7月31日(火)フェアリーメドーからBC往復
5時過ぎに目が覚める。外を見ると昨日より日差しが感じられるが、ナンガパルバットは雲の中だ。小屋の前に腰を下ろして雲の動きをじっと見ていると時々雲の切れ間から稜線の一部や小さなピークが見え隠れするようになる。左手に辛うじてライコート氷河の末端が見える。
ふと気がつくと太陽の光が眩いばかりに差し込んできて、雲が湧き起こっては稜線の裏に消えていく、それを繰り返していくうちにあっという間にチョンゴラ(6828M)そしてライコート(7074M)のピークが表れ、しばらくすると憧れのナンガパルバット(8125M)のピークが望めるようになる。幸運にも昨日とはうって変わった素晴らしい天候だ。ナンガバルバッドの北壁に射し込んだ朝日を受けて、稜線がくっきりと浮き彫りになり、深いブルーの空と雪をたたえた稜線が見事なコントラストを作っている。幸運としか言いようのない現実につい興奮してしまう。
しかし現実には我々以外に十数人の韓国人の一団が泊まっていた。彼らは集団特有の喧噪を振りまきながら右往左往している。彼らはロッテデパートの山岳部の一団だ。日本で言えばワンゲル程度という印象、集団行動は人種を問わず周囲にはお構いなしの行動になるようだ。日本が高度成長期に「のうきょう」が海外で話題になったことがあるが、それと同じ現象は世界共通の現象なのだろうか。
体調の悪さは相変わらず。オートミールと少しだけソーセージを食べるのが精一杯。8時40分に出発だ。今日はナンガパルバットの展望ポイントまでの往復なので気楽だ。池塘まで下り、そこを横切って森に入る。しばらく緩やかな登りを続けると、一気に眼前の展望が拡がり、アブレーションバレーのモレーン上に出る。
ライコート氷河の末端だ。氷の割れ目から勢いよく白濁した水が流れ出し、流れを集めて轟々と川へと変身していく。氷河の水を集めた川は白濁している。おそらく氷河が下流に押し出される過程で岩や瓦礫を砕き、包みながら下流に来て氷解するので白濁してしまうのだろう。日本の河川のように透明な水はほとんど期待できない。
氷河の奥にはナンガパルバット山群が屏風上に屹立している。ライコート氷河の左岸にそって高度を稼いでいく。10時20分左手に集落が続いて久しぶりに生活感のある現地の人々の動きが目に入った。彼らは我々を好奇心の目で見ているように見えた。さらに進むと右手に広々とした草地が拡がっていて、牛、山羊などが放牧されている。夏村のビヤール(3500M)だ。ビヤールは現地語で「テル=放牧地」と言われる広々とした草地だ。何軒かの番屋がある。後ろを振り返ると僅かにラカポシ(7788M)やハラモシ(7409M)などの山々も望める。途中から一緒していた現地人(彼が何故居るのか関係を理解出来なかったが)が一つの番屋に案内してくれた。そこでチャイを飲んで一息入れる。さすがにじっとしていると肌寒い。
昼ご飯を頼んで10時50分出発して展望ポイントを目指す。ビヤールを出ると景色が一転し、樹林から低木と草の世界になる。今までのようなハイキングというより急な登りになる。 男の子が鶏を抱えて下りてきた。鶏は直感的に危険を感じているのだろうバタバタと暴れている。ふと嫌な連想をしてしまう。さっきの番屋で昼ご飯にチキンカレーを注文したのを思い出した。その材料として調達されたのは間違いない。心を痛めたものの当地では当たり前のことだが。
3620M地点を通過、一層急な登りになる。さすがに高度のせいもあり息が上がる。1時に展望地点に着く。そこにはすでに何人かのヨーロッパ系の白人が寛いでいた。3900M地点からの眺望は正直言って新たな感動を呼ぶほどもなく、単なる達成感でしかなかった。イルファン君は自慢の縦笛を持ち出し吹き始めた。かなりの腕前にみんなから拍手を受ける。何気なく寂しげな、一寸憂いを秘めた響きは心に滲みてくる。ネパールもそうだったが、この一帯は笛の世界だ。手軽に作れるし、彼らの心象を伝えるのには絶妙なのだろう。
しばらく横になって日向ぼっこを楽しんでいると声が掛かり、そこにいる各国から来た人々と歌の交換する羽目になる。歌詞もうろ覚え、息も上がっているのに、と思いながら、彼らからみて日本らしいと思って貰えそうな「サクラ」を歌うことにした。
一時の寛ぎのあと、展望地を後にして下山を開始する。1時40分にはあっという間に3600M地点にまで下りる。下りはあっという間だ。2時半にはさっきの番屋に着く。すでにご飯は用意されていてチキンカリー、茹でた黄色いジャガイモと濃厚なチキンスープが用意された。しかし、相変わらず食欲が全くなく手をつけることが出来なかった。
これからはなだらかな下りをお喋りしながら歩く。気がつくと二人の少年が後先になりながらついてくる。一人は親戚の家に来ている少年、多少の英語が話せる育ちの良さが見え隠れする。上流階級の家柄だそうだ。もう一人は現地人の少年。いたずらっ子のような一寸はにかみやな少年だった。
相変わらずの体調にほとんど食事もせずにシュラフに潜る。静かに眠りに入っていった。