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⑮ヒマラヤ・トレッキング(アンナプルナ・アラウンド)(2004年11月) [アンナプルナ]

11月20日(土)  タトパニからポカラへ

5時20分に起床。未だ真っ暗だ。天空だけが白み始めている。街道筋の幾つかの店の灯りが目に入る程度。 6時を過ぎても明るくならない。ニルギルの方面には雲が垂れ込めておそらく明るくなっても見ることは出来そうもない。 キャラバンがカウベルを鳴らしながら降りていく。

6時55分出発。タトパニの中心地を抜けて町を出て直ぐに吊り橋を対岸に渡る。またまた羊たちの大群に遭遇する。吊り橋は羊に占拠されていて通過できない。列が切れるまで待機だ。丁度対岸の道の反対側に草地があって羊たちは草を食むために一休み体制だ。その間隙を縫って前進する。小さなコーラを越えて少し上った所に小屋があり、丁度道が分岐している。ここがゴラパニへの道との分岐点だ。そこには3人の現地人が小屋に背を預けるようにして休んでいた。我々も小休止というか、そこで留まる形になった。

だが、何か不自然さを肌で感じる。ダワさんが彼らと会話をしている。しばらくしたらダワさんから前回マオイストから貰った領収書を出すよう促される。そこで事態の成り行きが理解できた。再びマオイストに出会ってしまった事を。一人は中年の冷静な対応をするリーダー格、一人は教義的で強圧的な雰囲気を持った青年、もう一人は存在感の薄いただ追従しているという感じの青年だった。マオイストは領収書に目を通している。ダワさんと何言かやり取りがあった後、ダワさんから荷物を持って前進して下さいとの合図だ。お陰様で事なきを得て無事通過。まさか、反政府軍に2度も遭遇するとは思っていなかったし、さらに驚きは彼らが発行した領収書が本当に通行許可書になるとは期待してもいなかったが、幸いその通りになって安堵もした。自分たちが単なる金銭目当ての追い剥ぎや盗賊で無いという彼らなりの矜持かもしれない。

7時半に出発。50分にはダトパニ(温かいお湯の意味=温泉)のある小さな集落バガールを通過。ここの温泉は規模が小さく汚いそうだ。不思議と空荷のポニーがまるで走るように次々と下を目指して通り過ぎていく。このあたりは再び渓谷が迫り、深い谷になっている。道幅も狭くなっているので、登りと下りのポニーが行き違えないため、下りのポニーがポニー使いの口笛一つで停止し道を譲っている。我々もしばらく待機だ。このあたりの渓谷は日本の景観に近く懐かしさを感じる。川が岩を削るように白い飛沫を上げながら走るように下っていく。迫力だ。8時45分マハビールの村を通過。9時10分、ティプヤン(1040m) の街を通過、再び対岸に渡る吊り橋の前に来た。再び羊の大群の渡橋だ。これはなかなか時間がかかりそう。9時15分、吊り橋を渡った所のバッティで小休憩。9時35分出発。しばらく行くと道は自動車が通れるほどの広さになったがだからといって決して歩くのには快適ではない。10時半ショウーギバザールに着く。ここには2台のピックアップトラックが待機している。ダワさんが交渉を始めた。どうもここからは文明の利器が使えそうな雰囲気。


ピックアップトラックの荷台には幌代わりに日本でもよく見かける防水シートでカバーがされている。すでに数人の現地人が荷台に乗り込んでいる。掘っ立て小屋の中で一休み。その間ダワさんは車に乗るための交渉をしている。今日も真夏のような日射しだ。ダワさんからコカコーラの差し入れだ。炭酸系の飲料はトレッキング中自己負担で飲む飲料のはずだが、今回はダワさんの心遣いだ。交渉が成立して足は確保された。なにしろ今日中にポカラに着かないと大変な事態になるのでひとまず安心した。

10時45分出発。我々以外にはイギリス人のご婦人のトレッカーとネパール人など老若男女10人近くが乗っている、両側にベンチがあり、半身になりながらすし詰めになって座る。悪路だから左右前後に揺さぶられる。シートで囲われているので外の景色を見ること事は出来ない。唸りを上げるエンジン音と隙間から入り込む砂塵が気になるだけ。11時頃だろう。なんとなくエンジンの調子が悪そうな音が続いた後、すとーんとエンジンが止まってしまった。みんな不安そうにエンジン音が聞こえてくるのを待ち望んでひたすら待つ。なかなか埒があかない。焦れだした乗り合わせた客はトラックから飛び降りて運転室での作業を見に行ったり、表に出てたばこを吹かしたりそれぞれ思いのままに動き出した。腰が痛くなるので表に出てストレッチをしたりして気を紛らせる。作業はなかなか埒があかない。みんなが覗き込むようにして注目している。結局40分ほど修理作業の結果、エンジンは動いた。様子から想像するにエンジンオイルが漏れて、オイル補充をしたらしい。運転手の様子からは不安そうな素振りは微塵もなかった。このようなトラブルはきっといつものことだったのだろう。スタートした途端に坂道の手前でまた止まり、逆走し始めた。あれ!とまたまた不安になったが、何のことはない修理現場にガソリンタンクのふたを忘れて取り戻しに帰っただけだった。早く気がついて良かったと胸をなで下ろす。

