7月30日(月)
ベシャームからフェアリーメドー(別名メルヘン・ヴィーゼ)へ
蒸し暑い寝苦しい一夜が明け5時前に目が覚める。さすがに外に出るとインダス川の冷気がこの一帯を覆っていて涼しい。ロッジ前を走るカラコルム街道は偶に轟音と排気ガスを振りまいてトラックが走り去っていくが日中とはうって違って閑静そのもの。 道路上にある標識にはイスラマバード、ペシャワールがそして昨日のアボッダバードからは147kmと表示されていた。こんな距離だからトラブルさえなければ当地での宿泊はあり得なかったことを改めて実感される。ペシャワールの先には騒乱のアフガニスタンの首都・カブールがある。今、紛争地帯のすぐ側にいるのが現実なのだがそんな緊張感は全く無い。それを窺わせるのはニュースで見る民族の姿が似通っている点だけだ。
ロッジの食事を軽く済ませて昨日のロス解消の為5時40分早々に出発する。ロッジはベシャームの街の入り口にあった。しばらく走ると集落が密集してくる。両側を店が軒を並べている。食べ物や衣料店、電気屋、靴屋などなど。 ベシャームはギルギッドとイスラマバードの中間点にあり、行き来する者にとっては宿泊もする中継点。町中には何軒かのホテルもあった。この一帯はスンニ派の信者が多く、女性の姿は全くと言っていいほど見られない。そして最も原理主義に近いイスラム教を信仰しているエリアだそうだ。ガイドから半ズボンで肌を露わにしないように、と我々にも忠告があった。おそらく現実になるとは思えないが、場合によっては異教徒への反発が思いがけない行動になるリスクがあるということなのだろう。
すっきりしない空模様だが雨の心配はないようだし、今日は大部分を車で移動するので、天候に気を使うような事態にはならない日程だ。民族的にはイラン・アーリア人の血をひいた人々のエリアになる。アーリア人は白人に属し、大きな目と鼻が特徴だ。7時右手にあるインダス川右岸に大きな集落バタンが見える。インダス川に沿って遡行し、9時にはコーヒスタン地方の中心地ダス(ダッソーとも発音)に入る。 コーヒスタンとは「山々の国」を意味しているそうだ。前述したとおりこの一帯は最もイスラム原理主義が信仰されているので、異文化そして外国人に対しては極めてナーバスになっている。アフガニスタンをNGO活動で支えている中村哲先生が活動拠点にしているペシャワール会があるが、その活動の延長にこの地域にも診療所が設置されていたが、感情の行き違いなのかそのNGO活動が排除されたと言う話は象徴的だ。このような不可解な結果になる背景にはイスラム教の一つの本質である地域社会において宗教家と為政者が一体(同一人)になっていることと、結果的に閉鎖社会を支えることになってしまう教育に対する忌避(とりわけ女性に対する差別)が我々から見れば異常な言動になっている背景にあるように思えた。宗教的、文化的特殊性を知れば知るほど中央アジアでの紛争がそう簡単に解決するとは思えないし、ましてや米国流の武力による平和実現なんかとんでもない事が理解できる。
今走っているカラコルム街道は1972年、12年間かけて作られた立派なハイウエイだ。当時のブッド首相(今パキスタンでの政争の中心人物の一人でムシャラフの対抗軸にいるブッド女史はその娘=2007年選挙活動中に暗殺される)が中国との政治的関係を強化する為に中国の要請を受けて作られた道だ。もともとシルクロードがインダス川に沿って東西を繋いでいた歴史を残している地域だが、今では高速で走る車が行き交う道路として重要な位置を占め、中国にとってアラビア海に直結できるチャネルを確保出来るだけでなく、同時に一帯住民の利便性を提供したという意味で歓迎されているが、しかし、現地の人にとってどこの国でもある開発と文化との衝突はあるようでそのバランスの難しさを改めて考えさせられる。
そんな経緯があるのでこの一帯では中国人が幅を利かせていて、我々の様な顔つきは中国人として認識されるようだ。街で出会うと先ずは中国人か、と聞かれる。あちこちに崖崩れや路肩崩壊などで道路が痛んでいたが、始終道路崩壊の危機に晒されているカラコルム街道はFWO(Frontier work organization)というパキスタンの軍隊の機関によって維持されている。
インダス川の流れはこの一帯では緩やかにまるで留まっているようにさえ見える。当地バシャーリはダムサイトになるところ。巨大なダム建設工事が細々と始まって河原に建機が見えた。たしかにインダス川の流れ以外には河原でさえ砂漠のように乾燥しているこの地方にとってはダムの建設は大きな恵みになるだろう。いつになったら完成するのかが気に掛かる。
12時前にチラスに着く。灼熱の太陽を浴びておそらく40度を超す気温のようだ。何軒かあるホテルの一つに入る。店内は大きな扇風機が何台か回っている。風の当たる場所を探して席を取る。このホテルは中国料理の店だ。カラコルム街道の建設に協力した中国との関係を思わせる作りだ。その結果だろう、味はそれなりのものだった。
1時15分出発してナンガバルバッドのノースフェースを目指す基地フェアリーメドーに向かう。相変わらず広い川幅の中をインダス川は蕩々と流れ、時には中洲が形成されている。途中温泉が噴出していると言われるタトパニを2時10分通過して2時20分にはカラコルム街道ライコート橋の袂にある横道に入る。そこが山岳に入るジープの基地になっている。
今日も食欲が無く体調が優れず、夕飯を抜いて自分だけは早々とロッジに戻り寝ることにする。ふと人気を感じて目が覚めると、ガイドが心配してマンゴーを寝床に持ってきてくれていた。体調の悪いときには果実ほど嬉しいものはない。不思議と喉をすんなり通り、貪りつくように平らげた。その後、再びあっという間に熟睡に入った。