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⑭ヒマラヤ・トレッキング(アンナプルナ・アラウンド)(2004年11月) [アンナプルナ]

11月19日(金)  ガサからタトパニへ

珍しく眠気を感じながら6時半起床。疲れもたまってきたこともあったし、夜中に何度か雨音を聞いて翌日のことが心配になったり、東京で何か気になるようなことが起きているのではと言う漠然とした不安心理が深い眠りを妨げた結果かもしれない。天気は幸い雨の気配はなく、ダウラギリのレンジやニルギルも望める。

7時55分に出発。石畳を踏みながらガサの街の中心部に入る。水牛、牛、ポニーが家族と一緒になって生活をともにしている。右手の急峻な丘陵の上では家族総出で草刈りをしている姿が見えた。その先の中腹にはネパール軍の駐屯地があり、銃をかまえた兵隊が土嚢越しに監視をしている。一寸不気味だ。街道を何人もの軍人が歩いている。訓練中とはとても思えない長閑な雰囲気だ。マオイストが良く出没すると聞くゴレパニはここより麓に近いところにある。政府軍としては飛び地での孤軍奮闘、緊張して守っているという形だ。 ここはマンガル族、タカリ族、グルン族が混じり合って生活をしているエリアだそうだ。桃の花が満開だ。これから冬を迎えるというのに不思議な光景。家の造りはネワールの影響を感じる造り。

8時15分石段を下っていく。前方遠く眼下に切り立ったV字峡の両岸を繋ぐ吊り橋が見える。そこを対岸に渡るそうだ。このあたりがムスタング・ディストリクトからミヤディ・ディストリクトとの境界。8時30分一気に下って吊り橋の袂に着く。そこにはチェック・ポストがあり、チェック待ちのトレッカーが大勢検問待ちで待機している。追いつ越されつの馴染みの人々だ。丁度吊り橋をこちらに向かってくるポニー・キャラバンが長く続くため、こちらからは渡ることが出来ない。


ここではかなりしっかりしたチェックで久しぶりに本人のサインを求められる。10分以上待機させられたと思う。対岸に渡って山道を上り下りをしながらしばらく行くとタル・バガールの街が見えた。9時05分。再びポニー・キャラバンとすれ違う。ポニー使いの見事な口笛捌きで列を崩さずに上っていく。キャラバンの一帯なのに荷を積んでいないポニーがいたり、重い荷物を背負わされたポニーがいたりだ。荷物を背負わされたポニーに同情してしまう。不満も言わず黙々と歩む。一頭だけ遅れて列を追うのがいた。よく脱走しないものだ。

タル・バガールの外れにある峠のバッティで一休み。9時45分コプチェパニで飲料補給の休憩。対岸の先に大きな滝が落ち込んでいる。10時に出発、吊り橋を目指して一気の下り。ここまで降りるとヒマラヤも亜熱帯気候になってくる。蝉の声が聞こえるし、日射も肌にきつい。とても11月とは思えない気候だ。10時20分吊り橋の手前でポニーの通過を待つ。さっき見えた大きな滝が吊り橋の左手に一層大きく迫ってくる。10時30分滝の前に着く。プティシャラの滝だ。

傾斜地に幾重にも連続した滝を作っている。10時40分出発。10時45分ルクセクチチハラ(1630m)の集落を通過。11時05分左手にアンナプルナ・サウスが見える。11時20分(1400m)ダナに着く。バッティで休憩。久しぶりにオレンジを食べる。こういう時の柑橘果物は最高に美味しい。いつも思うことだがヒマラヤに来て一番美味しい食べ物と言えばオレンジが第一だろう。対岸越えにアンナプルナ・サウスとその右にはバラハ・シックハル(7647m)だろう、真っ白いピークにつながる。その裏にアンナプルナⅠ(8091m)があるが、それは前のレンジに遮られて見ることが出来ない。

この地域は土地が豊なのだろう、農作業風景が眼に入る。11時55分ダナ・ビアミティ(1400m)にあるキャビン・ゲストハウスでランチをとる。太陽が燦々とふりそそぎ、ブーゲンビリアが満開で咲き誇っている。中庭にあるテーブルに席を取りランチを取る。庭にもミカンの木が沢山の実をたわわになっている。この一帯ではミカンの栽培が盛んだ。突然黒い牛が闖入してきた。

食堂の中を通り抜け、中庭にも来た。みんなでようやくのことで道路に追い立てたが、相変わらず食堂の中に興味があるようだ。この店の黒の飼い犬だろう、必死になって戦おうとして吠えたてる。牛は動じない。しばらく壮絶な戦いが続いたが、牛の飼い主が現れ引き取られていった。キャロットスープとマッシュルームラザニエを食べる。このレストランも味は上等だ。1時10分出発する。日差しは強く眩しいほどだ。

