首都圏甲信越でしたがNHKで「命が危ない、医師不足・・・」と言う特番がありました。たまたま私もパネリストの一人として呼ばれたのですが、医師免許を持たないのは私だけでした。私以外は全国医学部代表の教授、医師会の理事、自治体病院の代表そして現役の外科医がパネリスト。
民放とは違ってさすがにいいストーリーでしたが、やはり立場立場で発言には違いがありました。特に医師不足の直接的引き金を引いた大学側からは研修制度が全ての原因、大学に教育責任を持たせれば済むとの発言にはいささか驚きを禁じ得ませんでした。そこで肝心なことは何故医学生が母校を離れて勉強をしたいと思ったか、否、何故大学を去らなければならなかったのか、です。魅力ある臨床研修が大学で可能であったら誰もそこを去らなかったはずです。それを受け止めず、単に力ずくで大学に残せれば問題解決とするには余りにも暴論です。
今日医師不足の原因が研修制度のスタートにありとする発言を聞くのですが、これは誤った見方です。研修の義務化が原因とすれば既に一期生の研修医は医療現場に戻っているはずですし、あと一年待てば元の鞘に戻るはず。ところがそれにも係わらず医師不足は解消するようには見えません。
医師不足の背景には絶対的に医師が不足している現実があるからです。先進国で国民あたりの医師数は最低です。同時に日本の誇るべき国民皆保険制度があるために医療が過剰消費されているのも事実ですからなおさら医師不足に拍車がかかっています。3時間待ちの3分診療と非難の声を聞きますが、決して医師が早く帰ったりさぼっている訳ではありません。患者さんの要望に応えるだけの十分な医師がいないと言うことです。
さらに医師不足の深刻な問題は地方から医師がいなくなると言う現象です。折角各県に最低一校医学部を設置したにも係わらずその地域医療を支える医師育成にならなかったことです。他県からの流入学生が過半を占めれば当然の帰結です。自治医科大学の卒業生が出身県で地域医療をしっかり支えていることに学ぶ必要があるはずです。すでにかなりの大学では地元枠を作りその地方に残る可能性の高い制度に変更する動きが見られます。6年以上の時間を要しますが一つの解決策です。
当面の対応としては一朝一夕には難しいでしょうが、「魅力ある研修カリキュラム」を作ることでしょう。ところがどこでも自分の大学のカリキュラムに自信があるというのです。そこが問題なのでしょう。米国では決してNYやロスに集中するのではなく、アイオワやメイヨーが日本で言う田舎にも係わらず医師を目指す者にとってのメッカになっています。日本でも何故沖縄にあれだけの研修医が集まるのか、それは中部病院の伝統や宮城征四郎先生のような強烈に熱い指導者がいるからです。
目先の問題回避のためにまさか大学の主張する研修制度廃止になるとは思いませんが、むしろ研修制度のスタートによって芽生えた「患者のための医師育成」を熟成するための努力と改善をしていくことが世界に誇るべき国民皆保険制度を守り、国民が希求する安心できる医療を実現するためには通過しなければならない産みの苦しみ(現象面としての医師不足)だと考えるべきです。さらに、与えられることに慣れてしまった医療を国民が自らの問題として取り組み、医療者と手をつないで望ましい医療を実現していく責任を負わされた時代になったことを理解しなければなりません。素晴らしい国民皆保険制度を守るのは国民の責任であり、問題です。