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ガウリサンカール・メンルンツェ・ツォーロルパへ(13)  エピローグ [ロールワリンヒマールに]

2転3転で決まったガウリサンカールだった。振り返ると震災の後遺症そしてインド国境の封鎖、波乱含みのトレッキングになった。

震災の後遺症もあちこちで未解決のままになっていたが、結果的にはインド国境封鎖の方が深刻な影響を与えていた。生活物資の欠乏、その結果として物価の暴騰は庶民の生活を窮地に追いやるだけでなく、唯一の外貨獲得になるヒマラヤへの登山家、トレッカーの入国も激減している。アジアでの最貧国と言われるネパールだから致命的な悪影響を受けて意気消沈というイメージでいたのだが、生きる、という素晴らしさなのだろう、挫けることなく生きていこうとするひたむきさに接して安堵した。

ガウリサンカール、ツォロルパはルートとしてはメインルートに限ればアンナプルナ内院に次ぐ楽なコースではないだろうか。激しいアップダウンがあるわけでもなく、標高も5000M以下だから高山病のリスクも少ない。
ただ近づいてみてガウリサンカールが飛行機から眺望するほど目立つ山容ではなかったのが計算外だったし、それ以外にも目立った美形の山も少ない。

本来ならこのトレイルはテシラプチャ越のアプローチなのだろう。行き交ったトレッカーのほとんどがそのルートを選んでいる。しかしそのルートは多くの困難があり、多くの死者も出ている。私の感覚ではトレッキングというよりクライミングに近い。気持ち的にはトライしたい思いだが、無理の出来無い年でもあるので諦めざるを得なかった。

その中でメインルートから外れて目指したメンルンツェが残念ながらトレイルの崩壊がひどく断念せざるを得なかったのは無念と言わざるを得ない。

ただ当初予定になかったオマイツォに寄れたのは幸いだった。神秘的な湖はヒマラヤがしばしば「神々の棲む山嶺」と言われるその雰囲気をまさに醸し出している。

天候には恵まれてスタート時点で深夜の雨があっただけだった。

すでに次の計画がイメージされてきた。全回断念したApiをトライするのか、あるいはマナスルからティリチョレイク、メソカント峠(5025M)を経由してジョムソンそのどちらかになるだろう。

いつまで続けることが出来るのか、限界との挑戦がまだ続く。

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