3月11日を控えて思うこと。それは沖縄問題と福島は共通していることだ。どちらも被害者、被災地は利益享受者に利用され、問題の前面に置かれていたということだ。

沖縄は第2次世界大戦で本土に代わり前線基地としての甚大な被災を被ったばかりか今日に至るまで米国の占領地同然に置かれている。また福島原発は東京そして日本の経済的富を実現するために建設されている。原発の被災現象は3年経過しても混沌として不透明感は拭えない。その後遺症を背負った被災者が大勢いるのに、その犠牲を補償する手立てが結局は無いことも分かってきた。

ここから学ぶことは作られた世論は抗しがたい勢いに飲み込まれて一気呵成に猛進することだ。戦前の戦争礼賛、ヒットラーもそうだったし、安全神話に先導された原発推進も経済至上主義の結果だ。

これに限らず今後も政治のシステムは世の中が間違った方向に行くリスクがあること知り、そのリスクを制御できる政治的、法律的歯止めをビルトインしておかなければならない。恐ろしいことは今日その制御システムが一つ一つ破壊されていることだ。