シレ・ラ手前のポカリからギャブラ
(11月3日)
4220Mの夜はさぞかし厳しいものと覚悟していたが、いつになく熟睡できた。ロッジ泊まりの時には寒さと呼吸困難で何度か目を覚ますことがあったのだが何故だろう。まずテントの中は意外に暖かいと云うことだ。自分の体温がテント内を確実に暖めてくれる。さらに、インナーシュラフやシュラフカバーを用意したため体温の温存に成功したのだろう。狭いという以外は快適だ。改めてテント生活の素晴らしさを体感した。
10時15分トレイルが整備され、グンシャ(3595M)の集落の村はずれに着く。ここの集落はシェルパ族の部落。各家の屋根にはチベット教信者である証、タルチョがはためいていた。
多少の不安が無かったわけではないが、彼がチケット購入に成功するよう祈ることでそれを打ち消した。相変わらず厚い雲と強い風に体の芯が冷える。家の奥にある納屋だろうか、床が抜けそうな小屋の中で昼飯の準備が始まった。
グンシャはカンチェンジュンガを最も近くから展望可能なパンペマへの定住村最後の集落だ。パンペマも目指す予定にしていたが、予想以上のタフなルートだったので断念した先だ。行くとしたらここから往復で3泊4日はかかるコースだ。集落は整然とした小綺麗な町。こんな奥地に何故だろう。理由を確かめることは出来なかったが。
ところで予定外の展開にサブガイドのバッサンもナーバスになっている。自分としては水曜日のフライトに搭乗できることさえ実現できれば、後はお任せしよう。バッサンは今日の日程をどこまでにするか、自信がなかったのだろう、そこの家主と何度かやり取りして、ギャブラまで行くことになる。ここからギャブラまでは大した上り下りは無いそうだ。12時には昼飯を終えて出発する。相変わらず灰色の世界だ。
1時15分ファレの集落を通過。道に沿って数軒の家が並ぶ。我々が通過するといつの間にか子供達が近づいてきた。"ギブミースウート”と声をかけてくる。まさかこんな奥地ですれてしまった子供達に出会うとは。トレッカーの所行の罪深さを実感する。私もかつてはうっかり物を上げてしまったのだが、それがかえって彼らの心を穢して仕舞うのに気づき敢えて無視することにしている。バッサンが現地語で去るよう追い返していたがなかなか執拗だった。
チベタンカーペットを作り販売している家の前を通る。柄には興味が湧いたが、技術的にはポカラなどで購入できるレベルとは違いすぎるほどお粗末。しかもこんな重量物を買い込んだらポーターを泣かせるだけなので断念した。グンシャコーラは左手深い谷の下を流れている。そこに向かって右手、左手から滝が落ち込んでいた。美しい景観だ。
3時半大休止。さすがにポーター達も疲れの色が隠せない。顔の表情にゆとりが無くなってきた。3時55分沢越えの対岸小高いところにタルチョが見える。今晩のテント場が近いと云うことだ。沢を越えてからの登りは大した距離ではなかったが堪えた。ここまでの疲労が確かに足と気力に来ている。しばらく行くと再び平坦な場所に出る。耕作をしているというより牧畜中心の集落なのだろう。4時15分トレイルの右手にある一軒家の庭先がテント場だ(ギャブラ=2730M)。だだっ広い広場にぽつんとテントが張られた。調理場兼ポーター達の寝床は人家の奥にある小屋だ。テントだけが小屋から離れたところにあり、トレイル(人通り)に近いので一寸不気味さを感じる。
ご飯も終えてテントで寛いでいたらバッサンから声がかかった。人家にいる少年が高熱で息苦しくしている。薬はないか、とのことだった。少年は人家のベッドでダウンを羽織り、毛布にくるまって消耗しきってうつろな目を開けていた。彼のおじさんにあたるという付き添いによればシレ・ラで発熱し医者の居るところに下りるところとか。ダワさんがいないので意思の疎通は片言の英語だけ。症状の確認も定かではなく不安になったが、高熱、息苦しい、症状への対処療法として抗生物質、副腎皮質ホルモンのリンデロン、解熱剤を渡し、飲用方法を何度も確認して手渡す。あと高熱での脱水を避けるためポカリスエットの粉末をお湯に溶かし呑んで貰う。彼は美味しそうに呑んでくれた。何とかどれかの薬が効いてくれればと祈って部屋を去る。