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③ヒマラヤトレッキング ランタン谷とコサインクンド [ヒマラヤ・ランタンリルン]

11月27日(木)(日本との時差は3時間15分遅れ)
~~~カトマンドゥからシャブルベシ(1,460m)へ

朝9時20分の出発だ。ホテルにガイド、ポーターが勢揃いし、いよいよ今日の目的地シャブルベジへ向かって出発だ。今回新たに参加したポーターはラスクマールという青年。彼もガイドと同じグルン族だ。ガネシュマールの山麓方面を中心に居住する部族だ。宗教的には仏教で、シェルパ族ほどではないが日本人に近い外見。その中でラスクマールはインド系の顔をしている。若干違った血筋を感じる。オルンの学校での同級生とか。

トヨタのランドクルーザーが待機していた。それに乗り込みホテルを後にする。見慣れた町並みを通り抜けて北に向けて進路を取る。道はポカラに向かったときのような幹線道路ではないので、鼻を突くような排気ガスもなく交通量も少ない。カトマンドゥの郊外では軍隊の検問だ。我々は車に乗ったまま兵隊のチェックを受ける。ガイドのサンタがガイドの証明書を見せながら、日本人のトレッカーであると説明すると、手で合図をして通過を促す。何度か検問を通過する。ネパール人には厳しい検問が待ちかまえている。バスの乗客は全員下ろされて一列に並んでボディーチェックを受ける。そしてその先で待機しているバスにまた乗り込む。政情不安定なネパールだから仕方がないとは思うものの厄介な国情だ。

カトマンドゥから北上ルートは真っ直ぐチベットに向かうわけだから国境が近い。チベットの山々が遠くに見える。

今日の問題はシャブルベジまでの道程だ。モンスーンで道路が崩壊している為途中一部を歩くことになっている。その間10分ほど歩けばバスに再度乗り込んで目的地に向かえるとの説明であった。丘陵地帯の田園風景を右に左に見送りながら ひたすら走る。途中からは舗装も途絶え、いよいよ凸凹道に身体が左右前後に揺すられる。車に乗っているとはいうものの決して楽な状態ではない。4時間乗っただろうか、腰も痛くなり始めた。1時半には昼飯を取るため車から離れて一息。

再度ランクルに乗り込んでひた走る。小さな街をいくつか過ぎて、左手に大きな谷を見下ろしながら既に周囲には人家も無く山峡に入っていた。突然人気が増えて何か慌ただしい気配に一抹の不安が走る。いよいよ車を降りて歩くのだろうと直感したが、それにしては落ち着きがなくむしろ殺気だった感じ。ガイドが地元の人と窓越しにやり取りを始めた。先に進もうとしても立ちはだかるように人の山だ。確かに数十メートル先が土砂で道路が崩壊していた。地元の人とガイドのやり取りでこの先の状況が見通せない様子。予想外の事態になっているのを察することが出来た。この先どうなるのだろう。出鼻をくじかれた感じ。

 前進しないことには初日にして今回のトレッキング計画は頓挫してしまう。多数の現地人がうろうろしている。数百M先でも崩落によって道路が塞がれているのが見えた。道の形跡もない状態だ。ブルが落石を谷底に落として復旧作業中だ。そして待機している理由が分かった。これから発破を掛けると言うことだ。30分近く待っただろうか、前進が許されて歩き始める。

事前の話では10分歩けばバスが待機していることになっていた。既に3時半は回っていた。ところが10分どころか30分歩いても車が走れる様な道には出会えない。全く道路の跡形もない瓦礫の中に作られた歩行道路、下の方に辛うじて道路であっただろう片鱗が窺える。なにしろ酷い状況になっているのが分かった。ようやく車道に戻れて先に進むが、いつになったらバスが待ちかまえている場所に着くのだろうか、と不安になる。太陽は確実に西に落ち始めている。亜熱帯のネパールとはいえ2,000mの標高と冬だから立ち止まると汗が冷えて寒い。
1時間近く歩いた頃だろうか、遠くにバスの陰が見えた。そのバスに乗れると確信して取りあえずは一安心。そこには既に多くの人が群れていた。バスは2台あった。しかしガイドは緊張した面持ちで動き回り情報を集め始めた。直感的に事態は必ずしもいい状態でないことが分かった。沢山の人たちがバスの屋根に荷物を載せたり車内に入ったりしていた。バスに乗り込めるのか、すでに陽は西に傾き急速に寒くなっている。小さな店で茶を飲んで待機してほしい、とのこと。様子を見守っていた。何しろ事態の進行状況がただでさえ不透明の上に、充分なコミュニケーションが取れないから不安が募る。正確には記憶していないが数十分経ったのだろう、しかし印象としては何時間も経った気分だった。突然バスに乗り込めとの話しになった。緊張が一瞬にして解けて安堵した。ポーター達が我々のザックをバスの屋根に持ち上げ積み込む。
幸いガイドの配慮だろう、座席を確保してくれていた。4時半に出発。車内は既に暗く、車内の様子は闇の中だが、間違いなく満載だ。直ぐにバスは闇の中を一条のライトを照らしながら、車体を大きく右に左に振りながら低速で前進する。屋根の荷物も心配になるし、バスが壊れるのではないかと気になって仕方ない。闇の中、遠く谷の向こうにポツンと一つ小さな灯りが見えた。徐々に高度を上げながら1時間以上乗ったころ、その灯りが次第に増えてきて市街地、いよいよダウンチェ(1,950m)の街だ。ダウンチェはランタンに入る最後の大きな街だ。この先には今日の最終目的地であるシャブルベジしかない。

 ところが、ここまで来たものの先には困難が待ちかまえていた。車内では「このままシャブルベジに向かう」との話も出たりしていたが残念ながら現実はダウンチェで全員下ろされてしまった。ガイドの指示に従い目の前にあるホテルに入る。そこで暫く待機していたが、「その先に進むのが困難だ」と情報集めに奔走していたガイドが言い始めた。先ず車の手配が難しいとのこと。シャブルベジまでの道路状況が極めて危険で夜の運行は困難。明朝になればバスが出るので、それで向かうしかないと言う。

 しかし、日程的には普通なら14日コースと言われるところを12日に短縮、その為に最後の2日間はハードな行程になっている。ここで予定がずれるとスケジュールの変更を余儀なくされるかもしれない。リスクを避けるためにはあらゆる手を尽くして当初の目的地に向かいたい。その主旨をガイドに伝える。偶々ホテルの主人がバスの持ち主であったことが事態をややこしくしていた。バスを出さなければ泊まり客を確保出来る、どうもその話にガイドが乗っているのではとの不信が過ぎった。特に相棒は前回のトレッキング以来ガイド・サンタに対する不信感は強く疑心暗鬼で見ているのでなおさらだ。
ここでは裏取引とかの問題は別として、予定を全うする為にベストを尽くして前進することを最優先させなければならない。この遅い時間にバスを出すのは危険だとかいうやり取りはあったが、カトマンドゥの事務所のボスに連絡を取ってもらい強引にバスを出してもらう事に成功。

既に6時45分、周りは闇の世界。ここまで乗ってきたバスに再び乗車、当然お客は我々5人だけだでシャブルベジに向かう。相変わらず悪路だ。1,950mのダウンチェから徐々に高度を下げていく。1時間半ぐらいか、20時15分小綺麗な街、シャブルベジに着く。ホテル・ラマに入り不安の連続だった一日に幕が下りた。なにしろスタートで躓かなかった事に感謝だ。


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