8月21日(水)

デュナイから先の行程についてはまずはジュファールからのフライトが再開されるのか、再開されない場合にはロウワードルパ、ドルパタンを経由してベニに下るのか、ネパールガンジまでトレッキングするのかその選択が悩ましい。

まずはジュファールからのフライトの情報を集めなければならない。昨日飛行機がランディングしたとの情報もあったので一縷の希望が湧いてきた。ところが結果的にはテストフライトでランディングしたが、運行は事前情報通り10月からの再開だと確認出来た。

となると第2の選択か第3の選択かで悩むところ。希望としてはどうせ歩くのならロウワー・ドルパを堪能して下りたい思いがあった。しかし現地情報からロウワー・ドルパはモンスーンの影響があるので多雨でトレイルがぬかるみ、ヒルの攻撃は避けがたいとのことだ。そこで第2の選択は消去されて第3のネパールガンジに向けて1週間歩くことになった。

ところが現地に知り合いがいるラクパさんが朝一番で吉報と戻ってきた。まさかジュファールのフライトが実現かとわくわくして話に耳を傾ける。

想像も出来ない新しい情報だった。ジュファールの先に新しい飛行場が開港して1週間前から飛行機が飛んでいるとのことだ。さらに明日のフライトのブッキングが可能だとのこと。小躍りしてその情報に飛びついて早速予約の手配をする。

情報が一元化されている日本では想像つかないがなにしろ雲をつかむような話。地図を見てもその飛行場はこの辺のガオンらしい程度の情報だ。半信半疑での出発になる。


しばらくは町の中心地を通り抜けトゥーリベリ・コーラに沿って進む。ここではトレイルと言うより自動車も走れる道だ。轍もあるので車が走っているらしい。天気もよく汗だくになるような暑さだ。それに単調な道を歩くのは辛い。昨日下ってきたコーラが右手から合流する地点スリガード(2070M)で軍隊の検問があった。全く問題なく通過する。



コーラが左手から流れ込んでいるが、そこに掛かっている橋が崩壊して道が遮断されている。橋の先にはバッティーがある。ここはルプガードのガオン。ダワさんがそこの主人となにやらやり取りをしている。主人からジープが使えるとの話が出た。渡りに船とそのジープを待つことになったが、その手配に時間が掛かるのでしばらく休憩になる。

首を長くして待ちわびることなんときだっただろうか、疑心暗鬼のなか黒煙を上げてジープが来た。数人の乗客が降りてきた。ここでUターンして出発になるが、とりあえず燃料の補給のためしばらく待たされる。


9時20分このジープがどこまで行けるのか分からないままに行けるところまでと言うことで、我々のパーティーだけで折り重なるように乗り込む。しばらく行くと左手山の上に集落が見えたが、そこがジュファールだ。下から見上げるとどこに飛行場があるのか分からなかった。道は水平に進むのでコーラはどんどん眼下になっていく。道は凸凹はあるものの整備がされているので不安は全く無い。10時15分ドライバーからここまでと言われて下ろされる。


確かに歩き出してまもなく道は狭くなり河原に向かって下降する。その先にはビッティのガオンがある。このガオンはチキリ族。10時半だがここで早ランチになる。一軒しかないのでバッティーを選ぶわけにはいかない。埃だらけの薄汚い店に入る。軒先を使って料理が始まるが、あっという間にハエの集団に襲われて素材が隠されてしまうほどだ。ここまで降りると気温も高く、不衛生な環境になり、そこに生活ゴミが散逸しているので食べる気分にもならないほどだ。チキリ族の風習でお婆さんは鼻に大きなリングを付けている。



食事が用意されたらハエの攻撃を避けるためにはゆっくりしているわけにはいかない。ポーターが扇いでくれるけど入れ替わり立ち替わりのハエの攻撃には太刀打ちできない。食べた心地がしないままに食事を終える。二人の行商人が店に入っていった。背負ったバックからなにやら取り出して売り込みをしている。私から見ればばかばかしいと思えるものだが、住人はまじめに話しに耳を傾けている。人の行き来、物の流通のほとんどない地方では貴重な情報源なのだろう。商売は不成立となって行商人は立ち去っていった。


1時には橋を渡ってトリプラコート(2100M)に着く。大きな集落だ。飛行場はここから右手に分かれて上を目指す。全員が地理不案内なので会う人会う人に確認している。飛行場も1週間前の開港だから周知の事実にはなっていない。1時間半歩けば着くでしょう、と教えてくれた。山の上チャハールにヒンドゥー教の寺院がある。なかなか立派な寺院だが先を急ごう。1時間以上経ってもまだ辿り着かない、そこでまた聞けばこの先1時間は掛かるだろうという。いい加減な情報に振り回されて話半分で理解しなければならない。時間も3時を過ぎようとしている。

いったんコーラまで下ってふたたび急登の山道になる。前方に見える山嶺の先が飛行場ではと期待したが裏切られる。集落があって再度尋ねるとさらに1時間は掛かるだろう、と言われる。ここまで来れば飛行場にも近いので情報の信憑性は上がったはずと期待する。




そんな思いで最後の元気を振り絞ってジグザグの直登をし、左流れの斜面をトラバースすると、彼方に吹き流しが視界に入った。今度こそ間違いなく飛行場だと確信。左手谷を挟んだ対岸の集落からだろう読経の声と低音のラッパが響いてくる。ヒンドゥー教のお祈りらしい。

飛行場の下部に着く。辛うじて山を崩して平地を作っている。十分なスペースがとれないので滑走路が上り坂になっている。エベレストに入るときのルクラの飛行場もそうだった。土を整地しただけなので多少の凸凹はやむを得ない。カンチェンジュンガに行く際に使うスクタールがそうだった。滑走路の右手を登り、4時半滑走路の上部近くに幕営する。たちまち若者が集まってきた。地名の確認に自信がないが、マシンチャウルだろう。



滑走路の延長先には集落があってバヒラガオン(地図にないので?)でチェトリ族の集落だ。陽も落ちてきたが折角なのでガオンを訪ねてみる。泥だらけの道を辿り集落に入ると、どこの家からも視線がいっせいに飛んでくる。それに気がついて見上げると家族一同、頭首、奥さん、幼子、老人だ。


でも決して排他的、攻撃的な視線ではなく、暖かく見つめる視線に安堵した。同行してくれたラクパさんから私が初めての外人だからですよ、といわれる。確かにこの一帯はトレッキングコースとは全く無縁で外人が出入りする可能性はないし、飛行場もオープンしたばかりだから外人もその存在を知らないのでここに来るはずもない。撮影を求めると気持ちよく了解してくれた。とてもいい写真が撮れて感謝いっぱいだ。

飛行機に同乗するのはダワさんだけなので、コックチームとポーターとは明日の早朝から別れて行動するので、一緒の行動は今日が最後になる。最終日の夜は簡単なパーティーになるのが恒例。力の入った料理作りが始まる。ラクパさんは帰路私と別れて買い物をすると言っていたが、想像通り鶏を買ってきた。この先はどうも苦手の世界。鶏を絞めてカレーの具材と照り焼きにする。その経緯を見るに忍びないのでテントに戻って知らん顔のふりをして気持ちをそらす。

それにチョコレートケーキが用意される。うれしい心遣いに感謝する。ドルチさん有り難う。