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ヒマラヤトッレキング・・⑪完RENJO LA越えでゴーキョへ(エベレスト,ローチェ、マカルー、チョオユー) [ゴーキョー]

11月2日(水)~5日(土)  ナムチェバザール~ルクラ~カトマンドゥ

6時に起床、7時には朝食を食べる。今日は一気にルクラまでの下山だ。ナムチェでは久しぶりの西欧風の朝ご飯。トーストにオレンジジュース、ハッシュドポテトに茹で卵。このロッジでの定番のコースだ。天気は雲一つない快晴。

ここからルクラまでは登って来た往路を下山するので勝手知ったルートだ。往路ではルクラからパクディンでまず一泊、そしてナムチェバザールだったが、復路は一気に下山する。距離的にはタフだが、ほとんど下りだけだから疲れているとはいえ気持ち的には勢いが付く。賑やかなナムチェの町中を潜り抜けあっという間に町はずれの石段上の道になる。尾根の右側をトラバースしながら暫くはなだらかな下りだ。道は乾期のために乾ききっている。トレッカーが行く後に土埃が舞い上がり後を追うトレッカーにとっては辛い状況になる。マスクを出して何とか防御だ。ゾッキョのキャラバンと行き違うときは最悪だ。 8時45分チョウタラの前で小休止。往路では曇天だったのでここからは何も見えなかったが今日は幸いエベレストとローチェが木の間隠れにくっきりと見ることが出来た。

50分には出発。ここからは九十九折りの急な下り。一歩一歩を踏む毎に腿に負担がかかる。山登りの習熟度は下山時に顕著に出る。リズミカルに余り踏ん張らないで下りると足への負担は軽いのだが、慣れていないとどうしても一歩一歩確実に足を運ぼうとして負荷が大きくなって筋肉を痛めたり、膝に来てしまう。
右手から沢なりの音が聞こえるようになってきた。ボテコシが近いことを示している。急坂の終点地点になる吊り橋の手前に着く。ゾッキョの一帯が行き過ぎるのを待って9時25分対岸に渡り一休み。30分には出発し河原に向かって一気に下る。遙か上にさっき渡った吊り橋が見上げるような上に揺れていた。










ここまで下りると土埃は全く気にならなくなった。通る風も気持ちいい。今、標高2,800m地点にいる。10時30分ジョサレで渇きを癒してロッジを出る。タムセルクが美しく聳えている。
何度見ても美しい山だ。ジョサレを出て直ぐに吊り橋を渡ると国立公園のゲートへの急登が待っている。疲れ切った足にはきつい登りだが、その先になだらかな下りが待っていると思うと気持ちも軽くなる。10時45分登りきると国立公園事務所で簡単な手続きをしなければならない。入山するトレッカー、下山するトレッカーでごった返している。そこを通過するのに相当の時間を要してモンジョに向かう。モンジョは2,835M地点、周囲は青菜の栽培や畑が広がって一気に農村風景に変貌していた。行き交う地元の若者を見ていると東京でも見られるパンツをづりさげて穿いたり、メッシュを入れている若者がいたりしてこの世界は違いがない。経済的に豊ではないのにファッションだけは先行して伝播するものだ。モンジョを過ぎるとまた下りになる。集落を通過する毎にだんだんディハールの祭り気配が伝わってくる。十人弱の集団がテープ音楽をバックに踊りながら進行している。そして行き交う人たちにドネーションを期待しているように見えた。我々はそれを無視して先に進む。チョモア、ベンカールを経由して1時にはパクディンの集落に入る。往路で泊まったナマステロッジで昼食を取る。ツナサンドにシェルパスープ。2時には出発してルクラを目指す。ガートを経由してチップルン(2,610m)に着く。3時15分。ここまで来ればルクラはもう遠くない。ロッジで一息入れる。この先はなだらかな登りが多くなり、一寸気が重いが最後の気力を振り絞って頑張ろう。4時30分ルクラの村はずれにあるカンニを通過。ルクラの街並みを通り抜けて往きと同じロッジに泊まる。
4年前に来たときにあった日本風ふろ屋があったはずの所に行ったがどうも業種替えをしたようだ。今ではカフェになっていた。残念。お湯たっぷりのお風呂を堪能したかった夢が破れてしまった。やむを得ない。ホットシャワーで身体を洗う。宿泊客が多い。トレッカーも多かったが、現地の人々が半分占めていた。現地の人は小学生、中学生達とその家族が多いのに気がついた。みんなシェルパ族だ。この山岳地方でも多少豊かな家族では子供達をカトマンドゥの学校に通わせている。大方は親戚筋を頼るそうだが小学校から下宿生活になる。教育熱というのはいずこも同じだ。

