SSブログ

⑥ヒマラヤ・トレッキング(アンナプルナ・アラウンド)(2004年11月) [アンナプルナ]

11月11日(木)  タルからチャメへ
早寝をするので朝は5時台には目が覚めてしまう。タルの集落を散策する。真っ直ぐに延びた街道に沿って小綺麗なロッジが左右に並ぶ。

その先にはポニーの中継所があって小川が流れ、その先には草原状の広場がある。数十頭のポニーが草を食んでいた。この景色は少年時代に見たOK牧場の世界を彷彿させる。まさに、西部劇のロケーション現場のようだ。改めて家並みに素朴さと言うより洋風のカラフルさ、モダンさを発見。右手の山からは大きな滝が流れ落ちている。美しい滝だ。

ロッジの宿泊代はガイド任せなので気にしていなかったが相場観を持とうと聞いてみた。場所、グレードによって当然違うのは当然だが ここではツインで120ルピーとか。 7時35分タルを出発する。15分も歩くと中洲状の広がりが終わり、急に両側の山が迫り狭い渓谷になる。足下を流れるマルシャンディ川を見ながら道は狭く、崖に沿って緩やかな登りになっていく。

8時10分長い60mの吊り橋を渡って対岸に渡る(1850m)。8時10分小休止。25分に出発する。ポニー・キャラバンが先を歩いている。女性やら子供も連れた家族連れのキャラバンっだ。コルテの村を過ぎ二つの滝を見ながら、少し下った後吊り橋を対岸に渡るとカルテの街だ。9時05分着。

9時20分レモンティーを飲んで出発。9時45分ダラパニ(1960m)に着く。この辺からチベットの影響が少しずつ色濃くなってくる。9時50分ACAP(検問所)のチェックを受けて再出発。ダラパニの村はずれ、10時になった頃、マナスルが見えた。長い吊り橋の対岸にあるその村はトンジェの村、マナスルへの分岐点だ。マナスルを源流とするドゥドゥコーラがマルシャンディ川と合流。山羊の大群が降りてくる。道一杯に塞ぐようにお互いぶつかりながら、しかし整然と隊を組んでこちらに向かってきた。

10時45分バカルチャップ(2160m)の街に入り、早めの昼ご飯をとる。バカルチャップは小さな集落、大凡10軒程度だ。それには理由があった。1995年11月に土砂崩れがこの集落を襲い多数の村人が死亡、2軒のロッジも流されて3人の外人も亡くなったそうだ。 被害を受けた後、ほとんどの家はここから30分上流にあるダナキューに移ったそうだ。

さすがに高度が2000mを越えてきたからだろう。ここまで来ると通る風が心地よいというより若干肌寒くなってきた。少しずつ腹の具合に変調を感じてきたので予防的に食事を軽くした。ヌードルスープ(なんとネパールでは日清のカップラーメン=インド製=が売れ筋)に茹でジャガイモ 。そしておかきを出してみんなと分け合って食べる。ダワさんだけは日本人のガイド経験もあるのでおかきの味は経験済みであったが、ポーター達は怪訝そうな顔をしながら不思議そうに食べていた。そういえばタイ航空の茶菓子にはおかきが出ていたので日本の嗜好品も国際化したものだ。

11時45分に出発だ。このあたりになると休憩するバッティも少なくなり、麓の方では分散していたトレッカーとの出逢いが増えてくる。麓の方では集落があり、トレッカーも分散して滞在することになるので外人の存在をそれほど意識しなかったが、さすがにここまで来るとトレッカーとの出会いが印象に残る。

トレッカーは圧倒的に欧州人だ。とりわけフランス人とドイツ人が多い。アメリカ人は殆ど見かけない。ダワさんによればネパールでの反米感情が背景にあるようだ。そして政情不安だから敬遠しているとか。その結果ガイドとしては仕事が減少して嘆きの種になっている。 海外でのトレッキングの楽しみはいろんな国の人と出会いそれぞれのお国柄を知ることだ。行き交うときには日本でもそうだが挨拶するのが普通。お互いどこから来た人か分からないので、大体は「ナマステ(こんにちは)」と現地語で声をかけるのだが、フランス人だけは「ボンジュール」とかえってくる。どこまで気取っている人種だ、と嫌みも感じるが、必ずしもプライドが高いということでは無さそうだ。意外と個別に話をすれば英語で会話をするし、人懐っこい表情には暖かささえ感じた。ドイツ人は人懐っこさ丸出しだが、一寸退いている、一寸シャイな感じか。でも不思議とドイツ人には親近感を感じた。その理由は分からないのだが・・・。他にはオーストラリア、スペイン、そしてイスラエル人等々。

