2016年11月25日(金)~26日(土) レストデーそしてマナンに向けて
さいわいビリヤードの喧噪は杞憂に終わって熟睡した。昨日は昼前に着いたのでキャンプサイト前にあるロッジでホットシャワーを浴びることが出来て久しぶりにすっきりだ。昨今は各地でソーラが普及しホットシャワーが使えるロッジが増えてきた。当然有料が使用条件だが。
キャンプサイトはガオンの奥になるので散歩もかねて下ってオールドタウンを巡る。
チェックポストで手続きをする。
ベシサハール方面に向かって下ると彼方にガネッシュヒマールの山群だろう。
11月27日(日)
マナンに向けて準備をする。ジープの手配にあたっていろいろ一悶着。ここから先は道路が凍結してマナンまでは行けない、との話しも飛び交っていた。数台の運転手と掛け合ったが断られたようだ。もう一つの問題は寒い早朝だとジーゼルエンジンがかからないとも言っていた。
ガイドがあの手この手を尽くしてようやくチャーターした車が来る。ところがエンジンのスターターがかからない。結局は別のジープを呼び寄せてスタートする。
アンナプル山群が見える。
乗るまではこのままマナンまで行くものと思い込んでいたが、突然ここまでだ、と言われて車を下ろされる。そこはチャメ。チャメはカリカンダキ県マナン郡の中心になる大きな街で、以前のトレッキングでも泊まった街だ。
町なかに向かうとコーラに掛かる橋が崩壊していた。下ろされた理由だ。対岸に向けて渡された丸太を伝わって先に進む。
この先マナンまでは相当の距離があるのでジープの手配が出来るのか不安になったがお任せ下さいとのことで安堵した。ガイドが車の手配Ⅱ時間が掛かるのでホテルでランチをとりましょう、と。コックさんが食材を用意して調理場を借りて作ってくれた。ホテルからすれば迷惑の話と思うのだが、なんの抵抗もないのが不思議だ。
食後、近くを散策したが、懐かしい光景に出会った。街のことは何も記憶していなかったが、コーラに掛かる橋とチョルテンははっきり記憶していた光景だ。その時の思い出が蘇って若かりし元気だった刻に思いをはせた。
なんとかジープの手配も出来てマナンへ。マナンまで行ける行けないのやり取りはなんだったんだろう。確かにここから先は以前の記憶ではタフなトレッキングだったので相当の高度を稼ぐ山岳道路になっているのは想像できる。
想像通り道は砕いた石が敷き詰められた悪路の連続でヘアピンカーブやら滝が落ちている真下を通過したり、路肩から外れないのか気掛かりになる程ぎりぎりの道で、ジープは喘ぎ喘ぎ登っている。パスを越えるとなだらかな道になる。
大勢の白人のトレッカーは自動車の巻き上げる砂埃に口を塞ぎ、行き来する車を避けなければならない状態なのに歩いていた。私の感覚では物好きとしか思えないし、歩くなら自然豊かな景色を堪能しながら歩きたいのだが。
ピサンを越えてフンデのガオンに。そこには飛行場があり、以前は週一だったか定期便が飛んでいたのだが、今では軍用飛行場としてしか使われていないそうだ。
3時にはマナンの街の手前でジープを降りる。その先は歩いて街に入る。
街道の左手にあるロッジの庭先でキャンプだ。
マナンも大きなガオンで眼前にガンガプルナ(7454M)、アンナプルナⅢ(7555M)が。後ろを振り返ると右手にアンナプルナⅣ(7525M)、Ⅱ(7938M)が眺望できた。
アンナプルナⅣ(7525M)、Ⅱ(7938M)
ガンガプルナ(7454M)と氷河。
アンナプルナⅢ(7555M)
ガオンの中心。山間部なのにネオンが異様に輝いていた。
明日からはティリチョ・レークそしてメソカント・パス越えというチャレンジングなトレイルになる。ガイド達は明日からの状況判断に必要な情報集めに出かけていった。ヒマラヤではリアルな現地情報は人伝えで確認するしかない。
メソカント・パス越えは難易度が高いトレイルだ。そのためにカトマンドゥでスノーブーツ、トランポンもレンタルしてきた。
情報収集の結果は、トレイルが崩落とそのあと落石が発生して危険だと言うことだ。今日も欧州のトレッカーがティリチョ-・レークから引き返してきた。
いろんな想定をしたが、ティリチョ-レークまで行って状況判断をしてメソカント・パス越えが難しいと断念した場合にはトロン・パスを越えてジョムソンに行く行程にならざるを得ない。その場合は日程的に無理がかかってしまう。下手をすると1ヶ月ぎりぎりのフライト変更可期間を越えてしまうリスクがある。
トロン・パスは以前にも越えているのでなんとかメソカント・パス越えを、ダメならティリチョ-レークには行きたいとガイドには伝えたのだが結局は断念せざるを得なかった。