丁度ディハールのお祭りで学校が休校になり、それを利用して里帰りの生徒が休暇明けでカトマンドゥに戻る集中日に当たっていたようだ。ほとんどが母親と子供の組み合わせ。飛行場で搭乗するまでを母親が面倒見るのだろう。
子供達の対応は様々でカメラを向けるとはにかんで母親の陰に隠れる子、Vサインを送ってくれる子どこでも同じ光景だ。

同宿しているトレッカーの中に40代半ばだろうかカナダ人が単独でガイドと話をしていた。食堂でお互いが歩んできたコースについて話が弾む。彼はメラピーク(6,476M)に挑戦したそうだ。標高は決して高くはないのだが、雪に覆われたなかのトレッキングは肉体的には極めてタフで、グレード的には難度の高いルートと言われている。残念ながら彼は風邪を拗らせて登頂を断念して帰ってきた。確かに話していても咳が出るし、熱があるようだ。日本事情にも詳しく、我々に対しても極めて誠意を持って付き合ってくれた。余り話を引きずると風邪引きには気の毒なので早々に記念撮影をして別れる。

当地は相変わらず夜間外出禁止令が布告されているので6時以降になるとあの賑やかな街並みから人影が一斉に消えて息を潜めている緊張感が漂う。

3日、いつものように6時に起床。パッキングをして7時には朝ご飯。すでにマンバトル、ミンミャーそしてウメッシュ3人のポーター達はカトマンドゥに向けて3日間をかけて歩いて帰る為に出発していた。我々と一緒に飛行機に同乗するのはガイドのダワさんとポーター頭のパッサンだ。
山岳でのフライトは天候によって左右される。ルクラの気象条件は申し分ないが、カトマンドゥのスモッグはどうだろうか。気を揉んでいたら9時には1便がランディングした。ロッジは飛行場に最も近くなので状況が確認しやすい。ただ、心配なのは予約していたフライトより数日前への変更なので予約が取れるかどうか、ダワさんも不安そうにしていた。ダワさんは飛行場に行って航空券の変更手続きだ。後で分かったことだがディハールで帰郷した生徒達ともろにぶつかっているのでキャンセル待ちも大変な状況だったそうだ。数時間状況が見えないまま不安な状況が続いたが、昼過ぎに漸くフライトが決まり飛行場に詰める。一旦搭乗手続きをして待合室に入ったが、昼ご飯を取ることになって飛行場前にあるジャーマンベーカリーに入り、好みのパンとコーヒーで済ませる。再び待合室に戻り、さらに待機場へ入場して滑走路の近くで腰を下ろして雑談をしながら飛行機の到来を待つ。
2時半頃突然2階の窓から大声が聞こえた。「キャンセル、キャンセル」という声に何事かと待機している登場予定者が怪訝な顔をしながら見合った。ネパール語なので詳細は分からなかったが、ダワさんの説明でフライトが欠航になったと言うことだけは確かめられた。こんな良い天候なのに何故だ、と言う疑問への回答はロッジに戻ってから分かった。ディハールの最終日なのでパイロットが3時以降は休暇に入ってしまったと言うことらしい。多くの搭乗予定者は飛行場を後にしたが、明日のフライトへの変更は彼らと競合するわけだから大丈夫なのか不安が過ぎってきた。
未だ昼下がりなので時間をもてあます。さて、みんなでどうしようかと考えた結果が当地のゴンパに行くことになった。午前中に読経の時に吹かれるラッパの音が敬虔な雰囲気というより騒々しいぐらいの音を立てて響き渡っていた。さてその音源を尋ねようと云うことになった。ダワさんは明日の航空券の手配とかでバタバタしているので、パッサンに案内をして貰う。ルクラの街はディハールで賑わっている中、人をかき分けてロッジの前を通り過ぎて前進する。
町中で左に曲がる。このルートはジリに向かう道だそうだ。しばらく道なりに進み、両側が畑になったところを右手に。しばらく進むと左手にゴンパがあったが、近づいてみてビックリ。ゴンパは外見的には完成しているのだが、中はがらんどうだった。