1時30分左手に大きな滝が見える。ポニー・キャラバンの一隊が上ってくる。1時50分左手後方にニルギルが左手にはアンナプルナ・サウスが見える。目の前に羊の大群が道をふさいで溢れている。一睡の余地がないとはこんな事だ。

道一杯を塞いでいるのでどこに段差があるのかも分からない。数は数え切れないほど、目の子で何十頭だ。お尻の上に黄色い目印のペンキが塗られている。おそらく所有関係を示す印なのだろう。羊たちはヒンドゥ教信徒の生け贄に供されたり、食肉として市場に出るためにローマンタンからポカラまでの長旅をしているそうだ。やむを得ないとはいうものの同情してしまう。羊のお尻をストックで突きながら道を作り前進。ポニーには通用しないが、羊だからこの脅迫が通用する。驚いた羊たちは何とか避けようと前後ろそして隣の羊を追い立てる。漸く出来た隙間に分け入って前進する。なんとか羊の大群の前に出て足早に前進する。一寸緊張した瞬間だ。2時、遠くにタトパニ(1190m)の街が見える。2時10分タトパニの町の入り口にさしかかり、15分には右手にある鉄筋の立派なホテル・ヒマラヤに入る。今晩の宿だ。食堂が道路に面していてその奥に寝室への出口がある。中庭を通って左手の入り口から3階にある寝室に向かう。その階にはテラスがあってそこからはニルギルの山群を眺望する事が出来た。

雲も切れて穏やかな夕日を浴びたピークが天上に向かって伸びていた。テラスから下の街道を見下ろすと引き続き羊の群れが町に向かって道一杯埋め尽くして下山していく。 タトパニは温泉町でも有名だ。3時半温泉に向かう。タトパニの中心部に向かって一寸下った所から左に折れて河原に一気に下る。降りきって少し上流に行った所に温泉場がある。入湯料は15ルピー。コンクリで固められたプール状の銭湯という趣。日本の渓流にある秘湯とは余りにも違う。白人のトレッカー、おそらく言葉からドイツ人達だろう、賑やかに楽しんでいた。ここでは文明の利器がないのだから間違いなく本物のかけ流し温泉だ。ただ、日本と違ってパンツ着用だから日本人にとっては落ち着かない。湯船から落とされた湯で石けんを使って身体を洗うようになっている。気分的に湯船から落ちる湯で身体を洗う気になれないので、浸かるだけでホテルに帰ってシャワーで身体を洗おう。芯まで温まりすぎて喉が~からになってしまった。掘っ立て小屋で売っている70ルピーの缶ジュースを買う。V字の渓谷の上流にニルギルが聳え立っている。日本的なセンスでこの温泉を仕立て直したらきっと素晴らしい秘湯になるだろうと非現実的な想像を指定してしまった。

ホテルに戻り身体を洗い、そして汗くさくなったTシャツや下着を洗う。しばらく夕陽を受けるニルギルのシャッターチャンスを狙ったが大した景色も得られず、写真は諦めて6時夕飯にする。今晩はラムステーキとパンプキンスープ。フロントでマッサージ500ルピーの表示があったので、ダワさんを通じて交渉してもらい7時に部屋に来て貰う。中年(?)のおじさんだったが、身体にオイルを塗りながらマッサージをする。身体が疲れていることもあるのだろう、しっかりと効くマッサージだった。50分ぐらいだったか。うとうとしてしまった。

トロン・ペディ以降、ダワさんのボス、リンギさん達と同じ行程でここでも一緒になる。リンギさんによればマオイストのゼネスト情報が入っていて、明後日には決行されるとの話。当初の希望はゴレパニからプーンヒルを経由してアンナプルナⅠ峰を眺望して帰るルートを考えていたが、このような状況では帰国日時への影響を避けるため安全サイドに計画を振るしかない。正直言ってここから高度3200m弱の登りを挑戦するのはタフでもあり、そうなることは大歓迎だ。結果的にはプーンヒルによるリスクを考えてそれを中断する。 タトパニは既にマオイストの強い影響下にある町で通信線も遮断され、都会との通信が不能だから、上ってくる人々からしか情報を得ることが出来ないし、不確かなそして場合によっては増幅され歪んだ情報でもあるかもしれない。不思議だったのは決してマオイストが組織的にこの地域を支配しているわけではないが、誰がマオイストか分からない相互不信で固められているのでコミュニティーが機能不全になっているようだ。スト破りをするとその情報が誰かからか漏れて、その仕打ちを恐れなければならない、そんな恐怖を作ることで隠然と支配を実現している。ガイド達はその様な事情を知っているのでゼネストは必ず決行すると確信していた。思いがけない事件に巻き込まれ予定を一日繰り上げて明日中にポカラに入らないと帰国の予定に支障が起きそうになった。そのためには明日は早起きをしなければならない。


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