ポニー・キャラバンの大群が前を移動していたが、クラクションの音で路端に避けてくれる。12時一寸前に道が吊り橋で遮られたコーラの手前で車が止まり下車だ。吊り橋を渡っていよいよ当初の計画では泊まる予定だったガレスワール(1170m)の街でランチをとる。ふと不思議に思った。コーラを越えて吊り橋しかないのにどうしてさっきの対岸に車があったのだろうか。この車に限らずオートバイとかトラクターとかが道路がつながっていない所にあるのが不思議でならない。ヘリとかで運んだのか、まさか分解して持って行ったとも思えない。誰も分からず謎のままになった。吊り橋を渡った直ぐにあるホテルリバーサイドに入る。


小綺麗な所だ。ブーゲンビリアや名前が分からない白い花などが咲き誇り、明るい開放的なテラスとその前をコーラが白い泡を立てながら流れている大変素晴らしい景色だ。

ミネストローネにマッシュルーム・スパゲッティを食べる。上等な味だ。1時10分再度車に乗るため広場に向かう。 ここでは都会並みの品揃えをした商店が並ぶ坂道を進むと大きな菩提樹を囲んだ広場に出る。そこにはジープやカローラが十台以上待機していた。

1時20分ジープに乗ってベニに向かう。出発しようとしたらセルが動かない。いや~参った。又か、と思っていたらニュートラルで車を押して走らせてギアを入れた。ブルンブルンとエンジンが掛かり拍手喝采だ。運転手はいつものこととシャーシャーとしている。道は少しは整備されている。今迄ほど揺すられる事はないがまだまだ快適にはほど遠い。30分頃ベニの町に入り、早速軍隊のチェックがある。35分石畳の段差をものともせず進んで吊り橋の手前まで進んでくれた。排気ガスが臭くて堪らないマヒンドラの4駆だけど道路条件お構いなしに前進していってくれるので助かった。吊り橋を渡って数分歩くとバスターミナルになる。ここではバス、タクシーが洪水のように無秩序に駐車している。客引きの声が飛び交っている。ダワさんがタクシー運転手と交渉を始めた。右手からはダウラギリに源を発するコーラが合流している。運転手の顔立ちはネワール系で山岳系のチベタン系とは明らかに違いを感じる。

1時50分タクシーに乗り込んで出発。直ぐに軍隊の物々しいチェック。それには理由がある。ベニはこの一帯の州都。しかもネパールで最もマオイストの影響を受けている所だ。チェックポイントではバス乗客は全員降ろされて身体検査を受ける。2時検査を終えて再出発。右手に川の流れがあるが山もそれほど高くなく平坦な農業エリアを走っていく。漸く地図上にもある道路を走る。少しはましな道だ。バナナがなっていたり、目の前をリスが通り過ぎていった。右手前方に立派な橋が見える。バックルーンからの国道だ。2時50分、合流地点にまた検問がある。これから先は正規の国道だから道は良いはず。ポカラまでの距離が石造りの表示板に65kmと書いてあった。3時35分フスマの町を通過。川沿いに上流に向かって少しずつ高度を上げていく。再び警察のチェック。今度は簡単に終わり、3時10分に出発。河岸段丘が美しい。

3時20分ナヤプル(1070m)に着く。ナヤプルはプーンヒル経由のルートを取った場合の最終地点だ。道には何人かのトレッカーが右へ左へと動いている。何台かのタクシーも客待ちをしている。対岸の町はビレタンティだろうか。ここで休憩。これから先は川と離れて峠越えだ。4時05分カーレ(1770m)の町に着く。峠の頂点にある町だ。ダンプスを経由してアンナプルナ・ベースキャンプへ向かうルートの起点だそうだ。これから先は下りになる。道路は一応舗装されているが、中心部一台分だけだ。だから行き違うときにはそれぞれ左右に寄って走る。4時20分ノーダラ(1440m)を通過。サランコットの展望台はここから分岐していく。以前朝日の昇る前にサランコットを訪ね、マチャプチャレ、アンナプルナ、ダウラギリ、マナスルなどの山々を見たことが思い出される。そこは手軽にポカラからヒマラヤの景観を楽しむお手軽コースだ。

ここまで来るとポカラの市街地には直ぐ。緩やかな下りを市内に向かって下りる。日本の数十年前の農村風景と全くそっくりだ。市街地に入り4時40分警察の検問がある。簡単に終わってホテルに。市街地をぬってレイクサイドに向かう。この辺になると以前徘徊したこともあり土地勘が戻る。レイクサイドはネパールで最も西欧的な市街地でポカラでも外人が好む地域。日本で言えば軽井沢とか横浜の元町のように、程度は別として全てが異人社会に作られていて、現地の人にとっては近づけない(価格水準が高いので)ところだ。いるとすれば我々のガイドやポーターのような人々だ。登山用品店、おみやげ屋、CDショップ、絨毯、シルク製品、持ち帰れない民族小刀、飲食店、本屋などなど。レイクサイドには王室の離宮もあり厳重な警戒もされている。道には飼い主不明なのだろうか牛が徘徊し、人々がさかんに行き来している。

レイクサイドの地名の由来は人工湖ペワ湖に沿って開発された市街地だからだ。ここからは飛行場も歩いていける距離にある。5時ホテルに着く。レークサイドの中心地の幹線道路から少し入ったホテルに泊まる。5階建ての大理石で作られた、感じの良いプティホテルだ。町に出て食事をし、今日こそゆっくりと身体を休めてやりたい。本当にご苦労さん。300km弱の距離をよく耐えたし、人生初めての5500mの高度体験、全てが感動だった。この疲れの絶頂なのに再びヒマラヤに入りの次なる挑戦をしたくなってしまう。


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