未だ再建途上だと云うことだ。午前中のあの音はどこからだと、パッサンに尋ねると、この中で祭事は行われているとか。ゴンパの左手前にペインティング・スクールとの看板があってそこから人が現れた。彼はそこの管理人のようだ。そして是非中を見て欲しいとのこと。好奇心に誘われてその中に入る。奥からたくさんの「タンガ」(仏教画)を持ってきてそれぞれの評価を話し始める。ここでは8才から20才ぐらいの若者が仏画を勉強しながら、宗教教育も受けられる施設だそうだ。このゴンパは300年前からあったゴンパが朽ち果てていたものをドイツ人の寄付で再建中とか。
巻物になった布に描かれた仏画は巧拙で値段に違いがあるが、折角なのでドネーションの意味も込めて4点ほど買い求める。一点が300ルピー前後。やはり素人目にも良いと思うのは高価で現地の物価から考えればかなり高い買い物には違いない。
ロッジではヤクステーキを注文する。飢えた生活の連続だったからか大変美味しい味で感動だった。仲間達は大好きな酒を登山中は慎まざるを得なかった禁欲生活から解放されて、酒を注文する。現地酒の所謂ドブロクが安い。ダワさんからは日本人には向かないとの話にもかかわらず酒好きは手が伸びるようだ。嗜んでみたら意外と美味しかったそうだ。今年はヒラリーがエベレスト登頂50周年の年に当たっているのでネパールのビール、エベレストビールの記念版が売られていた。今晩は酒も入ってみんな言いたい放題の雑談を楽しみながらくつろいだ時間が過ぎていった。残された心配は明日のフライトに乗れるかだけだ。外は外出禁止令なのでしーんと静まりかえっている。

11月4日安定した天候に恵まれて今日は早朝の6時半頃にはカトマンドゥからの飛行機が到着している。続々とそれに続いて飛行機が着陸だ。先ずはホットした。我々の運命は天候による欠航が無いのが前提、その上で予約が取れるかどうかに係っているのだから。ダワさんは我々が起床する前から持ち込み荷物を持って飛行場に出向き予約の確保に奔走しているそうだ。朝ご飯を済ませいつでも出掛けられるようスタンバイしているが、なかなか手配完了にならない。ロッジの前で日向ぼっこをしながら時間の流れに任せる。人の行き来でごった返している人たちを見ると不安になる。彼ら達と予約で競合しているわけだから時間が経ってくると不安になってくる。私は余裕がある日程なので問題無いにしても仲間のうち二人は帰路の予定ぎりぎりになっているので心配だ。11時にはロッジ前にいてもしょうがないと云うことで飛行場前のジャーマンベーカリーに向かい、お茶でも飲もうと云うことになる。時間の経つのが遅い、一向に埒があかないようだ。ダワさんの顔も心なしか暗みがち。さすがに不安が過ぎっているようだ。1時ちょっと前ダワさんが手にチケットを持ってジャーマンベーカリーに入ってきた。漸く発券された。昨日のことがあるから安心は出来ないが取り敢えず搭乗手続きをして構内に入る。
今日は乗り損なうこともなく機上の人となれた。右手にヒマラヤの山々が見えるので全員がその席を狙っているため、飛行機に乗るときの先陣争いは厳しい。順番に対する意識はどうも白人といえども決してお行儀が良いとは言えない。待っている順番を無視して先に出ようとしたがる輩もいる。中国人に割り込まれた経験はあったが、先進国の白人ともいえども一皮むけば大した違いがないのが分かる。
私の隣に50代のシェルパ族の人が座った。離陸してしばらくすると片言の英語で話しかけてきた。彼はパクディンの手前でロッジを経営しているそうだ。普段はトレッキングのガイドをしているのでカトマンドゥに住んでいるとか。彼もディハールで実家に帰っての帰路だそうだ。飛行機から見える山の名前や足元に見える街の名前など丁寧に教えてくる。シェルパ族の人は日本人にとって親しみやすい人たちばかりだ。

カトマンドゥではフジゲストハウスに泊まる。仲間二人は翌日のフライトの確保が課題だ。いずれにしても夜のフライトなので明日朝一番でロイヤルネパール航空の事務所に行って交渉をすることになる。我々は計画を途中で中断した結果、日程に余裕が出来たのでダワさんとCHITOWANに行く手配を頼む。


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