バカルチャップを出る頃には前方にはラムジュン・ヒマール(6986m)やアンナプルナⅡ峰(7937m)が稜線越しに見え、右手V字谷の向こうにマナスル・ヒマールのいくつかの山が視界に入る。
ここはマナン・ディストリクトの中に入り込んだせいかチベットの気配が濃厚となってきた。タルチョーが散見されるようになり、このコースで初めて小さいゴンパ(ラマ教寺院)が目に入った。
11時45分出発、15分も歩くとダナキュー(2210m)の町はずれに入り、道沿いに人家が点在している。30分もするとダナキューの街の中心地に着く。ダナキューはチベット色が色濃く、大きなマニ車(筒にお経が書きこまれていて回転する。一回回すことでお経を読んだことになるとか)やマニ・ウオールが道沿いにある。ダナキューを過ぎるとマルシャンディ川に合流する支流沿いに上っていく。渓谷は一気に狭くなり、木作りの橋を渡って対岸に渡る。鬱蒼とした大木が林立し、下草にはシダが生えている。大木の中には針葉樹(おそらく松だろう)が生えていて日本の山岳風景を思い出す。左手から入り込んだ沢が深くえぐられて、滝が落ち込んでいる。落ち込んだ先は薄暗くはっきり状況を見ることが出来ない不気味な幽玄さを感じる滝だ。

シュバさんと一緒に記念撮影をする。徐々に下って12時50分開拓地・ティマンベシ(2270m)に着く。マルシャンディ川に沿ったルートが出来る前の旧道になるナムンバンジャン(5505m)越えのルートがここから分岐する。そのルートは雪も多く食料や小屋もない難しいトレイルとか。今はマニアックなコースとして残っているだけ。

ここで小休止だ。1時に出発。15分に土砂崩れの傷跡が目に入る。小休止。30分に出発。45分ラタマラン(2440m)を通過。たまたま下山中の行き交ったガイドがダワさんの仲間。彼らは思いがけない出会いに話が弾み、我々はしばらくそっちのけにされて一休みを取った形になる。
2時05分出発。アップダウンを繰り返しながら大きなコーラを渡り、上るとリンゴ畑が左右に広がりその先にバッティがあった。渓谷は梓川の渓谷に似た景色だ。リンゴ畑は既に収穫を終えて、わずかに残された赤い小さなリンゴが残っていた。バッティの前には篭に入れられたリンゴが山盛りになって売られている。

ダワさんが買い求めようと中に入って声をかけるが人気がない。ようやく老婆が現れてダワさんは慎重に品定めして買い求める。我々にも分けてくれた。掌に乗る程度の大きさ。日本のリンゴとは比べものにならない代物。果物に飢えた身体なのにさてさてという感じだった。食指が伸びない。2時半、雲が空を覆いさすがに日差しが落ちると肌寒い。

チャメまではリンゴ畑が続く。ネパールの一大産地とか。しかも、リンゴの栽培指導をしたのが駒ヶ根市のボランティア団体だそうだ。日本の誇るべき平和的貢献がネパールの人々に豊かな生活への道を示しているのを知り、他人事ながら誇りを共有させてもらった。

2時50分、10分間の小休止。このあたりは松林の連続。ピサンまではそれが続く。2時05分タンクチョックの街を通過。3時15分小休止、切り倒された松の大木に腰を落とし休む。今日はポニー・キャラバンと出会うことが少なかったが、久しぶりに下山するキャラバンが前を通り過ぎていく。再び崖状の斜面で土砂崩れ現場だ。土砂崩れ現場のなかにようやく一人だけ歩ける程度のトレイルを辿る。このような道をポニーはどうしているのか不思議になってダワさんに聞いたところ、もっと上部に足場の良い回り道があるそうだ。チョルテンを通ると3時35分クパールとして知られているコト(2640m)に着く。 右手には切り立ったV字渓谷とマルシャンディ川が合流している。4時15分軍隊のチェックポイントに着く。

ここでは自筆でサインを要求され、通過を許可される。彼らは日本人と知るや尊敬と親しみを持って接してくれた。デジカメに関心を示し、是非ツーショットを、とせびられる。それを見た別の若い兵隊も俺も俺もとせびる。一寸した交流現場になった。

曇っていることもあるだろう、一気に薄暗くなってきた。この辺は松林のある平坦なところ。4時半にチャメ(2710m)に。ここはマナン・ディストリクトのヘッド・クオーターがある。病院、学校、郵便局、銀行などが集まっている。APACで入山手続きをすませ、街の中心を通り過ぎて対岸に渡る。ニューチベタンホテルに泊まる。ここからは素晴らしい景観が楽しめるエリアだそうだ。

ロッジでホットシャワーを浴びる。アンナプルナのルートはエベレストやランタンに比較して設備状況が良い。まずトイレは綺麗だし、食事も美味しい。部屋も綺麗、そして電気が通電していたり、シャワーが使えるところが多い。 5時20分シャワーを使ってさっぱりとした。6時45分食堂でストーブに手をかざして暖を取る。さすがに夜になると寒い。でもまだ11月のせいか、芯から冷えるようなことはない。バルセロナから来ているカメラマンも一緒だ。7時にマッシュルームスープとベジタブルカリーの夕食。上等な味だ。

ここに泊まっているのは年老いたアメリカ人が3人、母娘か3人のフランス人、年老いたフランス人、スペイン人と我々だ。初めて国際色豊かな宿になった。8時20分就寝。その時には全天を覆っていた雲が切れ、満天の星になっていた。明朝、アンナプルナ、ラムジュン・ヒマールが見られることを期待したい。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。