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⑧ヒマラヤトレッキング ランタン谷とコサインクンド   [ヒマラヤ・ランタンリルン]

12月2日(火)
ラマホテルからトゥローシャブル(高度差-400m,+570m  )

今日はトゥローシャブルへの分岐点までは往路を下山するだけだし、高度的には2,340mから2,210mへアップダウンがあるけれどさほど困難なル-トとは思えないが、最後のトゥローシャブルまでの上りだけがタフになりそう。

薪が燻る煙に包まれた食堂に向かう。中ではみんな慌ただしく一日の出発の準備だ。我々の食事の用意の他に自分たちのの主食であるチベタンブレッドを焼いたりしている。暖炉用の薪ストーブの上に置いては加減を見て新しい生地に置き換える。ここに泊まっていた人々は山羊を売りに街に行っての帰路だったり、どこかに行くか、どこからか帰ってきた人々のようだ。

彼らはチベタンブレッドにチベタンティーの朝飯。50cm以上ある筒にヤクのミルク、チーズ、そして紅茶を入れて棒を突っ込んで攪拌したものだ。折角のチャンスなので一杯所望する。正直言っておそるおそる口にしたが、意外や普通のミルクティーに比べてこってりしてはいたが、こくが有って美味しかった。とは言ってもお代わりを頼むほどではなかったが・・・・。
9時半ラマホテルを発ち、一路ランドスライドロッジへ。2,340mから1,640m迄下る。ひたすら下るだけだ。ランタンコーラは氷河に発した水を集めて激しくそして豊富な水量で圧倒する勢いで流れる。流れは岩に阻まれ盛り上がり、あるいは先を阻まれ流れを変えながら見事な景観を作っている。


樹林も背丈が高くなり、バンブーも繁茂している。バンブーロッジが近いことを教えてくれている。そそり立つ岩にしがみついている蜂の巣、数十匹の猿との出会いのあった場所を通り過ぎる。
ポーター達がやけに遅れていた。橋を渡った所にある岩に背を当てながら暫く待つ。橋を渡るポ-ターの表情に苛立ちを感じた。よく見ると自分のザックを持っていたオルンがザックを背負うベルトが切れてしまい、片側だけのベルトで背負わざるを得なくなっていることが分かった。ガイドのサンタは応急処置をして先ずは下山する。さすがにガイドは単に道を示すだけではない。起きるであろう災難への対応力が必要。若いオルン、今回はポーターではあるが既にガイドの資格を持っていてもこんな時の対応力では格段に力の差があり、正直言って彼にガイドを頼む気にはなれない。
しかし、取りあえずの応急処置なのでしっかりした処置が出来ないとこれからの長丁場を乗り切るのに不安がある。山岳なので自分で持っている材料で対処するしかない。11時半にバンブーロッジに着く。先ずは一息入れながら、ザックの対応に頭を痛める。結局は外れたベルトを縫いつけることになった。サンタはロッジから針と糸を借りてきて糸を数本束ねて強化した糸でしっかり縫いつけた。ザックの生地が厚く、針が曲がったりなかなか捗らなかったがなんとか縫いつけることに成功した。そんなことで1時間以上をここでロスしてしまった。出かける準備が出来て食事は後にして先を急がねばならない。
パアレ(Pahare)ロッジは尾根の襞の上にあり、眼下に下山ルートが見られる場所だ。ロッジとしてはほとんど機能しない佇まいで、おそらく休憩しかできないバッティーだ。ご婦人一人でやっているのか、サンタの馴染みの店なのだろう。既に2時を回っているのでここで食事になる。 クロネコが彼女の唯一の相棒か。数ヶ月前に遠くの集落から貰ってきたとか。彼女一人では時間もかかるということだろう、サンタが材料を指示し手元に材料を集めて料理を始めた。それぞれの注文に応えている余裕がないので、全員ダルバートになる。香辛料をすり鉢ですりながら炉では圧力釜でご飯を炊き、見事な腕捌きで着々と料理が進んでいくとはいうものの、一からの手作りなので時間はかかってしまう。


調理場があるわけではなく、まな板(?)を地面に置き包丁で叩き切ったり、そこに家畜の鶏が餌探しに入ってくる。まぁ、衛生とはほど遠い光景だが、この際拘ってはいられない。新型インフルエンザとかSARSの発生する環境はどんなことか理解できてくる。でもだからどんな対応が可能かと言われると難しい。なぜならそのような環境を否定することは彼らの生存権を奪うことにもなる。
ガイド達の手作りの料理は手抜きの無い料理でとても美味しかった。サンタの腕には関心した。そう言えばトレッキングで最高の贅沢はテント生活で料理人を連れて行くことだ、と言われたのがよく分かる。材料も持って行き、トレッカーの好みに合わせてくれる。
ここで食べたダルバートは後も含めてネパールで食べたなかで一番と言っても過言でもないだろう。
時間を掛けた料理のこともあって3時近くになった。最後の登りのことが気になる。ロッジを出て暫くするとまっすぐの道と沢に向かって下りていく道の分岐点に来る。往路は右手の道から上がってきたが、トロゥーシャブルへは真っ直ぐな道を行く。
単純な計算では1,610mから2,210mへ600mの登りだが、コプチェ・コーラを越えるためには一旦沢まで下りなければならない。250mの下りと登りがある。

しかし、ラマホテルからは一日行程でシンゴンパ(トロゥーシャブルの先)まで行くことが普通だから今日の日程は何とか消化出来るはず。ルートの分岐から暫く登ると稜線に出る。そこにはバッティーがあった。谷を挟んだ向こうに逆光を受けてトロゥーシャブルの集落が見える。後ろを振り返るとランタン谷を囲む山々が夕陽を受けて輝いていた。そこには数軒の家があり、ゾーキョの牧畜を営んでいる。木々に隠れて見えないが、ゾーキョの声や草木をかき分けているガサガサという音が聞こえる。バッティーで一服し先を急ぐ。暫くはコプチェコーラを渡るためにひたすら下る。遙か下に橋が見える。そして対岸には集落が。

手に取れるところに見えるがこの上り下りは精神的にはプレッシャーだ。相棒は相変わらずマイペース。お先に、と言って先行。最下部まで下りると仮設橋が渡されている。その先には恒久的に作った積もりの橋脚だけが残っていた。モンスーンで橋が流されてしまったそうだ。ここから最後の集落までの登り。さすがに足が重い。しかし、耕された畑の最下部に辿り着くと後は畦道を縫うように高度を上げていく。牛を小屋に誘導している子供達や遊んでいる子供達に出会う。久しぶりの本格的な集落だ。




ロッジに着いたのは5時40分。すっかり周囲は陽が落ちて肌寒くなってきた。今日はホテル・イブニングビュー。この集落は数少ない自家発の電力が供給されていて、ホットシャワーも使える当地では近代的なエリアだ。この先ではシャワーと充電が出来ないので、今回はポーターに先を越されないうちに早速シャワーの準備をする。ここのロッジは造りも良く石造りですきま風も入らない。電気もふんだんに使える。食堂にはテレビまである。そして子供達はビデオを再生したりして楽しんでいた。ここでは一寸だけ近代化の波が押し寄せていた。ホットシャワーは充分な温度があって快適だ。今回のトレッキングで初めての石けんを使ったシャワーを満喫した。


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