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ダウラギリ・サーキット(13) チャルターレ~イタリアンキャンプ [ダウラギリサーキット]

10月23日(日)、24日(月)

チャルターレ~イタリアンキャンプ(3660M)そして高度順応
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深夜の満天の星に希望を託した結果か雲一つ無い快晴になった。7時50分キャンプサイトを後にした。しばらくは森の中をいく。まだ太陽は東の稜線の裏にあり陽が差してこないので薄暗い。そろそろ短パンに半袖から長ズボンと長袖に代えるかどうか悩んだが、天気も良いので取りあえず上着だけを長袖に代えその上にベストを羽織って7時50分に出発。しばらく平坦なトレイルを進む。どこからともなく人の声がする。

ガイドブックによれば「サラガリにキャンプをする」と見たことがあった。ここがそのサラガリなのだろう。男女のカップルの白人がのんびりと横になっていた。右手の小高いところがキャンプサイトのようだ。チャトラーレよりもっと自然に恵まれた環境だ。「ナマステ」と声を掛けて通り過ぎる。

すぐに凍った木橋を滑らないように気を使って渡る。ダウラギリのサウスフェースと前方には真っ白に雪を被ったシタツヅラ(6611M)が見える。8時半左手にダウラギリⅡが望める。8時50分3300M地点を通過、一気に高山の様相に変化した。
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ミャグディ・コーラの左岸を1時間も歩いただろうかだんだんと視界が広がって太陽の日差しが身体を温めてくれる。9時20分には急登が始まり、息も上がったが、幸いその後はややくだり気味の水平トレイルになる。10時には3458M地点、なだらかな空間が広がっている。ここがアメリカンBCらしい。一息入れて出発。しばらく行くと左手に滝が見える。ここまで来ると高度差も小さく、水量も減っているので今まで見てきた滝ほどではなく感動も少ない。さらに岩のトレイルを登ると周囲は森から草地に変わっていった。ようやく高山の雰囲気が醸し出されてきた。左手ミャグディ・コーラの向こうにはダウラギリ・レンジがそそり立っている。
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11時にはイタリアンキャンプ(3660M)に着く。ここには小屋があって男勝りの女性(管理人らしき人)がいる。ガイド達と盛んにやり取りをしていた。白いプラスチックの椅子があったのを、ダワさんが持ってきて座りなさい、と言ってくれた。胡座をかいて座るより楽なので有り難く受け入れる。

ドルチさんの手作りのランチを食べる。今日は彼の定番ランチの一つチーズと玉子のサンドイッチ。それにコンビーフとピーマンを和えたものなどなど。食パンはポカラで仕入れたはずだが、まだ美味しい。いつものトレッキングなら日程が進んだこのタイミングで食欲不振と下痢に悩まされるころだが、今回のトレッキングで体調が良いのはドルチさんの食事のお陰かもしれない。それと私のことを知っているダワさんだから気を使ってくれて飲み水はミネラルウオーターを下から上げてくれていた。
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イタリアンBCは広がりのある平坦な草地で最高のキャンプサイトになっている。ここで高度順応のために今日、明日はゆっくりした滞在になる。午後は我がチームそれぞれが思いのままの休養だ。高度順応の必要のないポーター達は洗濯をしたり、日だまりで昼寝をして休養している。若いポーターは他のチームのポーターとトランプの賭け事に夢中になっていた。

私にとってはこれから先の行程で高山病を克服するための大事な二日間になる。毎年5000Mを超すトレッキングを経験しているが、肉体の学習効果があるらしく、年々歳々順応力は高まっている。初めてタンボジェまでの簡単なトレッキングの時にはナムチェ・バザールではっきり自覚出来るほどの高山病を経験している。その後も食欲不振程度の経験はしたが、もしかしたらという程度の自覚症状にとどまっていた。今回もそうあって欲しい。ただ、足かけ3日間の5000M超は初めてなのでどうなるか不安一杯だ。
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一息入れてから2時に高度順応のためにBCの先にある小高いところまで上がる。つづら折りのトレイルを進む。ここでは緑も少なくなっているので花が美しく、目立つように咲いている。高山では花の存在がひときわ心を和ませてくれる。

