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④ヒマラヤ・トレッキング(アンナプルナ・アラウンド)(2004年11月) [アンナプルナ]

11月9日(火)  ベシサハールからゲルム

ホテルの隣には広場があり、白人のパーティーが昨晩からテントを張っていた。焚き火で盛り上がっていた。6時頃には町中が活気を帯びてくる。ポカラに向かうバス乗り場に人だかりが出来、トレッカー達が活動を始めていた。ホテルの食堂は白人トレッカーに占拠されてしまったので、押し出されるように2階のベランダで食事となる。オープン・カフェになっているので、ここの方が眺めはいい。しかし一寸肌寒いのが欠点だが。

7時にはジープに乗ってクディ(790m)に向かう予定だったが、朝ご飯の用意が遅れ、結局7時一寸前に慌ただしく宿を出る。街外れにある乗り場に向かって走るようにして歩く。しかし、そこに着いたはいいもののジープのかけらもなくあるのは2台のバスだけ。ダワさんがやり取りをして結局一台のバスに慌ただしく飛び乗る。7時10分。事情はよく分からないが、ジープは予約というわけではなく乗り合いのようだった。それが既に出てしまってバスに変更になったと推察される。道は恐ろしく悪路。バスもやっとの思いで走路を見つけて走っている。身体は右に左に、そして前に後ろに揺さぶられる。

田んぼには刈り取られた稲が横たわっている。収穫前の稲穂は日本のようにたわわに実らずすっきりと伸びた先に少ない穂を付けている。生産性の低さがはっきり。 悪路を少しずつ高度を上げて右手にマルシャンディ川を見下ろし、左手には崖が迫る。歩行なら自分の足を信じて歩めるが、道無き道を壊れそうな車に身を預けるのはどれだけ危険か。「車が崖下に転落で何人死亡」というそんなニュースを偶に聞く事があるが、トレッキングの最大のリスクはここにあるというのが実感。小さな集落をいくつか通り過ぎて滔々と水が流れているコーラ(河川に流れ込んでいる支流のこと)を渡る。一見どこが道か分からない岩が出ているところをさりげなく越えていく。車で行き着ける最終点クディに8時に着く。いよいよトレッキングの開始だ。3時間かけてクディまで歩く覚悟をしていたが、幸い昨年から道が開通して車での移動が可能になった。天気は最高。ラムジュン・ヒマールの山々が見える。


直ぐに右に折れて細道をマルシャンディ川に向けて下りる。吊り橋を渡りしばらく上ると再び広い道に出る。8時20分マナスルの山群が見える。自動車が通れる道を作っている最中なのだろう歩くには勿体ないぐらいに広い。対岸に渡るとブルブレ(840m)の街だ。8時50分トレッキング最初のチェックポイントを通過する。マナスルの左手には雪を頂いたラムジュン・ヒマール(6,932m)の山群が見える。山としては当然マナスルが大きく、存在感もあるはずだが、ここからではラムジュン・ヒマールが圧巻だ。

道は河原のなか右岸を歩く。右手上にある別の道をポニーキャラバンが歩いている。そこは雨期の夏道だそうだ。今歩いているところは乾期の道。9時20分にはガディの街の入り口に着く。バッティ(茶店)でチャイを飲む。田圃が続く。6月頃に田植えをして丁度収穫が終わろうとしている時期だ。ンガディ(930m)の町中で早めのランチをとる(10時25分)。マナスルもラムジュン・ヒマールも山稜に隠れて見えなくなった。夏のような雲が出ているが、明るい日差しと亜熱帯らしい暑さにすっかり冬であることを忘れてしまう。通る風が爽やかで肌に気持ちいい刺激を与えてくれる。ロッジで食事を摂るが電気はあるし他のエリアのトレッキングに較べて設備が良い。冷蔵庫まであったのには驚いた。

11時40分食事を終えて出発。しばらく行くとウスタの街、そしてンガデコーラを渡り対岸で一休憩。直ぐにランパタの街を経由してしばらく行くと一寸した登りになる。ランドスライドも目に入り少しずつ山岳らしい景観となる。チョルテン(仏塔)を通過する機会が増えて、少しずつヒンズーの世界から仏教の世界に変わりつつあるのが実感される。12時27分ブフンダンダの入り口に着いて一休み。ここはブフン族の世界。ヒンズーを信じる少数民族の集落だそうだ。12時40分出発。5分もすると前方にブフンダンダの大きな集落が見えてくる。


1時45分街の中心地に着き一息入れる。対岸には段々畑が続き、小さな集落が見える。そこに辿り着くだけでも気が遠くなりそうだが、さらに見えない山の裏側にも人家があるそうだ。中国以上に人口密度が高いというわけが実感できる。2時10分出発。今日の目的地シャンゲまではゲルム(シャンゲ一寸手前)以外には小さな集落があるのみだ。標高が低いので初夏のように暑いが、通る風が心地よい(2時40分)。3時35分タマン族の村カニガオン(1170m)を通過、4時にゲルム(1100m)に着く。当初はシャンゲで泊まる予定であったが、急遽ゲルムで宿を取ることになる。

実際のやりとりは分からないが、シュバ(ポーターの一人)さんのアドバイスで変更になったようだ。シュバさんはダワさんより先輩格のガイドで貴重な情報を持っている。今回はポーターとしての参加だ。シュバさんはライ族(?)。雰囲気も一寸違うが、ダワさん達の故郷が近い縁で参加を依頼したようだ。彼は英語が達者で欧米人のガイドを勤めているが、テロ事件以来トレッカーが激減し仕事が減ったと嘆いていた。ダワさんも一目置いている存在だった。

ゲルムは平坦な耕作地がある長閑な農村だ。数軒のロッジがあるが日本流に言えば全て民宿だ。我々の泊まったロッジは中学校の教師の家。こんな言い方は失礼だが知的な雰囲気を漂わすご主人(30代か)と魅力的な奥さんそして小学生のお嬢さんという一家だった。ネパールでも少子化が進んでいるのかもしれない。比較的豊な家族には子供が少ないように思えた。

街道に面したところにテーブルがあり、そこでお茶を飲みながらご主人達と団欒をする。まさにオープンカフェだ。右手にある急な階段を上った直ぐに自分たちの部屋がある。他には宿泊客はいない。背丈ぐらい木の上からは日本で言うクツワ虫だろうか煩く鳴く虫の声がなにげに懐かしく感傷に浸ってしまった。過ぎ去った日本の夏を思い出しているのか、日本との共通性に安堵感を感じてしまったからだろうか。

6時にはすっかり日が落ちて残照が対岸の稜線上に残るだけだ。明るい時には気がつかなかった人家に灯りがともりあちこちに人家があることが確認できる。灯りといっても当地は電力が供給されていない。来年には通電するとの話だが、電信柱に張られた電線は錆び付いているしいつになることやら。家の中にはスイッチと電線が既に設置されている。人々の熱い待望する気持ちが伝わってきた。6時45分壊電の灯りを頼りに夕ご飯を終えた。満腹だ。ここでは青物が露地物として栽培されているのでふんだんに野菜が出てくる。西安で食べた香菜のような一寸癖があるが美味しい野菜が出てきた。7時半には就寝する。


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