今日まで一貫して行政サイドも日本医師会も医師過剰を主張し、医学部定員を削減する動きもあった。しかし、現実には北海道、東北だけにとどまらず全国的に医師不足が社会問題化している。ここで言う医師は医師全般ではなく、医療の最終責任を負っている勤務医のことだ。今や医師不足はいわゆる僻地だけではなく、地方の基幹病院にまで及んでいる。直接的契機は2004年から始まった初期研修の義務化が大学医局から医局員を剥ぎ取って市中の病院に若手研修医が移動する契機を作ってしまった結果である。
この現象は従来の大学医局ではストレート研修しか出来ないとの医学生からの批判でもあり、同時に市中病院が相対的にプライマリーケアの研修場所として評価されたことでもある。しかし、底流にあることはそれ以前から乱造される博士号に対する評価低下がある。大学医局が強力な人事権を行使できたのは博士号で医局員を拘束できたからだが、博士号イコールスキルという等式が成り立たない以上研究を目指すものを除いて大学医局に止まる意味が薄れる。
大学医局の後退は今まで医局の壁そして学閥で阻害されていた医師が交わる場を提供する事になり、時間がかかるであろうが、医療の標準化につながるはずだ。他方で社会にとってのデメリットは地域を支える医師の供給システムが崩壊してしまったことだ。
医師の配分を市場にに任せて良いのかは疑問がある。医師が必要量を超えて(一般社会のように受給が緩ければ=教員市場がまさにその様になっている)いるならそれも可能だが、当分は医師不足が避けられない以上、政治的なシステム作りが必要だと思う。さらに地域別、診療分野別に必要医師数を想定し需要にマッチさせなければならない。米国では診療領域別に専門医の定員を決めている。その結果自ずから専門医を目指すためには厳しい競争があるので、医師のレベルも上がるというものだ。残念ながら日本では実力の裏付けがない専門医がどこの先進国よりも大量に認定されて、まかり通っている。ここに日本の医療の本質的欠陥を見ることが出来る。先日の腫瘍専門医制度を打ち上げる構想が内科分野と外科分野で同時に行われた。自己の領域拡大だけを目指した提言には呆れるばかりだ。旧態依然たる体質は全く変わってないことに、将来の医療を展望したとき肌寒さを感じるのは私だけだろうか。