高度を上げていくと太陽に反射して光っているのが目に入る。ダワさんからダウラギリに挑戦した登山家が、事故で無念の死を遂げた慰霊碑だと聞かされた。その数が夥しいほどにある。セルビア、スイス、ネパール、フランス、中国そして日本人のもあった。お国柄を反映するのだろう、西欧人のは墓に似せている地味なプレートだ。日本人のも同様。ところが中国人のは金色でサイズも大きい、一番目立たせる事が狙いと思われても仕方がない作りになっている。お国柄がここにも現れているようだ。
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それにしても凄い数のプレートにダウラギリのエクスペディションの厳しさ、そうさせてしまうダウラギリの魅力を実感した。非業の死と見える事故も本人にとってはどうなんだろう。たまたま夢枕獏の「神々の山嶺」を読んだ直後なので、クライマーの心境が少しは分かる気がした。
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5頭のロバ隊が登ってきた。50前後だろうかドイツ人の夫婦が上がってきた。荷物は彼らのものらしい。彼もニコンをぶら下げている。私もニコン。自然に近づいて一言二言言葉を交わす。不思議だが白人と十把一絡げとして考えてしまいがちだけど、ドイツ人は今回に限らず理由無くシンパシーを感じてしまう。日本人を認めてくれているという実感をもてるのはどうしてだろうか。彼らはダンパス・ピークへのエクスペディションを目指してそのまま先に進んでいった。その他にも小屋前には今まで見かけなかった白人が6,7人いた。

戻ってみるとドルチさんが水牛の肉を切り裂いていた。あれぇ、肉は終わったのではと言うと「大事に取っておきました、まだ大丈夫ですから」と言われた。今晩は水牛丼と天ぷら擬きだった。ドルチさんの憎いばかりの心遣いに敬服した。

明日は休養日なので天気はどうでも良いと思いながら、幸い明日も良さそうな雰囲気だ。

さすがにこの高度になると息苦しさを感じることがある。不思議なことだが、活動をしているときには一所懸命に呼吸をするからだろう、それを感じることはないが、横になって寛いでいるときに息苦しさを感じて目を覚ますことがある。そういえば以前にもそんな経験をしたことが思い出される。身体が活動を低下させて、それに合わせて呼吸活動も低下するために起きる現象なのだろう。

翌日も快晴の朝を迎えた。こんな良い天気は肝心なときに取っておきたいぐらいだ。10時には再び高度順応もかねて上部にあるケルンまで登る。3700Mを少し超えた高度だ。そこからは明日の行程にあるスイスBCの小屋が見える。

明日向かうトレイルを観察しに左手の深く広く落ち込んでいる谷を上からのぞきに行ってみた。つづら折れになったジグザクの急降下して正面には急登するトレイルが見えた。

昼飯後は陽の当たるところで昼寝をしていたが、急に雲が増えて寒くなってきたのでテントの中に入った。しばらくするとぱらぱら雨の音がしてきた。キッチンテントに行って蜂蜜入りの珈琲を作ってもらう。過去のトレッキングではチャイを飲むことが多かったのだが、今回は毎回蜂蜜入りの珈琲に嗜好が変わっていた。

イタリアンキャンプは高度順応をするので滞在日数も重なるし、エクスペディションの基地としても使われるので、どこのキャンプサイトよりも大勢のトレッカー、クライマーがいる。

今までのトレッキングでは30代前後の人が多いのは共通していたが、ダウラギリでは50才以上の壮年、老人とは全く出会うことがなかった。

夕ご飯は水牛肉入りのカリーだ。最初は食欲が低下して口にするのにちょっと抵抗があったが何とか食べることが出来た。しとしと降っていた雨も夜半には上がって星空が広がっていた。明日も天気は良さそうだ。
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