまつられている湖だ。湖岸にはいくつかの寺院とヒンズーでよく使われる赤い塗料があちこちに塗りたくられていて祭りの盛り上がりが想起される。標準のコース予定だとラウルビナヤクからコサインクンドで一泊するのが一般とか。その翌日はゴプテ(ペディより先)を目指す。我々の計画は一気にゴプティだから一寸だけハードになっている。
小一時間日向ぼっこをしながらの休憩後出発。右手にコサインクンドの湖面を見ながらシバ神を祀った祠の前を通って徐々に高度を上げていく。岩をぬって雪解け水だろう流れ落ちている。道しるべに石積みがあったり、ヒンズー特有の赤の目印がルートを示している。流れが所々で氷になって固まっている。凍ってない岩を探しながらの足場探し。それほど傾斜地ではないので大したトラブルになることはないが一寸緊張する場面だ。コサインクンドの湖面奥ではすっかり氷結していて白くなっている。

しばらく登るとコサインクンドから離れて小さな湖が道の左右に点在している。コサインクンドゥが完全に視界から消えるころに右手下にスルジェクンドが見えた。右手の稜線もこちらの稜線に寄せてくる。そして前方の鞍部が最高地点のラウルビナ・ラ(パス=4610m)だ。最後の登りに気を入れて登る。ラウルビナ・パスにはルート右手に岩を積み上げた避難小屋があった。コサインクンドから1時間半の行程だった。最高地点踏破という緊張より、余りにもあっけなく実現したことに拍子抜けだ。ここでしばらく休憩。このパスを境にして前方は雲に覆われて山々を望むことは出来ない。後ろを振り返れば陽を受けた山々を見ることが出来る。パスの両側に伸びる稜線が天気の分水嶺だ。


30分近く休憩した後、出発。ここからは下り一方。暫くはなだらかな下りで足の調子も上がって順調に標高を下げていく。しかし、日射しが無くなって冷気が谷から上がってくるので汗が冷えて肌寒くなってきた。少なくとも雨だけは降らないで欲しい。この標高だと雨というより雪になるかもしれない。目先の視界はきくが、山並みを眺めることは出来ない。ひたすら足元だけを見ながらの下山になってしまう。しばらく行くと多少なだらかな広がりのあるところにベラゴ-ト(4240m)の小屋がある。ガイドはここで腹ごしらえをする積もりのようだ。しかし小屋というより工事中の掘っ立て小屋という感じ。中からはトッテンカンと作業の音。小屋の中は埃が充満し、居心地が悪いが外は寒いしやむを得ず中に座って待ちかまえる。結局ここでの食事は出来ないことが分かり、ヌードルスープ(例のインド・ニッシン製のカップラーメン)で腹を満たす。そして大事にしてきたオレンジを貪り食べる。
でもどうしてこんな段取りになったのか分からない。コサインクンドで食べていれば時間的にも問題無かったはず。読み違いの理由が読めない。既に3時も過ぎて先を急がなければならない。早々に小屋を出てさらに先を急ぐ。空はますます厚く重い雲がのしかかってきた。さらに、足下を雲が走るようになった。視界が悪く周りの様子を観察することは出来ないが、北アルプスのガレ場を連想させる。道は細く尾根沿いに雲とガスで充満した中をひたすら下る。ガスの中に突然レリーフが見えた。日本人の名前と飛行機遭難事故の慰霊碑であることが読めた。1992年タイ航空のエアバスがこの山腹に激突して多数の死者が出た時に搭乗していた日本人のために建立されていた。なにか他人ごとではなく帰路の便が不安になってくる。 徐々に急な下りになってしばらく下りると小さな小屋が目にはいる。ベラゴ-トから1時間でフェディ(3,630m)に着く。規模の小さい小屋で、右手に宿泊小屋、左手には暖炉と食堂(小屋の住人の棟か)がある。宿泊小屋の各部屋のサイズがようやく二人が折り重なって寝られる程度だ。そんな部屋が4つあった。我々以外にはイギリス人3人のパーティーがいた。荷物を部屋に置き、暖を取るため別棟に入る。そこでは枯れ枝を燃やして暖を取っている。すでにイギリス人のパーティーが囲炉裏を囲んで歓談していた。しかし、男性一人は高山病で体調が悪いようだ。途中で寝室の方に戻っていった。彼らはヘランブー・サーキットでここまで足を伸ばしたようだ。ガイドも付けずに上がってきた。夕ご飯をとって寝る段になったが、あの窮屈な部屋に戻るのに躊躇した。狭いし、身体が十分温まっていない。囲炉裏の奥がガイドやポーターの寝床。そこはただござが敷いてあるだけだが、囲炉裏のそばだから少しは暖かいだろう。結局寝室に戻らずポーター達と一緒になって雑魚寝をする。用足しに外に出たら小雨がしとしとと降っていた。明日が心配だ。


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マンゴー

低酸素だと寝るのも大変なんですね。
道のりの中でいろんな発見がありますね。
これだけ、こと細かく書けるのはすごいですね。
毎日日記をつけていたみたいですね。
by マンゴー (2006-03-28 00:50) 

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