8月14日(水)


シェーゴンパまではもうすぐだ。昨晩ぱらぱらと雨が降っていたが今は曇天でとても肌寒い。雨が降らないことを祈る。雷鳥の声を聞いたドルチさんが今日は雨が降るかもしれないですね、と話す。



いつものように7時に出発する。幕営地左を流れているコーラを徒渉し反対斜面を登る。ガレの連続の登りで馬上も揺れて落馬しいないよう気を遣う。8時20分にバンジャンに着く。ここはセラ・ムクチュリバンジャン(5126M)だ。手がかじかんで手のひらをこする。反対方面から現地人が登ってきた。チョルテンの前で記念撮影。




ここからはふたたび馬を下りて下山する。なだらかに広がる河原に出る。のどかなトレイルだ。河原に沿って右岸を下る。




9時半には前方左に断層が弓なりになって幾十にも重層している赤茶けた奇岩がある。その下をコーラが蛇行している。日本の渓流にもありそうな渓谷美は見事だ。今までヒマラヤでは経験したことのない風景にうっとりしてしまった。
赤茶けた岩はチャートという堆積岩で放散虫・海綿動物の堆積で作られた岩では無いだろうか。南アルプスの赤岩岳の由来と類似しているように思える。




しばらく休憩を頼んで渓谷に戻り写真を撮る。あとでその写真を見ながら残念ながらその再現が全くできてないことが分かり、撮影技術のなさに落胆した。


その先は徐々にコーラの水面から離れて水平トレイルの移動になる。シェーゴンパ(4160M)はもうすぐだ。左手コーラの対岸の草地には数多くのヤク、ゴートが草を食んでいるのが見えた。11時にシェーゴンパに着く。シェーゴンパの正式名はシェイ・スンド・ゴンパだ。










シェーゴンパの周辺にはガオンはなく、ゴンパがあるだけ。下ってきたコーラと左手から流れてくるコーラが合流する出会いの右岸上にある。幕営地はゴンパの奥手に広がっている広場だ。ゴンパは後でゆっくりお参りすることにしてとりあえず昼飯になる。


天気は不順で日差しもさすこともあるが、曇ったり、霧がかかったりしている。また小雨も降ったりする。眼下に広がる河原には夏場に滞在する牧童たちの夏家が数軒建っていて、人が行き来しているのが分かる。


突然轟音がしてヤクの一団が早足で下の河原に向かって通り過ぎていった。牧童頭かビチョールという人が挨拶をしてくれた。彼らのすまいは北方にあるサルダンか南方にあるポクスンド(リグモガオン)なのか、生活とはいえ我々の想像を超えた生活だ。

目の前のコーラ左岸に沿って厳しい山道を行くとゴンパがあるので2時から行くつもりだったが、残念ながら雨が降り始めでしまった。しかも悪路でもあるので断念することにした。


4時には雨も気にならない程度になったのでシェーゴンパに行く。といっても目の前なのですぐだ。ここでもラマは人との関係を絶っているのだが、ドルチさんの強引な要請を受け入れざるを得なくなってゴンパの鍵が開いた。

このゴンパはこの一帯をシェーゴンパ、ポクスンド国立公園と銘うつほどだから将来の世界遺産になる可能性もあるかもしれない。タンボジェにあるゴンパがネパールで一番古いがそれに次ぐ古い古刹だ。ラマの話でははっきりしていることは500年前にチベットから来たラマがここに建立し、現在のゴンパの骨格が作られて、外装は老朽化するので手直しはしている。そもそもの起源はそれ以前にあるのは確かだが明確ではないようだ。

このゴンパが風雪に耐え長い歴史を背負ってこられたのはチベットから多くの参拝者が詣でたことだ。密教の世界では山奥の人里から離れたところに信仰の地がある。ジョムソンの奥にあるムクチナートもそうだし、コサイクンド、タンボジェもそうだ。チベット人やシェルパ族がシェーゴンパを崇めるという感覚はなんとなく理解できる。チベットが中国化されて歴史の継承が変質されつつあるのは返す返すも残念だ。だからなおさら古いチベット文化が継承されているアッパードルパが存在価値を上げていることにもなっている。

当寺はチベット仏教のカギュー派に属し、カルマカを指導者として仰いでいる。

いつもゴンパを尋ねて腑に落ちないことがある。ゴンパの筆頭のラマは常駐していないことが多い。ほとんどがカトマンドゥやインドに滞在し、時にへりで巡回してくるという話だ。

ここのラマの悩みはどちらに向かうにしても5000Mを越えなければ人里に行けない、半年は背丈ほど積もる雪で隔絶された世界に幽閉されることで、健康問題と越年の食糧確保だそうだ。私自身が経験したタフなトレッキングからもそれは窺い知れる。まさに映画「キャラバン」の世界がリアルな現実であることを示してくれる。

ラマから10数年ぶりの日本人の参拝だと言われる。そんなに日本人が入っていないエリアだとは信じられないが、秘境であることの証明ではある。

彼はすでに息子がインドで修行中なので後継者には心配ない。

参拝人は年間1000人強、圧倒的にネパールにいるチベタンとシェルパ族が多く、外国人ではフランス、ドイツ、などの欧州が多い。残念ながら同じ仏教国の日本人は皆無に近い。


一帯の撮影にぶらぶらしながらコーラの河原に降りる。道は雨上がりでぬかるんでいるので滑らないよう慎重に。コーラに掛かる橋を渡るとテントから戻ってくるラクパさんと出会う。彼は改めて私を牧童たちの小屋に案内してくれた。



子供も含めて家族全員が夏村の当地に上がってきている。無邪気に子供たちが遊んでいる。珍しい外人を怪訝そうな顔で見つめている。ネパールのトレッキングでは外人慣れしているので近づいてきてねだるのが普通なのだが、決して近づこうとしない。ここでは外人の入村が珍しいということだらかだろう。

ラクパさんと家の中に入る。囲炉裏で赤々と火がくべられて暖かい。チベタンティーをご馳走される。後で聞いた話だが、ラクパさんは明日のバンジャン越えにも馬を用意する手配のためにここに来ていたらしい。今まで乗った馬はここで帰ることになっている。きっと私のことを気遣ってこの先も馬が使えるならという配慮だったようだ。幸い、ここのご主人が馬を出してくれることになっていた。

天気は相変わらずすぐれない。明日の天候回復を祈る。