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アッパードルパ(ドルポ)トレッキング 11チャルカボート(4110M)へ・そのⅣ [秘境アッパードルパのトレッキング]

8月8日(木)
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チャカルボートはもうすぐだ。ガイドの腹づもりは昨日中にチャカルボートを目指すつもりだったらしい。いずれにしてもチャカルボートでは当初からレストデイの予定だったのでせいぜい2時間の誤差だ。
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7時に出発する。ムスタングに帰るという一人の若者が急ぎ足ですれ違う。ずた袋一つという軽装だ。私が何日も掛けて歩いたところをあっという間に着いてしまうらしい。日常と非日常の違いをまざまざと見せつけられた。
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突き出した台地状で眼下に見た吊り橋に向かって一気に高度を下げる。吊り橋を渡り左岸に移って高巻きしたあとは水面近くのトレイルを下る。右岸にもトレイルが見える。ラクパさんの話では以前は吊り橋がなかったので、右手のコーラを腰までつかりながらの徒渉をしてこのトレイルを歩いたと聞いた。吊り橋が出来たので随分楽になったそうだ。
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9時再び右岸に橋を渡る。ここで旧道と合流する。チャカルボートの町が遠くに見えた。トレイルはコーラに沿って進む。久しぶりに立派なマニ・ウオールがいくつも続く。オム・マニ・ペメ・フム
http://www.tibethouse.jp/culture/omph.html を参照)が石に刻まれている。そこには信者の期待、希求が託されている。たまたまラクパさんは幼少の頃6年間、ゴンパで修行を積んだ経歴があったので詳細の説明があったが、彼の達者な英語でも理解出来るほど生やさしいものではない。今まではチベット語のおまじない程度の理解だったので大変勉強になった。
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直ぐに集落に入るが、家の造りが間違いなくチベットの文化を実感させる異世界だ。しかし廃村みたいに人ッ気のない眠っている感じた。最初に出会った人が小学校の先生だった。確かに知的な感じを漂わせる穏やかな30代の男性。生徒は野外学習と言うことで別の先生が数日がかりで生徒を連れて村を離れているそうだ。彼はデュナイの出身でジョムソンには行ったことがない。この数日何回か通過したパスの名前を聞きたかったのだが残念ながら彼から情報を得ることは出来なかった。
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幕営地は学校の前、おそらく校庭と思われる広場に張られた。学校には30人の生徒が在籍している。卒業するとお金のある場合にはジョムソン、もっと高等な教育を目指す生徒はカトマンドゥに行くそうだ。それは日本の昔を想起させた。
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周りを見回すと11個のチョルテンが視界に入る。このガオンにはラマのいる2つのゴンパがある。廃墟化したゴンパがコーラの対岸にもう一つ。チョルテンは仏塔で、信仰の対象であったラマの死後を祭っている。だからゴンパの近くにはチョルテンが多く見られる。
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トレッキング中にも大げさな作りではないがチョルテンを見かける。多くはバンジャン(乗越)に建てられている。これは仏塔ではあるが、ラマのお墓というのではなく、行き来する人々の安全、多幸を祈願しているものだ。
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チョルテンを語る時に死後の儀式が独特であることを語らなければならない。チベット仏教では死後の肉体は抜け殻として単なる肉体化する。輪廻の思想があるからか、普通の人々は切り刻まれてその肉塊を山にまく。それを鳥が啄む(鳥葬)、あるいは川に流す(水葬)。ラマの場合はその一部をチョルテンに埋葬する。

幕営地は住民にとっても行き来の通路なので、通りすがりにテントを覗いたりしていく。トレッカーの入村、そして外人は物珍しいのだろう。エベレストやアンナプルナではもう起きない現象だ。改めてヒマラヤの秘境に来た実感が沸いてくる。
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昼下がりに学校の先にあるゴンパを訪ねる。ところがゴンパは鍵がかかっていて入れない。ドルチさんが脇にあるドア前で大声で呼びかける。しばらくすると中からラマが出てきた。今、ラマはゴンパに籠もり俗人と交わることが禁止されている時期なのだそうだ。
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人の良いラマは皆さんは遠くから来たのだろうから、と例外的にゴンパ内を御案内しましょうということになった。私が5年ぶりに来た日本人だったからかもしれない。彼は64才のラマで、独身。彼に河口慧海の話を振ったところ、話は父親から良く聞いていた、とのことだった。父親の先代が河口のお世話をしたそのお礼にということで、傘を恵贈された。当時のドルパでは見たこともない傘に驚愕し、家宝として大事にしていたそうだ。ゴンパ内の撮影も禁止なのだが特別許可して貰う。

このゴンパにも修行中の子供が、10歳前後か、数人いるが、外見的には普通の子供でしかない。ラマにそれを質すと当地は冬期とても寒い場所なので長髪を認めています。服装は祈祷の際には正装でのぞみます、とのことだった。今はゴンパの前で普通の子供同様に戯れていた。

河口が入村した当時のゴンパは現存するが廃墟化してコーラの対岸にある。河口慧海の存在が今までは想像の世界でしかなかったのが、リアルな存在として眼前に現れ、100年の時間経過を超越した一瞬だった。
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対岸にある廃墟化したゴンパを撮影するためにガオン(集落)に行く。ラクパさんがお供をしてくれた。彼はお構いなしに人家の門をくぐってゴンパがよく見えそうな場所を探してくれる。私はハラハラだったが、家主が出てきたら私が説明しますから安心して下さい、と言われた。本来ならそのゴンパを間近に見たいのだが、コーラの対岸に渡るには朝方渡った橋まで戻り、ふたたびこの対岸まで下る必要があった。さすがに少々距離がありすぎるので、行くのを諦めてここからの撮影で我慢しよう。
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ラクパさんは以前一緒に働いていた同僚の実家に挨拶に行くので土産を買いに村で一件しかないショッピングセンターという看板のある店に入る。ショッピングセンターとは名ばかりで、裏口に回り家の中を通って店先に入る。店は道に面しているのにそこには出入り口がないという奇妙な作りだ。日本で言えば昔ながらの雑貨屋の品揃え。彼は土産にたばこを買った。そこで私は彼と別れて一人でガオン内を散策しながら迷うことなく無事に幕営地に戻る。
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もう一つのゴンパにも詣でたいとガイドのダワさんと丘上に向かう。4時頃だったか、読経の声が聞こえてきた。ゴンパのラマは籠もっていて出てこないので、内部を見る事は出来なかったが、読経の声が響くゴンパ脇にある修行僧の部屋を訪ねる。
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ドアを開けて中を見ると一瞬真っ暗で何も見えない。不気味に読経だけが聞こえてくる。暗闇に徐々に目が慣れてくるとあどけない顔が浮き上がってくる。手元にはお経本が置かれていて3人が見事に相和して詠んでいる。とても修行僧とは思えない落ち着きとしっかりした鍛錬を感じさせた。

今日は休養も兼ねた一日が終わった。アッパードルパを目指した想いもたっぷりと満喫出来た。感激の一日が終わろうとしている。しかし、明日からまた再び厳しいトレッキングが待っている。
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