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バルトロ氷河とK2⑪ ゴロⅡ~カンコリア(コンコルディア) [バルトロ氷河からK2へ]

8月2日(土) ゴロⅡ~カンコリア(コンコルディア)(4691M)

氷河上に張ったテントでの一晩は初めての経験だ。足下の怪しげな軋み音に慣れたが、一見瓦礫の上に張った何の変哲もない環境だが、実は瓦礫の直ぐ下は氷河だ。石で表面を削ると直ぐに氷が露出する。まさにアイスノンの上にテントを張っているようなものだ。寝込んで直ぐにそれに気付いた。背中に冷たさを感じたのだが、だからといって不快になるほどではなかった。それよりも瓦礫が背骨に当たるのを避けるのに必死だった。
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今日も一日無理のない行程と聞いている。ここまで来ると氷河を覆う岩も小さくなり、行く手を阻むことも少なくなる。なだらかな登りを楽しみながら、一歩一歩夢のK2を目指す。今日こそ対面が出来るはず。氷塔の数が一気に増えて美しい。氷河上を溶けた水がチョロチョロ流れている。緑色や琥珀色の石が転がっている。持ち帰りたい衝動もあったが、先のこともあり、可能なら帰路に拾っていこう。
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9時20分小休止、眼下には溶けた水で刻まれた氷河の亀裂があり、そこを緑色に映える川が流れている。なんと幻想的な景色だろう。水の色がこのように映えるのは初めての経験だ。左手にはムスターグ・タワー、正面にはガッシャーブルムⅣ、右手にはマッシャーブルムが見える。右手の斜面で砂煙と同時にダイナマイトの爆発音のような響き。落石だ!
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ちぎれ雲が全空を覆い始めた。嫌な予感だ。バルトロ氷河正面にあるガッシャーブルムⅣの手前に今回の終着目的地のカンコリア/4691M(コンコルディア)がある。氷河はそこで左右に分かれて左手に進めばブロード・ピークBCそしてK2・BCそしてK2へつながる。右に進めばガッシャーブルム・BCを経てガッシャーブルムⅠ、Ⅱ(8035M)に向かう。カンコリアの右手手前にはミットリ(メッテル)・ピークの針峰群がそびえる。その裏側になるアリ・キャンプを経由してゴンドゴロ・パスを越えてフーシュに下山することが出来る。
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10時過ぎる頃には突きだしている稜線に隠れていたブロード・ピークも見えるようになる。ピークには雲がかかっているが、懸念するほどではない。ガッシャーブルムはバルチスタンの言葉で「美しい山」、マッシャーブルムは「高い山」を意味するそうだ。そういえばマッシャーブルムはK1ともいわれたことを思い出した。今ではKを冠する呼称はK2だけに残っているが、この一帯がカラコルムの奥地、無名の山だった際の測量時に使われた名称らしい。

ガッシャーブルムⅣ(ガイドはG4と呼んでいた)の右手後ろにガッシャーブルムⅡ(G2)のピークも見ることが出来る。12時半カンコリアに着く。すでに何張りかのテントが張られている。ここは氷河が合流する地形なのでとても広いフラットな空間になっている。地図で想像していた山が迫った渓谷とは全く違っていた。フラットと言ってもアップダウンのうねりがあるので行き来するのは一仕事だ。

残念ながら究極の目的地に着いた今、K2は雲の中。見えていたブロード・ピーク、G4も雲に隠れてしまった。日差しはあるので椅子に座ってのんびりと雲の切れるのを待とう。ところがのんびり寛いでいる周りを囲むようにポーター達が集まり、大声を上げて盛り上がっている。おいおいちょっと静かにしてよ、私は自然に包まれた静かな場所探しに来たんだ、と叫びたかったが飲み込むことにした。風もなく、日差しもあったので肉体的には貴重な時間になったが、雲が切れない焦りは精神的には不安にもなる。時々聞く話だが、1週間待機してK2の眺望を待ち望んだのに無念な思いを残して去らざるを得なかった、そんな話が頭を過ぎった。もしかしたら自分もそんな不運に・・・。

しばらくするとポーランド人の一団が到着した。彼らとはゴロⅡでも一緒したグループだが、力量の差が見え見えで中には足下が覚束ない人もいた。屈強な一員というかリーダー格の男性が私のカメラに注目して近づいてきた。彼も日本のカメラを持っている、キャノンだ、と自慢そうに示す。言われて嬉しくないわけはない、日本製のカメラが異国人との交流の契機になるのだから誇りだ。隣り合わせに座って片言(私が)の英語でやり取りをする。EU入りで自国の様子が一変、市場の拡大で彼の仕事にはフォローになったようだ。製薬関係の仕事らしいが、医療に話を振っても話が弾むこともなかったので話題を変える。彼は世界中のあちこちをトレッキングしているようだ。彼からの推薦はキリマンジャロだった。
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夕刻にはようやくK2の上部が雲間からのぞいた。ガイドからは各国の登山家が登頂成功に至ったルートを説明してくれた。あれが日本隊の、あっちがスペイン隊の、そしてあそこがアメリカ隊と聞いたが、いずれもここから見るだけでも最も危険のある困難な登攀だっただろう事は想像できる。残念ながら今日の所は美しい全貌を見ることは無理だろう。いつでもシャッターを下ろす準備をしながら夕ご飯を摂る。
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ここ数日、日程的に余裕があったこともあって少しは食欲が戻ってきた。今晩はキーマ、これは日本でいうキーマカレーのルーに似ているが、パキスタンでのキーマはコンビーフをトマトソースで煮込み、塩、胡椒、ガーリックで味付けたカレーをマサラライスにのせて食べる。パキスタンではよく食べる料理だと聞いたが、保存食のコンビーフをミンチに代えているのか、コンビーフがそもそもの素材なのかは聞き損なった。いずれにしてもとても美味しかった。その上今晩はとっておきのデザートが出た。プリンにフルーツポンチの具材が入り、チョコレートが塗(まぶ)されていた。

さっき話をしたポーランド人はこの先、ゴンドゴロ経由でフーシュに向かうと聞いた。日本のガイドブックではほとんど触れられていないルートだ。ゴンドゴロ・パスからの氷河下山が難しいと聞いていたが、彼らでも行けるなら私でも行けないことはないはず。しかも、日程的に何日か短縮してスッカルドへ戻れると聞いた。次回があるかどうか分からないけど、そのルートを経験してみたい。情報収集に手抜かりがあったことを反省。
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